いつでも元気

2003年2月1日

特集1 患者さんの痛み、少しでも減らそう 「私、死ぬまでここさ来っからの」 お年よりを守る命のネットワーク

 耐えがたい患者負担を強いる医療改悪に、日本医師会・歯科医師会・薬剤師会・看護協会の四師会も、そろって反対の声をあげました。「くらし の危機からの脱出」はいまや国民の声です。「患者の痛みを少しでも減らそう」第二弾は、山形で活動している酒田健康生協の人びとを訪ねました。     

 中西英治記者

合言葉は「丈夫で長生き」
 「いってきまーす」。介護にいくホームヘルパーが元気に出発する。患者送迎のライトバンが次つぎに出ていく。お年よりの患者がぼつぼつ姿を見せ、待合室もにぎわいはじめる――。 
 遠く、「日本百名山」の一つ、鳥海山の頂には雲がたれこめ、けさは冷え込む。それでも、酒田健康生協ふれあいクリニック(酒田市泉町)は、朝から活気にみちていた。
 クリニックの建物は新しい。一階にヘルパーステーション、三階に通所リハビリ施設があり、車で五分ほどの近所にショートステイ施設。あわせて「三つの在 宅支援」をうたっている。合言葉は、「じょうぶで長生き」。地域のお年よりには、小さいながら力づよい味方だ。

おばあちゃんにモテモテ

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やさしい風ぼうでファンも多い医師の本間卓さん

 健生ふれあいクリニックをささえる医師、本間卓さんは、親しみをこめて「ドクター本間」と呼ばれる。診察 がすんだのを忘れた患者が文句をいっても、「いま診察したじゃないか」とはいわない。「はい、はい」と何度でも「診てくれる」。患者の不安をとることを何 より大事にする。
 移転前はエレベーターがなかったので、おばあちゃんをおんぶして階段を登ることもあった。だからだろう、「私の愛人だよ」とほれこんでいる八〇すぎの患者など、おばあちゃんにモテモテだそうだ。
 応援の医師がくることもあるが、組合員六七〇〇人・職員七〇人の命とくらしは、基本的にドクターひとりの太腕(?)にかかっている。
 「最近は医者本来の仕事より、患者さんの負担を減らす苦労が多くて」。九月までは七〇歳以上の人はいつきても八五〇円だったのが、一〇月から一割負担になった。増えた負担をどう減らすか。
 症状が安定している人については、一四日分月二回だった薬の投与を、三〇日分月一回に変えた(注1)
 「来院を減らせば経営には響くが、とにかく患者の負担増をやわらげられる。でも、お年よりは二回来たいんですよ。『どうして?』といわれまして、こちらからお願いするのが大変です。私もほんとは患者さんの顔を見たい」
 そうやっても薬代の負担は増える。本間さんは、一番多く出る薬二〇品目を、使い慣れたメーカーのものから安い後発薬にきりかえた(注2)。改悪前の八、九月は、その仕事に追いまくられたそうだ。
 往診も打撃を受けた。月二回往診して一七〇〇円だった患者負担が、六七〇〇円にはねあがった。「申し訳ないが」、比較的軽い人は月一回に変えた。それだと一三〇〇円プラス薬代ですむからだ。
 「往診を減らすのはつらかった」
 遠く離れた地域まで出かけ、在宅患者が四〇人にもなる往診は、「在宅支援」を信条にしてきたクリニックの柱。「そうやってでも往診をやめない、つづける方法はそれしかなかった」。
 それもこれも、医療する側に痛みをともなう。「利益を考えたら、逆行していると見えるかもしれない。でも、患者イコール組合員。患者の痛みを少しでも減らすのが健康生協の理念ですから」 

ここだば家とおんなじだ

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「家にいるようだ」とよろこばれる
ショートステイ「にじの輪」

