憲法・平和

2015年1月5日

無差別・平等の運動と事業で地域から憲法をいかそう 新春鼎談 藤末衛会長 岸本啓介事務局長 後藤慶太郎理事

 二〇一五年、社会保障制度の大幅な見直し、日本を「戦争する国」に変えようとする憲法改定など、私たちの暮らしを根底から揺るが す事態が進行しようとしています。民医連としてどう立ち向かうのか。藤末衛会長とともに、第四一回定期総会で新事務局長になった岸本啓介さん、同じく新理 事の後藤慶太郎さん(医師)に語ってもらいました。

(文・丸山聡子)

「戦争する国」へ本格始動した2014年

藤末 新年を迎えるにあたり、一年を振り返ってみると、 二〇一三年一二月に秘密保護法を成立させた安倍政権が「海外で戦争できる国づくり」、「企業がもっとも活動しやすい国づくり」に向けて、本格的に動き出し た年といえます。その一方で、憲法二五条を解釈改憲して社会保障は削る、国民には「自己責任で生きていけ」と。国のかたちを変える野望実現に向けて踏み出 した年でした。
 沖縄・辺野古の米軍新基地建設についても、県民が島ぐるみで反対しても強硬にすすめる。庶民には消費税増税、大企業には新たな減税、原発再稼働もしかり です。福島第一原発事故が地球規模で及ぼした影響は計り知れません。福島県では、震災関連の死者数が震災当日の死者数を超えました。にもかかわらず事故を 起こした東京電力は倒産もせず営業を続け、電気代も上げる。電力会社は何をしても「国益」として守られることを内外に証明してしまいました。
 哲学者の内田樹さんが「安倍政権は日本を株式会社化しようとしている」と発言していますが、うなずける状況です。しかし、反撃も各地で始まっています。

岸本 草の根運動のうねりが生まれてきた、というのが実感です。
 今回の沖縄県知事選挙では、主義・主張を超えて、新基地は作らせないという「建白書」が中心に据えられ、運動が広がっていきました。「中央のやりたいよ うにはさせない、地方自治の力を取り戻そう」という流れもありました。結果は、基地推進勢力に一〇万票差をつけ、三〇万票を獲得する勝利でした。辺野古に 基地を作らせないたたかいが始まった一九九七年は、沖縄民医連の仲間一人を含むたった二〇人の集まりでした。沖縄のたたかいは、「命を守る」「憲法を守 る」という立場から道理を尽くして粘り強くやれば必ず勝利する、と証明しています。民医連も二〇〇四年から、「命まもれ」の一点で、辺野古支援連帯行動を 三二回続けてきました。

藤末 憲法を守るたたかいでは、日本弁護士連合会が呼びかけ、会長や各県弁護士会会長がそろって「集団的自衛権の行使容認は許さない」とデモ行進もしました。弁護士全員が加盟する組織が「立憲主義を守れ」と決起したことは流れを変える力になりました。
 大飯原発の運転差し止めを認める福井地裁判決もありました。これは、「真の国益とは何か。人格権、“人がいかに生きていくか”ということ以上に大切なも のはない」という内容でした。法曹界が職業的使命をかけて立ち上がってきていると感じます。

後藤 「明日の自由を守る若手弁護士の会」など、マスメディアに出てがんばっていて励まされます。「若手医師の会もあっていいんじゃないか」と考えています。

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命と憲法まもる反撃ののろしは地域から

藤末 さて、新しい年、病院経営や医師不足などの困難はありますが、それを踏まえた上で、五〇年、一〇〇年のスパンで考えようと呼びかけたいですね。
 昨年末の総選挙で、自民党“圧勝”の予想にもかかわらず議席を減らし、「憲法守れ」「戦争する国づくりを許さない」と明確に対峙した日本共産党が躍進しました。
 昨年、集団的自衛権の行使容認を閣議決定した安倍政権は今年、その実行のための法整備をすすめます。四月には統一地方選挙もあります。自民党は「地方創 生」を掲げ、「戦争する国」をささえる地方づくりを具体化していくでしょう。それが本当の狙いですから。地域にねざして医療や福祉を実践し、まちづくりを すすめる私たちにとって正念場です。

岸本 沖縄では、翁長知事誕生に続き四つの小選挙区全てで新基地反対の「オール沖縄」の候補が勝利し、自民党は敗北しました。共産党が議案提出権を得たことは医療や介護を守る運動で大きな足場ができたことを意味します。
 二〇一五年は地方からもう一つの社会のあり方を創り上げようと、のろしをあげる年にしたい。民医連の存在意義は大きいです。

