いつでも元気

2002年3月1日

メンタルヘルス悪化の社会的背景 仕事の後にはそれに見あった休養を

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鈴木安名
静岡・三島共立病院内科
現代労働負担研究会世話人
ホームページ http://homepage2.nifty.com/yasunas/

  産業界の激変 …職場にすさまじいストレスが

 メンタルヘルスが悪化して、パニック障害やうつ病など心の病気をひきおこすしくみは、実はまだよくわかっていません。前号で書いたように電通過労自殺事件の最高裁判決では、長時間勤務そのものがうつ病をひきおこすとしています。

●いつの間にか異常な長時間に

 図1 うつ病による認識のゆがみと気付きの不能状態
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 長時間勤務と職場のストレスがもとになり、メンタルへルスの悪化が進んでいく場合、病気の ために認識がゆがんで、ただでさえ気づきにくい職場のストレスがなおいっそう見えにくくなります。それでも当初は上司などに目が向き、批判めいた気持ちを 持ちます(他罰的傾向)。病気の進行につれて自責の念が強まり、頑張ろうとするほどワーキングパワーは消耗していきます。業務がはかどらずミスも増え、さ らに仕事の処理に疲れはてていく結果、目を外に向ける余裕がなくなり、自分ばかりに物事の責任を負わせる(自罰的傾向)ようになり、最後には自殺したい気 持ちが生じるのです。
 ここでは視野が狭まって、ストレスへの気づきなどは生じようもなくなります。

 NHKの調査によれば、首都圏サラリーマンの3人に2人が帰宅は夜の10時過ぎ。ということは生きていくために必要な食事や入浴、トイレなどの時間をのぞくと、自由になる時間は1時間あるかないかとなります。
 働く女性は家事や育児もあるから自由時間などなく、睡眠時間も削るほどとなっています。
 諸外国にくらべてもこのように異常な長時間勤務が、はたらく人びとの心と身体を大きくゆがめ、過労死や自殺、在職死亡、定年後すぐに病に倒れる人を増やしているのです。
 私が子どものころの昭和30年代、外で遊んでいると、7時前には「お父さんが帰ってきたよ、もう晩御飯だから家に入りな」と言われたものです。植木等の 「スーダラ節」はホラではなく、「いつの間にやらはしご酒」というように当時のサラリーマンは「はしご酒」ができる時間に退社できたのです。いつの間にか サラリーマンは居酒屋に立ち寄る暇すらなくなり、夜更けてようやく帰宅するのが普通になってしまいました。
 「いつの間にか普通になった」というところが大変な曲者で、物事の変化は少しずつおこると、慣れてしまい、多少労働時間が長くなってもその疲れは気づきにくくなるのです。
 ある若い男性は過労のために激しいめまいで入院しましたが、母親は息子の帰りが夜の11時すぎであるのを、世間なみだとおもっていたほどです。
 また、「サラリーマンの帰宅は10時、11時すぎが当たり前」という過酷な長時間労働になっているのは日本だけで、人間の心と身体のしくみにとっては異常事態なのです。

●外国企業との競争も

 さらに産業界の激変が職場にすさまじいストレスをもたらしています。ここ15年で、世界中の大企業のもつ金や製品を作る力が、以前に比べてとてつもなく大きくなりました。
 かつては発展途上国とよばれた国々にも交通が発達し、電気や水道もひかれつつあります。
 電話やファックスそしてインターネットの登場の結果、お金さえあれば世界の誰とでも、好きなように話せるだけでなく、文書や写真、音楽までもやりとりできるのです。
 なによりも物をつくる技術が進歩して、熟練した人ではなくても少々の訓練で立派な製品ができるようになりました。
 さらにより良いものを安くはやく作り出せ、という圧力が強まって、かなりの工場が中国に移動してしまいました。テレビ、ビデオ、洗濯機などの家庭電化製 品はほとんど輸入品です。人件費を限りなく安くするためなのですが、経営者の目には中国での人件費がものさしになって、日本国内の従業員の給料や社会保険 料までも異常に高く見えてしまう。
 日本国内の企業は、外国企業との競争に負けないようにという掛け声で、根を詰めて限りなく長い時間働くしくみをつくりあげてしまいました。サラリーマン が夜遅くまで働くほど、人手は少なくてすむのでリストラが進む。サラリーマンはリストラされたくないため、さらに仕事に励んでしまうという長時間勤務の悪 循環ができあがったのです。

