いつでも元気

2002年11月1日

元気スペシャル 「命の源」海を荒らし今日も米軍演習 沖縄・名護市 辺野古のひとびとはいま

 沖縄の海は透明度が高い。夏の終わりとはいえ、さんさんと降り注ぐ日の光が海底にまで届き、ゆらゆらと海面の揺れが影になって海底を動かしているようだ。澄みきった静かな海の中は、心も体も自由にしてくれる。息の続く限りいつまでも潜っていたくなる――。

写真家 森住 卓 

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ジュゴンのエサ場でもある藻場

「サンゴ礁のどまん中」埋め立て、
対テロ戦恒久基地
「新基地基本計画」に衝撃ひろがる

  八月末、沖縄県名護市辺野古の海を見に行った。米軍の新基地建設が予定されているところだ。舟に乗せてもらった東恩納琢磨さん(41歳)はこの海を守ろうと、「ジュゴンの里」作りを提唱している。
 水深二~三メートルのリーフ(サンゴ礁の浅瀬)のサンゴは一時、白化現象で死んでしまった。一説には、エルニーニョ現象による海水温の異常上昇が原因で はないかという。しかし、最近ようやく、少しずつ再生してきている。そのサンゴの間を赤や黄色、青などの色鮮やかな熱帯魚が泳ぎ回っている。砂地の海底は 薄緑色の藻がびっしり生えている。
 サンゴ礁が波を消し、鏡のようにおだやかな海。さまざまな命が生きる藻場は、海藻などを主食とするジュゴンには大切なエサ場でもある。絶滅危惧種ジュゴンの保護にとりくむ世界の環境団体も、この藻場に熱い関心を寄せている。

 
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辺野古の海岸で上陸演習する「欧りこみ部隊」米海兵隊

「あれが海をめちゃくちゃにする」
 舟に上がると、東恩納さんの緊張した声が響いた。「あれが、海底を荒らし回って、サンゴや藻場をめちゃくちゃにしてしまうのだ」
 指さした陸の方を見ると、浜辺では、水陸両用戦闘兵員輸送車が水しぶきをあげながら上陸演習をくり返していた。
 辺野古海岸は、砂浜の金網を境に、住民の集落と米海兵隊のキャンプシュワブが隣りあっている。東恩納さんが生まれた名護市字瀬嵩は、キャンプから三キロ 足らずのところにある。子どものとき、「なぜここにアメリカー(キャンプシュワブ)があるのか」と父親に聞いたら、「しようがなかった」とぽつりと言っ た。その父親の背中がいつもより小さく見えた記憶だけが残っている。
 

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「ジュゴンの里」づくりをしている東恩納さん

戦後、沖縄の米軍基地は銃剣とブルドーザーで住民を追いだし次つぎと作られていった。住民は命と暮らしを 守るため命がけで米軍に抵抗した。しかし、辺野古はみずから米軍を誘致した歴史をもつ。「しようがなかった」という父親の言葉の背後には、その歴史を背 負った住民のつらい思いがある。「そのオヤジの思いをくり返したくないんです」。東恩納琢磨さんは軍事基地建設に反対するわけをこう話してくれた。
 東恩納さんはことし五月から「ジュゴンの里」づくりを始めた。「埋め立てられた海を目の前にして戦闘機の離発着の騒音の中で暮らすのでなく、ジュゴンとともに暮らしていける地域を築きたい」というのが設立の主旨だ。

 

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「孫子の代までこの海を残してやりたいよ…」

地元の「頭ごし」に
 辺野古の海に巨大基地の建設計画が持ち上がったのは一九九七年だから、今から五年前になる。「返還」される普天間基地(宜野湾市)の代替基地として移転先に選ばれた。しかし、単なる代替えではなかった。
 七月二九日、発表された「新基地基本計画」は、東京ドーム四〇個分、旧名護市街がすっぽり入る二五〇〇メートル滑走路をもつ巨大な基地を、リーフを埋め立てて建設するというものだ。
 政府が当初いっていた「撤去可能なヘリポート」から、広大な海域を埋め立てる計画へ。「一五年使用期限」の条件もどこへやら、配備が決まっている新型大 型ヘリMV22オスプレイなど、飛躍的に強化された機能をもつ対テロ戦争の「恒久基地」の姿が露わになってきた。
 それは、地元(辺野古区行政委員会)が検討してきたものとは「まったく異なる内容」で、国、県、市がくり返してきた「頭ごしにはしない」という約束すら踏みにじるものだ。
 テレビニュースで「基本計画」を初めて知った地元が、とくに衝撃を受けたのは、「サンゴ礁のど真ん中を埋め立てる」ことだった。辺野古沖にある長島、平 島周辺のリーフは、基地建設に条件つき賛成の人びとをふくめ、住民すべてが「命の源」と考えている特別な区域であり、おかすべからざる神聖な場所なのであ る。

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金網のむこうは
米軍基地

葬られた「白紙撤回決議」
 与野党一二人で構成する市議会軍事基地対策特別委員会では、計画の白紙撤回をもとめる意見書を臨時議会に提出することで一致。ただちに地元選出の与党市 議が中心になって、いっきに意見書が書き上げられた。そこには、「リーフ上の埋め立ては絶対認められない」「長島、平島周辺のサンゴ礁はなんとしても守り たい」との強い思いがにじみ出ていた。
 市民の反発を知った政府は猛烈な圧力をかけた。一週間の間に決議の提案者たちが次つぎに辞退し、残ったのは日本共産党市議と無所属市議の二人。意見書提 案は会議規則で三人となっている。結局、意見書上程はできなくなり、意見書を審議する臨時議会も流会となった。
 しかし、名護市議会の与野党議員が「白紙撤回」を求めて臨時議会の召集を求めたこの「事件」は、「辺野古の海はぜったいに埋め立てさせない」という住民の思いがどれほど強いかを、内外にあらためて強く印象づけることになった。

 
 
 
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「命を守る会」事務所

海のおかげで子どもらは育った
 新基地建設に反対する「命を守る会」事務所は辺野古漁港の目の前にある。辺野古のオジイ、オバアたちが、交代でこの事務所にやってくる。
 島袋ヨシさん(90歳)は、深くシワが刻まれ色つやの良い元気なオバアの一人だ。「戦後の食べ物がない時代に、子どもたちにタコや貝や小魚をたくさん捕 らせてもらった。子どもたちはこの海のおかげで大きく育った」と戦後の苦しい時代を思い起こして話してくれた。そして「孫子の代までこの海を残してやりた い」と頬を伝う汗を拭いながらつぶやいた。
 住民投票、賛成派市長のリコールで示された「新基地ノー」の住民の意思を踏みにじり、計画をごり押ししてきた政府も地元、市、県を無視しては進めることができないでいる。
 静かに平和な暮らしがしたいという地元の人びとの願いは、豊かな辺野古の海から湧き出ているのだ。
 帰京直前、台風16号が沖縄に接近してきた。辺野古の海の表情はいつもの優しさから一変、数メートルの高波が押し寄せた。防波堤に打ち砕ける波の音は、基地建設に反対する人びとの叫びにも聞こえた。

いつでも元気 2002.11 No.133

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