 酒田健康生協の事業で一番新しいのが、ショートステイ施設「にじの輪」だ。家庭で療養している人が、介護者の都合や留守のときなど、短期間の宿泊や介護を受けられる、在宅支援の施設である。
 九月オープンした「にじの輪」は、もとクリニックがあった建物を有効利用。一階に食堂や厨房、機能訓練室、浴室。二階に宿泊施設(四人部屋が四、二人部屋が二、個室が一。定員二一人)がある。
 ある利用者は「私、死ぬまでここさ来っからの! ここだば家とおんなじでいい」といったとか。利用者、家族の評判もよい。
 いま「にじの輪」の存在は大きい。高齢者の長期入院がむずかしくなるなかで、病院を「追われる」患者の受け皿ともなるからだ。
 そのことを如実にしめしたのが、Sさん(89歳)のケースだ。三カ月入院していた市内の大きな病院から健生ふれあいクリニックに転院。ところが、昨年一 〇月からの特定療養費制度(後述)で、入院日数の合算が一八〇日をこすと、保険から出る入院費が減額されることになった。脳こうそくの後遺症で心房細動と 心不全があったSさんは、クリニック入院三カ月、合算で一八〇日をこえても、家にはもどれず入る施設もなかった。
 ピンチを救ったのが「にじの輪」だった。 Sさんは九月に入所した。病状によってはクリニックに戻ることも考えていたが、さいわい二カ月目に特養ホームに入所できた。「困難なところをつないでいた だいた」と感謝したという家族の気持ちはよくわかる。
 危ない綱渡りのように、一歩まちがうと行き場を失う八九歳のお年寄り。手から手につないでいくリレーを可能にしたのは、クリニックと「にじの輪」のネットワークだった。
 前述の「特定療養費制度」は、一八〇日をこえる長期入院患者について、保険から病院に支払われる費用を一五%カットする(当面は経過措置があり、全面実 施は二〇〇四年四月)というものだ。長期入院患者の多い病院は、患者に退院してもらうか、差額を病院がかぶるか、患者負担にするか、悩んでいる。
 この制度では、一八〇日をこえた患者が退院して、三カ月在宅すると入院日数の計算がゼロに「リセット」される。退院後、在宅支援施設に入所しても、ここは「在宅」。一八〇日の計算には入らない。
 次つぎと難題が降りかかるが、そのなかで「クリニックと在宅支援施設である『にじの輪』を行き来して、長期入院と介護を両立させる態勢もとる」(本間医師)という酒田健康生協の試みは、全国でも珍しい(注3)。
 ここにも「患者の痛みを少しでも減らそう」という理念が生きている。「にじの輪」の若い介護福祉士、加藤千恵美さん(25歳)はいう。
 「ベッドだと危ない人はふとんにするとか、家庭に近い介護をめざしています。ご家族から『立ち上がりがよくなった。起きて食事をするようになった』と喜 んでいただくのがうれしい。ご本人も、ここで自分らしく生活ができた、また来たい、といってもらえるようにしたい。楽しくなければ生活じゃないですから ね」

ネットワークのカナメは

 酒田健康生協の活動でカナメの位置にいるのが、二人のケアマネジャー。クリニック一階に詰める正立弘恵さん、前田智恵子さんだ。
 「利用者といっしょに考え、同じ目線で、この人の生活が成り立つよう、みんなといっしょに考えています。ケアマネがいるメリットはいっぱいあって、たしかにカナメになっていると思います」
 こう語る正立さんは、ここにくる前、老健施設や特養ホームで働いていた。ケアマネになったきっかけは、自分が実父を介護する側になったことだった。「父 が植物状態になり、施設を何カ所もまわりました。ふつうの人はパニックになるでしょう。プロの私でも『だれか助けてよ』と思いました。父は最近亡くなり、 私は自分がみんなの助けになろう、と」九月にケアマネになったばかりだ。

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名コンビを組むケアマネージャーの
正立弘恵さんと前田智恵子さん

 かたや前田さんは看護婦長も経験した医療の専門家。知恵を出しあう名コンビの協力がものをいう。
 「ぜったい私が夫をみます」と、施設利用を断り、がんこに在宅にこだわる妻がいた。前田さんは危ぶみつつその通りにしたが、正立さんが「どうもようすが おかしい」。ふたりで妻にたしかめた。理由はお金だった。年金が五万円しかなく、とても施設に入れないと思っていたのだ。いろんな制度を活用すれば可能と わかると、「まるで氷が溶けるようでしたね。涙を流して喜ばれました」。
 正立さんがここにきてうれしかったのは、クリニックのサポートが受けられること。ある人が骨折で大きい病院に入院。その病院から「出したい」と依頼がき たとき「家では迎える準備が間にあわず、いまもどると寝たきりになる。そのとき、クリニックで『準備が整うまで、リハビリ目的で預かってあげるよ』と。そ の間に介護者の手当てができて、ご家族は『おかげで寝たきりにせずにすみました』と喜ばれました」
 ここでは、「ケアマネと医師と家族」の連携が、お年よりを救うセーフティーネットになっている。

まちづくりの核にも
 同生協が組合員二千人で発足したのは七九年。「老人医療は無料」の時代だった。いらい高齢者医療を中心にやってきたが「まさか、こんなに逆風が吹くと は」。老人医療有料化、たび重なる改悪…一〇年ほど、「開店休業同然」の時期もあった。
 ゆっくり入院できる療養型ベッドにし、デイケアにとりくみ、在宅介護を全力でささえてきた。「在宅介護を中心にする」はずの介護保険も荷を軽くはしな かった。それどころか、医療改悪とあいまって増えるばかりの患者、家族の苦しみを背負って苦闘しているのが現状だ。
 その組合員は、九七年の四二〇〇人が六七〇〇人に、年度出資金は四二〇〇万円が二億一千万円に、大きく伸びている。クリニックと生協コープの店が隣りあ う周辺は、書店や酒店などが次つぎに進出、エリアは酒田市の「副都心」のようになりつつある。鳥海山をのぞむ街で、クリニックはまちづくりの核となってい るようにも思えた。

写真・若橋一三

(注1)02年4月の診療報酬改定で長期投与できる薬の範囲が広がった。
(注2)保険で使われる医薬品には、最初に開発・発売された「先発 品」と、先発品の特許期間(ほぼ20~25年)が終わった後、製造・販売される「後発品」がある。後発品は、価格は先発品の40~80%。製造申請時に品 質に関する試験を行ない、先発品と同じ成分・効果であることを検証されるが、厚労省はこれまで公的品質保証をしなかった。医療費引き下げを求める流れのな かでやっと改善されてきた。
(注3)民医連のなかでは、同じ山形の庄内医療生協が01年からとりくんでいる。

いつでも元気 2003.2 No.136

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