いつでも元気

2002年5月1日

元気スペシャル 私のまちのまちづくり 山形・本間病院友の会

genki127_01_01 

 山形県酒田市にある本間病院(医療法人健友会)は、一九四九年に前院長の故・本間誠医師が診療所として開 設。以来、地域医療にとりくんできた一五四床の病院です。この病院がいま、高齢化、空洞化に直面する市街地再開発の?核?となり、友の会員や市民ととも に、全国にも例のない新しい形の街づくりの先頭に立っています。

病院はじまって以来の大運動

genki127_01_02 「こんにちは、本間病院でーす」
 在宅介護支援センターの相談員、羽田純子さんが元気な声をかけ玄関の戸を開きます。春の大運動の一日。友の会役員の丸谷緑さんとともに、署名集めに地域をまわっています。
 「いまのお、医療費高くなるから上げるなっていう意思表示で、署名してもらってるとこなの」
「んだっけのお。私らみたいな年よりはどうなっかと思ってんのよ」
 本間病院は昨年六~七月と秋、この春と三回続けて大きな運動にとりくんできました。
「第一の目的は、小泉医療改悪の本質を知ってもらい、反対署名を集めること。反応は予想以上で、ほとんどの人が医療への不安を訴えます」と、事務局長の薄木孝時さん。この日も高齢者の家ほど話が長引きます。
「お知りあいでもかまわねよ。これに署名して出してもらいてえんだ。もっけだのお(申し訳ありません)」
「なんの。まんずよろしく、がんばってください。みんなのためだものの」
こうして会員と職員がペアで歩き、昨年夏と秋で合計一二〇〇件もの個別訪問を実施。病院はじまって以来の大行動になりました。病院新築、それも、街ごと生 まれかわる壮大な計画のための、会員と「けんこう基金」拡大という目標があったからです。

genki127_01_03
遊佐町の名勝16羅漢岩。岩の形を利用して仏が彫られている。

長びく不況で商店街が低迷

 農村健診活動や結核患者会「太陽社」の組織、そして山形県民医連の結成。故・本間誠医師は、戦後一貫して地域住民の医療、健康の向上のため献身的にとりくんできました。一五年前に亡くなってからも、本間病院は市民に信頼される病院として医療活動を展開しています。
一方、病院のある酒田市中町は、商店や飲食店の集まる昔からの繁華街。病院創設当初は町の最盛期でした。
「商店街の真中に病院をつくるなんて、と嫌がられましてね。入り口を商店街の中から、裏側に移したりもしたのですよ」
と当時の病院事務長で、現在は友の会会長の村上酉吉さんは言います。
ところが、その商店街が長期不況で低迷し、郊外に「東北一」という巨大スーパーが出現したこともあって、客足が遠のき閉店が続出。商店主たちは「街づくり期成会」などの組織をつくり、地域の再開発と活性化策を練ってきました。
しかし、「再開発の?核?となる施設がなかったから一〇年以上たっても結論は出ませんでした」と、医療法人健友会の西俊雄常務理事。
「大スーパーなどを誘致するにも土地代が高い。ドームやプールをつくる案も出たが、どれも現実性がなかったんです」

病院を「核」に再開発を

genki127_01_04
友の会事務局長の薄木孝時さん
genki127_01_05
友の会会長の村上酉吉さん

 本間病院は八九年の長期計画で、老朽化した病院建物の新築拡張を打ち出しましたが、資金計画未確立が原因で九一年に計画を断念し、中止になっていました。
 その本間病院に二年前の二月、地元商店主や酒田市から声がかけられました。
 「将来もこの地にとどまってほしいし、『コアタウン活性化街づくり』計画があるので参加してほしいとの申し出がありました。病院としても、第四次医療法 改定に対応するにはいまのままでは狭すぎる。二〇〇三年までには拡張を迫られていましたので」と西さん。
 どのような医療構想をもつかを管理部や理事会で議論の末、半年後に市と街づくり期成会などに「『街づくり』という視点からの再開発計画」を提出しまし た。「医療・福祉と商店街が一体となった、人びとが集い、高齢者にもやさしい、安心して住み続けられるまちづくり」を、という計画です。
 「この計画を、市も街づくりをすすめる人たちも積極的に受け止めてくれて、再開発計画が大きく動き出すことになったのです。市長も素晴らしいと、大いに乗り気ですよ」と西さんは言います。
 市が駐車場にしていた約三〇〇〇?の土地に病院を新築移転。現在の病院の街区に住宅やテナント(貸店舗)、立体駐車場、さらには「親子ふれあいサロン」や「国際交流サロン」など行政の建物の入るビルが建設されます。
 二月末には再開発をすすめる準備組合を結成。本間病院の中島良明院長が組合の理事長に就任しました。市民の信頼を得てきた本間病院が「核」になることで、全国にも例のない住民主体の再開発がスタートしたのです。

みんなでともに暮らしを築いて

 大運動のなかで班員が増えた支部のひとつが鳥海山の麓にある遊佐町。海辺に近い十里塚地区は八〇戸ほどの集落。現在では三分の一の世帯が友の会員です。
「ここは昔、男たちが北海道に出稼ぎ漁にいった土地。残された年寄りや女、子どもが、身を寄せ合って生きてきた集落なんですよ」
そう語る斎藤勝士さんは、友の会の遊佐支部長。
現在の班長は、町会長の池田和也さん。班会での健康チェックに喜んで入会。今年初めにはヘルパーの資格もとりました。
「今後は地域で、年とった人らを預かっていくのがいいのでないか。班会なんかも利用して、自分たちの老後を支えあっていければいいと思っているんです」と池田さん。
遊佐町には十里塚規模の集落が一〇八あります。斎藤さんはすべての地区を歩き、健康づくりの話で班を組織してきました。二年前からは郡部の会員のため、病院までの通院バスを友の会で運行。
 「訪問すれば、この世の中どうやって生きていったらいいんだかという話になるんです。多重債務などの相談を受け、弁護士を通じて裁判しているケースが三 件も。私なんか便利屋だよ。でも、私らを信頼してくれるんだから、お互い助け合って生きていこうと励まして組織を拡大していってるの」と斎藤さん。
酒田市中町の再開発構想は、市と県が予算化をし、具体的に動き出しました。
 「いずれは遊佐にも、往診型の診療所をつくりたいって思ってるんですよ」と斎藤さんはいいます。
暮らしにくく不安がます現代。健康づくりを中心にした新しい街づくりが、本間病院から大きく展開していこうとしています。

genki127_01_06
友の会の班会。左手前から2人目が斎藤勝士さん。右から2人目が池田和也さん

文・矢吹紀人/写真・五味明憲

いつでも元気 2002.5 No.127

リング1この記事を見た人はこんな記事も見ています。


お役立コンテンツ

▲ページTOPへ