MIN-IRENトピックス

2015年7月7日

第34回辺野古支援連帯行動 沖縄を戦争の基地にしない! 「見たこと、しっかり伝える」 ――全国の参加者

 全日本民医連が主催する「第34次辺野古支援・連帯行動」が5月28~30日に行われました。昨年11月、沖縄県では「辺野古に新基地はいらない!」という県民の願いを代弁する翁長雄志知事が誕生。続いて行われた総選挙でも、小選挙区4区すべてで基地反対の「オール沖縄」議員を当選させました。にもかかわらず、政府は辺野古への基地移設を強行すべく調査を続けています。連帯行動で全国の仲間が学んだことを通じて、沖縄の状況をみていきます。(田口大喜記者)

■「あきらめない」たたかい

1599_02 五月二八日、全国から集まった民医連職員は五三人。看護、リハビリ、歯科衛生士などです。
 初日はホテルで事前学習会。名護市に住む宮城好枝さん(やんばる統一連)を講師に、辺野古への基地移設をめぐるたたかいの現状を聞きました。「沖縄のたたかいは、国民のいのちと暮らしをないがしろにし、戦争のできる国へと突きすすむ安倍政権の暴走を止めるためのもの。全国の皆さんと力を合わせ勝利しましょう。合言葉は『あきらめないこと』。あきらめなければ必ず勝利できます」と宮城さん。
 東村(ひがしそん)・高江では、米軍ヘリパッド基地建設について伊佐真次村議(共産)から聞きました。高江はヤンバルとよばれる亜熱帯森林に囲まれた小さな集落です。
 東村と国頭村(くにがみそん)にまたがり、県最大かつ世界唯一のジャングル演習場である米軍北部訓練場があります。日米両政府は軍用ヘリコプターが離発着できるヘリパッドを、髙江集落を囲むように六つも作ろうとしています。ヘリの低空飛行で、天然記念物のヤンバルクイナをはじめ、多くの動植物が脅かされています。伊佐さんは、「ヘリパッドの建設業者は大挙して押しかけるので、数十人の座り込みでは太刀打ちできません。一人でも多くの人に参加してほしい」と呼びかけました。

■最前線を目の当たりに

 二日目、高江の座り込み行動に参加しました。テントの屋根には「Marines Get out!」の文字が。ここで座り込みを続けている人々の話を聞きました。
 次に名護市辺野古のキャンプ・シュワブゲート前へ。ゲート前で座り込みを続ける人々と行動をともにします。ゲートでは、大勢の米兵を乗せた車や何台もの大型トラックが、我がもの顔で出入りします。「出て行け!」と住民が抗議していました。
 たたかいの最前線の様子を目にした参加者たちは「これが沖縄の現実!?」と驚き、緊張が走ります。ゲート前の警備員たちと真っ向から対峙するかたちでデモを行い、「基地はいらない!」、「平和を守れ!」とシュプレヒコールしました。
 辺野古の海では漁船に乗って、海上調査もしました。船を操り、協力してくれた地元の人の中には、新基地建設のために漁ができなくなった漁師さんも。
 辺野古沖では埋め立て地域周辺でのボーリング調査に向け、臨時制限区域が設けられています。その境界に設置されたブイまで接近すると、ブイには注意書きが。「米国海兵隊施設・区域―許可なく立ち入ることは禁止されており、日本国の法令による処罰の対象となりうる」。海上警備員がメガホンで「ただちに退去しなさい!」と怒鳴りつけ、海上保安庁のゴムボートが私たちの船に近寄ってきました。
 沖縄の海は誰のものか? 考えさせられました。

■戦跡巡り、証言聞く

 三日目、南城市の糸数アブチラガマへ。アブチラガマとは、沖縄陸軍病院の分院として、沖縄戦の最中に負傷兵の治療などを行った洞窟です。軍医、看護婦、ひめゆり学徒隊が配属され、全長二七〇メートルの洞窟内を六〇〇人以上の負傷兵で埋め尽くしました。暗闇で足場の悪いガマの内部は明かりなしでは歩けません。当時はロウソクの火を頼りに這うように移動し、患者の治療、手術を行いました。「便所」とされた場所には排泄物を外に出す仕組みはなく、捨て置かれていました。洞窟内は凄まじい臭気だったといいます。
 一九四五年五月二五日、撤退命令により病院は撤退。重症患者は置き去りにされました。
 参加者は、糸満市のひめゆり平和祈念資料館を訪問。四五年三月二三日から学徒隊としてアブチラガマに動員され、負傷兵の看護をつとめたひめゆり学徒隊の足跡をたどりました。動員された学徒は二二二人。血と汗と糞尿の臭いが立ちこめる中、仮眠をとる間もなく負傷兵の看護と死体埋葬に追われました。戦局が絶望的になった六月、学徒生に突然の解散命令が下ります。すでに米軍は、沖縄全域を包囲。学徒たちは逃げ惑いますが、砲弾、ガス弾を受け、ある者は自ら手榴弾で命を絶ちました。動員された教師含む二四〇人中、一三六人が亡くなりました。
 元ひめゆり学徒だった仲里正子さんの証言を聞きました。学徒隊を要請された時は日本が負けているという情報は一切なく、「勝つまでがんばろう」と思っていたと言います。仲里さんは手術室を担当。手術は米軍の爆撃が止む夜間に行われました。一晩で一〇〇人前後の患者がガマに運ばれ、うち一割が切断手術でした。切り落とされた手や足を運びました。
 解散命令後、仲里さんたちも逃げ惑い、たくさんの仲間が殺され、自決する姿を見ました。数人で集団自決をはかろうとした寸前で日本兵に助けられ、終戦を迎えました。仲里さんは「基地は戦争につながるもの。私は不安でしかたありません。多くの人にこのことを伝えて下さい」と、力を込めました。

*   *

 「いま沖縄が抱える問題を全く知らずに来ましたが、現地のたたかいを見て驚きました。こんなにも激しい現状がなぜ報道されないのか。また、戦時中はこんなにも過酷な医療があったこと、医療者として仲里さんの話をしっかり伝えたいです」と語る言語聴覚士の平野幸恵さん(福岡・大手町病院)。
 「連帯行動の参加が決まって初めて、沖縄について勉強してきました。しかし、沖縄の基地をめぐるたたかいは想像以上に深刻で、中途半端に来た自分が恥ずかしかった。リアルな沖縄を伝え、北海道からも連帯したいです」と三年目放射線技師の牧野哲也さん(北海道・勤医協札幌西区病院)は語りました。


辺野古基地建設をめぐる動き

■沖縄県議会が辺野古新基地建設断念と普天間基地の閉鎖・撤去を求める決議を採択(2014年12月)
■基地建設の海上作業が再開、知事は作業中止を要請(2015年1月)
■辺野古海底に投入された20tブロックでサンゴ礁が破壊。知事は沖縄防衛局にブロック設置などの停止を指示。指示後も搬入が続く(2月)
■防衛局が海底ボーリング調査を再開。知事が同局に辺野古沖埋め立て作業中止を指示。林農水大臣が県の工事停止指示の無効を決定(3月)
■安倍首相が翁長知事との会談にようやくこたえる(4月)
■知事が訪米し、辺野古への新基地建設NOの民意を伝える(5月)
■県議会与党が、県外からの土砂持ち込みに関する条例案。採択されれば埋め立て工事の足かせに(6月)

(民医連新聞 第1599号 2015年7月6日)

リング1この記事を見た人はこんな記事も見ています。


お役立コンテンツ

▲ページTOPへ