●会社好みの人間になり

 最近では、給料の出し方まで変りました。年功序列ではなく、会社のつけた成績表できまる時代になったの です(成果主義)。昔は勤続20年の係長だといえば、その会社ではだいたい給料は同じでした。ところが今では小学生の通信簿のようになって、仕事の量だけ でなく、勤務態度までみられるようになりました。
 そして何より問題なことは、給料に大きな差が出るのです。同じ会社、勤続年数、同じ地位なのに年収で100万円も差がついたらたまらない。相対評価なの で、50人の社員のうち、40人が95点をとったらあとの10人は90点を取っても、5段階の3にすらならないのです。馬車馬のように働いたうえに会社好 みの人間になり、そのうえ同僚と激しい競争をしなければならないのです。
 年配の方には信じられないかもしれませんが、サラリーマン同士が居酒屋で愚痴をこぼしたり、上司の陰口をいってハネを伸ばすことなどは、もう過去のもの になりつつあります。職場で悩みを抱えても気の許せる仲間はいないし、家に帰るのが遅いから家族ともゆっくり話せないのです。

  過労死しやすい性格 …自分の意思で働いてしまう
?38度くらいの熱で仕事を休むことは、他人に迷惑をかけると思う
?手抜きは嫌で、几帳面でコツコツ仕事する性格だ
?周りに気を使って、宴会などでは場を盛上げる方だ
?仕事にはこだわる方で、周りから割と信頼されている
?嫌なことでも断れないやさしさがある

 働く人がとことんまで心身をすり減らしてしまうような職場のしくみは、民間企業だけでなく自治体や学校、医療の職場までどんどん浸透しています。
 前号に書いた教師の職場にも成果主義が入ってきました。このような社会の激変のなかでは、好ましいはずの性格が、あだになってしまうのです。みなさんご自身は、上記の事柄はいくつあてはまりますか?
 このうち3つ以上あてはまれば、立派なうつ病や過労死候補生でとても危険です。
 こういう完全主義で正義感あふれる優等生は、ものすごく仕事をして周りを楽にさせてくれる職場では人望のある方です。
 とかく心の病というと、心の弱さで起こるなどと思われていますが、これは無知や誤解にもとづく偏見です。優等生タイプの人は、今の経済のしくみのなかでは、生命力が完全になくなるまで自分の意思で働いてしまいます。
 過労自殺のほとんどは、うつ病によるものですが、事例集をひもとけば心が弱いどころか、すべて職場の鏡として働きぬいた方ばかりなのです。

  がんばれば報われる? …「巨人の星」の世界はいまや
 図2 ビジネスマンのメンタルヘルス活動
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 労働組合がある場合、まず法を遵守して安全衛生委員会をきちんと立ちあげます。そこでメン タルヘルス活動を提案したり、旧労働省指針にもとづく「心の健康づくり」をうながす必要があります。どうやっていいかわからない場合、労組の上部団体にき く、産業保健推進センターと相談する、中央労働災害防止協会主催のセミナーに出るなど、社会資源を活用しましょう。

