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2015年2月3日

阪神・淡路大震災20年 「人間の復興」あきらめず

 阪神・淡路大震災から二〇年を迎えました。一九九五年一月一七日午前五時四六分、震度七、マグニチュード七・三の巨大直下型地震は、死者六四三四人、負傷者四万三〇〇〇人と、約二五万棟におよぶ家屋の全半壊という被害を出しました。
 「忘れない―」。一七日を前後してそんなフレーズが飛び交いましたが、住まいや仕事、暮らしを破壊された被災者たちには、いまもなお復興住宅からの追い出しや、中小企業の融資問題、住民不在の再開発などの問題が立ちはだかります。まさに「復興災害」です。二〇年間「人間の復興」を求め、運動を続けてきた阪神・淡路大震災救援・復興兵庫県民会議が一七日に神戸市内で開いたメモリアル集会では、阪神・淡路の被災者の現状や、被災者支援策の課題を語り合いました。(木下直子記者)

 「二〇年でひと区切り、そういって活動を終えるわけにいきません。私たちの課題は東日本大震災の被災地にもつながっているのですから」。県民会議の岩田伸彦事務局長は、一部・二部あわせて六時間にわたり行ったメモリアル集会の結びに語りました。
 この場で被災者が行った報告にはそう言うしかない現状がありました。

■「復興災害」の実際

 《融資》被災した中小業者について報告したのは兵庫県商工団体連合会の磯谷吉夫会長。被災から二年後に実施された消費税五%増税が中小業者を廃業や倒産に追い込みました。そして震災一〇年目から、行政が貸し付けた「緊急災害復旧資金融資」や「災害援護資金」の元金返済が迫られました。
 緊急災害復旧資金の貸し付け三万四〇〇〇件のうち、一万五〇〇〇件が未返済です。また、返済されたうちの四〇〇〇件は、融資を受けた業者が倒産し信用保証協会が行った「代位弁済」です。
 「街はきれいになり、大手企業も進出したが、中小業者の苦闘は続く」。磯谷さんは業者仲間の窮状を紹介し、声を詰まらせました。

 《再開発》震災による大火災に見舞われた長田区では、住民を置き去りにした再開発が行われています。対象面積は二〇・一ヘクタールで西日本最大。店舗と住宅を併設した再開発ビルは、店舗部分がなかなか埋まらず、自治体は何度も税金投入して入居を促す状態。
 「都市計画の決定は九五年三月。住民がまだ避難所にいる時でした」と神戸市議の森本真さん(共産)。「開発はゼネコンが順に請け負う形。プールのない学校の隣に巨大ビルを建てるのが神戸市のやり方。中小業者や住民には『日本は私有財産制』と援助せず、一方で大企業には億単位の金を流している」と指摘しました。

 《借り上げ復興住宅の追い出し》
 耳を疑うのが、借り上げ復興住宅からの「追い出し」です。震災で自宅を失った高齢者や低所得者に、兵庫県と被災五市が民間の建物を借り上げて用意した復興住宅の契約期間が二〇年で満了するという理由で、年老いた被災者に退去を求めている問題です。
 供給された復興住宅四万二〇〇〇戸のうち、借り上げは七五〇〇戸でした。退去を知らされず入居した被災者がほとんどで、兵庫県や西宮市の入居契約書には期限の項目すらありませんでした。しかも通知は二〇一〇年夏、震災一五年後に初めて行われました。
 当初「原則、全員住み替え」を打ち出した県や神戸市は、批判を受けて継続入居の基準を策定(一二年)。▽要介護3以上▽重度障害者―は無条件で継続を認めますが、年齢の条件は、県=原則八〇歳以上、神戸市=八五歳以上。線引きした年齢が平均寿命(男性)を超えています。神戸市は、期間満了時に八四歳一一カ月という女性からの継続の陳情も認めませんでした。「結果を聞いた女性は失神した。『期限までに死にたい』と言います」と、震災復興借り上げ住宅協議会の安田秋成会長。
 一番条件が厳しいのが西宮市で、年齢による継続なし。また要介護3以上や重度障害者でも「希望の空き室が見つかるまで五年間の猶予」を認めただけです。尼崎市は方針未定、宝塚市と伊丹市は全員の継続入居を認めています。
 「高齢者や障害者などの弱者は、大震災で死に、避難所で死に、仮設住宅で死に、復興住宅でも死んだ。四度の危機を乗り越え、これが五度目の危機。これは低所得差別で、高齢者福祉の問題でもある。終の住処を守ります」。安田さんは決意を語りました。

■社会格差が被害拡大

 記念講演で被災者支援の課題を考察した愛知大学の宮入興一教授は、政府がすすめた神戸空港開設などの「創造的復興(開発・成長優先型復興)」に対抗する復興理念に「人間の復興」があり、これは阪神・淡路の被災者の運動が定着させたと評価。「格差拡大、地域社会の不均衡で災害の被害は拡大傾向。だからこそ公的支援の整備が必要」と、語りました。


院内でメモリアル企画
「私たちは震災を風化させない」
東神戸病院

 一月一六日、東神戸病院(神戸市東灘区)でもメモリアル企画を開催。震災時、同院は神戸協同病院(長田区)とともに、全国支援を受けつつ奮闘しました。大震災時の活動に関わった職員は現在全体の三分の一未満に。入院患者を守り、押し寄せる負傷者を手当てし、必死に働いた職員たち。それをささえた全国の支援者―。先輩職員三人が体験を共有すべく、当時を語りました。
 また、被災者支援を行う「阪神淡路大震災よろず相談室」代表の牧秀一さんを招き、孤立や貧困、「震災障害者」など現在の課題も学びました。

(民医連新聞 第1589号 2015年2月2日)

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