いのちと人権を守る

2014年11月17日

無低診を通して見えるもの〈患者にとって〉 「心配しないで、まず治そ」 第1号利用者が教えてくれたこと ――大阪・耳原総合病院

 無料低額診療をめぐるシリーズ最終回。今回は制度が患者さんにとってどういう意味を持つのか考えます。大阪・耳原総合病院(堺 市、三八六床)で制度利用「第一号」となった患者さんのエピソードから。アルコール依存症で、すべてを失い、生きることさえあきらめていた時、同院にたど り着きました。(木下直子記者)

 耳原総合病院は二〇〇九年六月から無料低額診療事業を開始しました。適用は生活保護基準の一五〇%未満をめやすに、保険診療の患者負担を半額~全額免除。原則一カ月、最大三カ月として必要な人は更新しています。年間利用者は実人数で五〇~六〇人です。
 「始めてから実感しているのは、『医療費が払われへん』と相談に来る患者さんは、本当に払えないんだ、ということです」とSWの庄司美沙さん。「どの制 度も使えない、いわゆる『制度の狭間』の存在。そして医療費が生活を圧迫するようになっていること。『ご飯を食べるか医者にかかるか』の二者択一を迫られ た人は、一〇年前、二〇年前にはそう居なかった。そうして駆け込んでくる人たちに、『安心して』と言える無低診は大きい」。
 そしてもう一つ、「医療とは何だろう」を考えることにもなりました。それが、同院の無低診利用「第一号」の患者さんでした。

人生もあきらめていた

 「耳原に行かなければ今はなかった。いのちを吹き込んでもらったんですね」。こう語る濱崎正子さんがその人です。急性膵炎の激痛を訴え、同院に救急搬送されたのは〇九年八月。住所不定無職、アルコール依存症。お腹は腹水でカエルのように膨らんでいました。
 家業の喫茶店のきりもりを任されたことが病気の引き金でした。朝から晩までの営業の間に育児や家事をこなすと睡眠時間がありません。疲れや不安を紛らわ せようと酒量が増え、飲んで眠れなくなればまた飲むという悪循環です。
 やがて立つこともできなくなり、鬱とアルコール依存症と診断されました。それが救急搬送から二年半前のことです。この間、断酒目的の入院も五回試みます が、そのつど失敗。最後の入院の後、自宅から放り出される形で夫から離婚されました。
 行き場がなく身を寄せた兄の住まいはワンルーム。常に泥酔している妹が長く居られるわけもなく、濱崎さんは知人宅を転々とします。そこでもゴミ箱を抱え て酒を飲み、飲んでは吐くを繰り返しました。急性膵炎の発症はそんな時でした。
 「離婚の際、小学生だったひとり娘と会うことも禁じられました。自宅では、光や音が怖くて部屋を暗くして酒を飲み、リストカットもして血まみれ。そんな 姿を子どもに見せていましたから…。娘を失うと何の希望もなかった」と濱崎さん。「入院費用は踏み倒そう。強い酒を手に入れて、高い建物から飛び降りて死 のう―。そればかり考えていました」。

無低診を使って

 庄司さんが相談を担当。当初は病院も、三〇代で保険証も持っていた濱崎さんが困難を抱えているとは気づいていませんでした。入院四日目に自ら相談室に やって来ました。「他の入院患者さんが病室で泣き通しの彼女に、『相談室に行けばええよ』と声をかけてくれたんです」と、庄司さん。
 何に困っていて、退院後はどこに帰るのかさえ答えられなかった濱崎さんに、庄司さんは「大丈夫、まず治そう」と話して無低診を適用、生活保護の申請など必要な援助を行っていきました。
 入院中にできた患者仲間にも励まされながら、濱崎さんは生気を取り戻していきました。退院後に暮らす部屋も自分で見つけ、作業所に通いながら、社会復帰をめざして一日一日。いまで五年です。
 娘さんとも再会し、保護者面談などの学校行事は、濱崎さんの役目に。「あの子の親と認めてもらえるだけで良い」と涙ぐみながらも母子のやりとりを生き生 きした顔で語ります。「ネイルの学校で資格も取りました。次は社会復帰をめざします」。

医療は「人生の土台づくり」

 庄司さんは「私たちの関わりは彼女の人生でいうとほんの一幕ですが、一番辛かった時にかみ合い、転換のきっかけになれた」と話します。
 徐々に生きる力を取り戻してゆく濱崎さんに「医療は患者が次の人生を踏み出すための『土台づくり』。援助職の目的の一つは『人間の発達保障』だと、再確認することもできた」といいます。
 「援助した人が皆、濱崎さんのように真っすぐすすめているわけではありません。無低診が象徴する『無差別平等』は、過去やモラルを問うものではない。『心配ない、治そう』と言える。それこそが大事なんです」。

(民医連新聞 第1584号 2014年11月17日)

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