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2015年6月2日

里子・里親 文・朝比奈 土平 (5)アキラとおばあちゃん

 アキラにはおばあちゃんも一人いる。彼は「あっくんのことがだいすきなおばあちゃんやろ?」と言う。里親研修の途中、一二年の年始に帰省した時に「里親をしようと思っている」と伝えた。
 数分はなにを言っているのかよくわからないというような顔で「へえ、そう」とか言って台所に立って、それから椅子に座って「二人がかわいがってやる子が来るんやったら応援するで」と、ややぎこちない感じで言った。
 二カ月後に、アキラとの面会が始まると、具体的に何を気にしていいかわからないが、とにかく様子が気になるというようだった。
 実際に三人の子どもを育てているので、何か相談に乗ってもらえるかと期待していた。ところがいざ生活が始まって何か相談しようと電話しても、きまって「そうやなあ。どうやったかなあ。昔のことやから忘れたなあ」というばかりだった。
 アキラがきた夏の終わり頃、ファクスが紙を吐き出した。
 「なつのはじめにあっくんがきた かわいいかわいいあっくんがきた」とはじまり「たからもの」ということばで終わる歌の楽譜で、手書きの五線紙に、三番のコーダはちょっとメロディを変えていた。
 おばあちゃん。子育てのアドバイスはまったく役立たずだったけれど、まあいいか。
 この国では、四万六〇〇〇人を超える子どもが生みの親のもとでの養育を受けられないという。貧困やさまざまな理由で、安心して家庭で育つ権利を保障されない子どもの数は桁(けた)が違うのではないだろうか。

 アキラとのことを書いている原稿料の一回分に少し足して、辺野古基金に送金した。数日後に「基金二億円を超える」と新聞に出ていた。
 一月に家族三人で沖縄に行った時、キャンプ・シュワブのゲート前で「四歳の男の子に飴をあげてくださいねー」と呼びかけて、両手いっぱいのニッキ飴やら黒糖飴をくれた山城ヒロジさんは悪性リンパ腫を公表して闘病中だという。快癒を願わずにいられない。
 沖縄も、家族たちと同じように、アキラと僕らを迎え入れ、育んでいる。

(民医連新聞 第1597号 2015年6月1日)

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