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2016年2月16日

戦争反対 いのち守る現場から 港町診療所 沢田貴志所長 「これは明日の仕事に関わる問題」 デモ救護班に参加して

 戦争法反対の国民的なたたかいが起きた夏。国会前に集まった人々のかたわらにはいつも「救護班」が居て、安全を見守りました。ここには民医連関係者だけでなく「日本を戦争する国にしてはいけない」という思いでつながった開業医や勤務医の姿がありました。今回は救護班のコーディネーターとして活躍した沢田貴志医師(神奈川・港町診療所所長)に聞きました。

■救護班が見た光景

 救護を通して印象的な場面にいくつも遭遇しました。抗議行動には若者や子連れのお母さんのほか、高齢者の姿も多く見ました。杖をついた人、息を切らせ休み休み歩く人、脳梗塞の既往のある人も震える手で旗を持っていました。戦争だけはダメだと、いのちがけで来た人たちでした。
 九月に入ると国会前には連日、数万人規模が集まるようになりました。警備を強化した警察の装甲車や鉄柵が参加者を分断し、救護も簡単でなくなりました。小グループを組み、密集した参加者の中に入って見回っていると、冷や汗をかき、立ち上がれなくなっていたお年寄りを植え込みに見つけました。その時点では熱中症なのか心筋梗塞なのか分かりません。救護車まで運ぶため、私がその方を背負ったのですが、数歩で膝をついてしまいました。すると「病人だ、道をあけて」と声があがり、ざざざっと目の前が開いたのです。まるで映画の「十戒」でした。
 そこは身動きできない状態でしたから、ひとりひとりが体を寄せて協力してくれたのです。お陰で事なきを得ました。参加者が、いかにいのちを大切にし、助け合う心を持った人たちなのかを見た気がしました。あの運動は、スタッフはもちろん、こうした参加者のおかげで死者も出さず続けられたのだと思います。

■とにかく危機感で

 最初は私も抗議行動の一参加者でした。秘密保護法、集団的自衛権の行使容認の閣議決定、そして安保法制(戦争法)―。「平和憲法がこんな形で無視され、国会の数の力で無効にされてしまう。これを許しては、憲法二五条の生存権や健康権も無効にされかねない」。そんな危機感がありました。
 また、海外の支援にも関わってきたので、医療の平等があり、平和が保たれた日本社会を、なんとしても守らなければ、という思いも。世界から見ると日本には、誰もが平等に医療を受けられる優れたシステムがあります。公正な社会で暮らすと人々は勤勉になり、社会も安定しますが、平等でない社会では人々は不健康になる。これは身をもって感じてきたことです。
 無保険の外国人の支援をしていると、日本の医療も壊れつつあると感じます。最近も脳梗塞で公的病院に入院した外国人が、お金がないからと治療を止めて退院を求められました。「人権」とは「この人はこんな人間だから助けなくていい」というものではありません。一部の人の人権を認めなければ、やがてそれは拡大されてゆく危険性もあります。

■集まった仲間たち

 救護班に参加したきっかけは七月末の国会包囲です。梅雨明けの暑さに加え、警察の通行規制で参加者が必要以上に歩かされることが、気がかりでした。会場で救護車を見かけ、協力を引き受けました。
 六月に結成された「安全保障関連法に反対する医療・介護・福祉関係者の会」も救護班の一翼を担いました。「会」は地域医療のメーリングリストに「何かしないか?」との投稿があり発足しました。八月三〇日のあの大集会にも、被災地の公立病院や地方の病院から、仲間が駆けつけて救護をしました。新幹線で通ってくれた医師もいます。
 法案が強行採決された夜は午前二時頃まで国会前に居て、帰りのタクシーで小池晃議員の演説を聞きました。小池さんは大学こそ違え同期です。学生時代に民医連に誘われた時は別の進路を選んだのですが、誘ってくれた先輩には「もし日本の民主主義に危機が生じた時は一緒にやる」と伝えていました。今がその時だと感じました。
 「社会の不平等が健康を壊す。少ないコストで社会の健康を維持するには、平等と平和が必要」。これは政治哲学の話ではなく、科学的知見にのっとった事実で、戦争法は明日の私たちの仕事に関わることなのです。医療者が戦争に反対するのは公衆衛生上の責務です。普段はちょっとした方法論の違いがあっても、この共通の課題で一緒にやっていく時だと思います。

(木下直子記者)

(民医連新聞 第1614号 2016年2月15日)

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