 中年以降の日本人なら誰でも、人に迷惑をかけるな、やればできる、今は苦しくともがんばればいずれ報われる、と学校や職場で育てられたはずです。
 とりわけ男性は「巨人の星」の世界で、弱音をはかず黙々と働き、周りには優しく振るまい、家には仕事を持ちこまない(持ち帰り残業ではなく、仕事の愚痴をこぼさないという意味)、そういうしつけをうけてきたはずです。
 日本の職場のなかでは病気になって休むことは迷惑であり、まして病気や不幸もないのに年休をとるなど、非常識ということになってしまいました。
 しかし憲法や労働基準法に書かれてある権利でも、それを働く人が使わないと消えてしまいます。
 今の日本では、産業界の激変が公務員にも伝染して、目先のカネにならないことは徹底して節約する美風(!)がまん延しているので、教育や医療福祉の予算は削られていくばかりです。
 社会のあり方が進歩し、高度になった今でも、小学校は明治以来の1人担任制。今の学校には年休を取るとか、病気になったら療養するという当然の権利を保 障する教職員数の配置などはありません。そういうなかで、周囲に迷惑かけたくないと病休を取ろうとしないで、ぎりぎりまで働いてしまう。だから誰かが倒れ ると連鎖反応が起こってしまう。
 教師の仕事は特別だから、と考えてスーパーマンを続ければ結局は倒れるのです。
 遅くまで学校に残り、フロッピーやメールで仕事を持ちかえり残業する日本の教師のありさまは、企業のサラリーマンと全く同じです。労働基準法や憲法が無視されているのは民間企業だけでなく、学校もそうです。

  達成感という曲者 …一時的には疲れを消すが

 前号のAさんはうつ病になったとき、人間関係のストレスはあまりなく、教師の仕事で自己実現していました。それがどうしてうつ病になったのか?
 職場のうつ病は働きすぎでおこる社会的な病気だからです。意義ある仕事で自己実現していてもうつ病は起こります。度を過ぎた働きやがんばりは自発的であれ、強制であれ、うつ病や過労死のもとなのです。
 ところが教育という仕事そのものは理屈ぬきに面白いのです。厳しい労働条件下でも、10年後に教え子が立派にやっている姿を目の当たりにすれば、教師冥 利に尽きる。子どもが自分に共感してくれて、父母、同僚・上司の評価も良ければ、達成感、充実感で喜びも生まれるでしょう。
 職業として献身的に他人に尽くすこと、それで自己実現するのは素晴らしいことです。
 しかし、ものごとには必ず光と影の部分があります。達成感や充実感は一時的に疲れを消してくれますが、疲労し、消耗しているという心身の現実を変えるものではありません。
 仕事をしたあとには、それに見合った休養と充電が必要なのです。

  身を守る権利を知ろう …教え子を職場で死なせるな
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■筆者の近著です
発行:連合通信社
発売:あけび書房
(定価 1200円+税)

 日本には働き方を規制する労働基準法や労働安全衛生法など、先人の尊い犠牲の結果、制定された法律があります。したがって使用者は職場での安全と労働者 の健康を守らなければならず、もし労働者に過労死や過労自殺があった場合、使用者は安全配慮義務違反となり罰せられ、償いをしなければなりません。
 しかし不幸なことに教師を含めた多くの勤労者にとって、これらの知識は道路交通法の10分の1も普及していないのです。
 教職員組合は、「教え子を再び戦場に送るな」とよくいいます。私はそれに「教え子を職場で死なせるな!」と付け加えたい。自分と仲間を職場で死なせないようにして欲しいのです。
 教え子たちが過労死やうつ病による自殺のため、次つぎに死んでいく日本の職場の現状を学校の先生がよく知ると同時に、自らの教育の職場というものを分析していただきたいのです。
 教育の職場も民間企業と同じで、労働基準法などのルールがないから、先生方は自分と教え子の命を守るために、ぜひ労働安全衛生法や産業医学の知識を身に つけていただきたいと思います。権利というものは自ら行使しなければ消滅することをお忘れなく。

 山本周五郎は『赤ひげ診療譚』の中で、「無知と貧困さえなくなれば、たいていの病気はなくなるものだ」という意味のことを言いました。この言葉は今いっそう光っています。
 貧困は現代では、おカネの不足だけでなく命を保つ時間の不足でもあり、無知は労基法や労働安全衛生法、メンタルヘルスなどへの無知といえましょう。そういう意味では、今も昔も変りません。

いつでも元気 2002.3 No.125

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