藤末 昨年、私たちは「無差別・平等の地域包括ケア」と いう位置づけを明確にしました。共同組織の皆さんも含めて「胸に落ちた」「中長期の計画でも具体化できる」という声が寄せられています。そこにヘルスプロ モーションを組み込んでいく。それが、政府の「地方創生」と対抗しうる、本当の地域づくりにつながります。住み続けられるまちづくりをすすめる中で、地域 で求められる医師のあり方も問われるでしょう。

後藤 民医連の救急医療の自主研究会の立ち上げに携わり ました。学会にも、民医連では伝統の「気になる患者訪問」などの演題でエントリーしようと相談しています。私もスタッフといっしょに地域に出て、いわゆる “ゴミ屋敷”の訪問もしています。行政の担当者や地域の民生委員さんなどとのつながりもできてきました。
 しかし、助けを必要としている人とどれだけつながれているのか。病院に駆け込める人はいいのですが、駆け込めない人たちが存在するはずです。そういう人 たちといかにつながれるか。ヘルスプロモーションの課題です。

岸本 受療権を守るという話題では、昨年一一月二三日付 の朝日新聞で無料低額診療事業の特集が組まれ、大阪や北海道の民医連が取材されました。新聞を握りしめ、「診てもらえるのか」と病院にきた人もいました。 民医連外の医療機関から「医療費が払えず中断する患者がいる。事業はどうしたら行えるのか」と問い合わせも。民医連のとりくみに自信を持ち、「無差別・平 等」の医療・介護の実践を太く打ち出していきたい。

藤末 私が働いている東神戸病院では、全開業医のアンケートに基づいた「在宅医療フォーラム」を二月に催します。区医師会が共催です。民医連がとりくむ「無差別・平等の地域包括ケア」は、地域では求められています。

後藤 私たちも救急で「断らない」を合言葉に実践するようにしてから、地域の開業医さんに信頼してもらえていると感じます。

岸本 一月中旬のHPHセミナーは、日本病院会の後援が 決まりました。民医連のとりくみを「もっと発信してほしい」とも言われました。自治体病院協議会の邊見公雄会長もあいさつしてくださいます。民医連は昨 年、「人権としての医療、介護保障をめざす提言」で解決策を示しています。これを持って踏み出していきたい。

私たちはこれから何をめざすのか

藤末 後藤先生は医学生運動や医師受け入れ分野を担当されていますが、新専門医制度の影響など、どうですか?

後藤 想像以上に医学生たちは焦っています。大学の教官 から「専門医をとれ」と言われることもあり、制度への疑問を持つことなく、「とにかく専門医を」という雰囲気です。専門医の時代になるとしても、大事なの は「医師になるのは、何のため、誰のためか」ということです。国民のために医師という職業が必要なのですが、そういう医療観なしに専門医取得だけが目標に なることを、危惧しています。意識的に「どういう医師をめざすのか」を語り、その上でどんな専門医をめざすのか、学生に話すようにしています。

藤末 医学生から見ると、ips細胞を含め最先端の医療に光が当たる中で、専門的スキルがなければ医師として価値がない、という意識が助長される状況でしょうか。スキルと共に、先生の指摘のように、何のため誰のための医学医療かが問われる時代ですね。

後藤 はい。ですから民医連が重視している「地域にねざした医療・福祉の実践」や「無差別・平等」について、フィールドワークも含めて語るようにしています。

藤末 最後に、二〇一五年は戦後七〇年、被曝七〇年の節目です。

後藤 戦争を経験した世代の患者さんには、戦争体験を聞くことを大事にしています。そこが人生の原点になっていると思うからです。そして、戦争を知らない私たちが戦争を許さない運動を広げていくためにも必要だと思います。
 救急搬送された九〇代の男性患者は、足指が何本か欠損していました。シベリアに抑留され、凍傷で失ったそうです。若い医師、研修医、看護師などにも聞いてもらうことを意識しています。

藤末 私もNPTに向けて民医連が呼びかけている「ピースチャレンジャー」となり、患者さんに核兵器廃絶を求める署名用紙を手渡しています。たくさんのカンパ付きで返ってくる署名もあり、託された思いを感じます。

岸本 被爆者の平均年齢も八〇歳を超えました。先日、 “憲法の伝道師”と呼ばれる伊藤真弁護士が、興味深いことをおっしゃっていました。日本は一八八四年の台湾出兵から一九四五年の終戦まで七一年間、戦争を し続けました。戦争をしなくなってから今年で七〇年。もう少しで、戦争をしてきた年月を戦争しない年月が超える、と。戦争しない、核兵器は地球上から廃絶 しよう、ということを、本当に実現したいですね。

(民医連新聞 第1587号 2015年1月5日)

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