健康・病気・薬

2015年6月16日

相談室日誌 連載394 「やっと人間に戻れた」 路上に倒れた人を支援して(岡山)

 Aさんはホームレス状態で仕事と住まいを求め、大阪を目指して九州から歩いていた七〇代の男性でした。何も食べず、駅や道端で寝て数日、ついに倒れてしまったところを発見され、当院に救急搬送されました。入院当初は周囲のことが信用できず、怯えていましたが、時間が経つにつれ落ち着きを取り戻しました。「やっと人間に戻った気がする」とポツリと言われました。
 Aさんは九州生まれで、家が貧しく、両親や兄は働きづめで、寂しく育ちました。中学卒業後、丁稚奉公へ。その後は建設現場や炭鉱を転々とし、住み込みで働きました。ギャンブルに溺れて兄に金銭的負担をかけ、二十数年疎遠になっていました。年をとると仕事が減るため、年齢を若く偽り、偽名で働いてきました。偽名では健康保険を得られず、治療は自費でした。
 解雇されて住居も失ったのは三年前。多少の蓄えと日雇い仕事でしばらくつなぎましたが、高齢のためそうした仕事もなくなりました。「死のう」と考えて最後の墓参りに九州に帰郷。再会した兄と数日過ごし、「兄の世話にはなれない」と、大阪を目指していたのでした。
 治療で次第に元気を取り戻したAさんは「できれば兄の近くで生活したい」と望みました。兄と福祉事務所、九州の民医連SWと支援事業所の協力で住居を確保、Aさんは故郷で、ひとり暮らしを始めました。再び孤立しないよう、かかりつけは民医連のクリニック。「岡山と同じ系列の病院にかかりたい。そこで手伝えることがあれば何でもしたい」と、Aさんは前向きでした。高齢者支援センターの見守りや兄の応援もあります。 
 Aさんが社会から孤立するまではあっという間でした。自分で這いあがれるものではなく、孤立していく過程で何の支援にもたどり着けず、行きつくところまで行ってしまいました。しかし、Aさんは再び社会とつながりました。個人と社会をつなぐ―。SWの大切な役割を考えさせられました。また、お互いの顔を知らなくても、一人の相談者のために通じ合える民医連の素晴らしさも感じた事例でした。

(民医連新聞 第1598号 2015年6月15日)

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