いつでも元気

2003年2月1日

みんいれん半世紀(2) 阪神・淡路大震災 刻々変わるニーズに不眠不休で 全国からの支援で続けられた救急医療と地域訪問

  いざというときに、その組織のもつ本質や真価が問われるといいます。
 八年前の一月一七日早朝におきた阪神・淡路大震災で、民医連は共同組織とともに医療・生活支援活動に奮闘。「民医連の医療観や組織の特徴が、短期間に集中的に現れた」といわれています。
 兵庫・神戸健康共和会理事長の藤末衛医師(全日本民医連理事)は、次のように語っています。

救急センターとして中心的役割を

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被災地を回る救護班

 災害救援活動として第一の特徴は、神戸協同病院(長田区)、東神戸病院(東灘区)という民医連の二つの病院が、震災直後の神戸市内で、それぞれの区の救急医療一次センターとして、中心的な役割を果たしたことです。
 私は東神戸病院にいましたが、最初の一〇日間に東灘区の救急車出動六五〇件のうち半数、一カ月でみても約四割に関わりました。
 被災地の病院では、三日間ぐらいはそこの職員が寝ずにがんばりますが、それ以降は治療材料も、気力も尽きてしまう。我々が一カ月以上にわたって救急の一次センターの役割を継続できたのは、全国の支援があったからです。

地域の実態つかみ行政にも提案

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待合室などすべてのいすが
ベット代わりに

 第二の特徴は、これも支援の力で大規模な地域訪問医療活動をすすめたことです。東神戸病院だけの統計ですが、記録の残っているところで二四日間でのべ五四〇コース、二二五四人の医師・看護師を中心としたチームが、訪問活動に出かけています。
 これによって約一週間で激震地だった東灘区の各戸訪問が終了し、地域の実態をいち早く把握しました。
 第三の特徴は、避難所以外に食事も配給されない人がたくさんいることなど、訪問活動でつかんだ地域の問題や健康被害調査などから、行政への提案も行なってきたことです。

日常大切にしている視点が
 このように全国支援に支えられ、医療支援から生活支援へと、刻々変わる被災者のニーズに応え、求められる活動を展開することができました。
 多くの医師・看護師・事務・その他メディカルスタッフが、誰の指示も受けずに自発的にリュックに物を詰め、いち早く被災地にかけつけました。はじめて出会った支援者がチームを組み、状況を見極め、組織的な行動をとったのです。
 西からの支援者は神戸協同病院へ、東からの支援者は東神戸病院へ、全国の民医連から、のべ一万三千人、実数で四千人をこす職員が結集し、共同組織のボランティアも三千人をこしました。
 この「自発的、組織的な行動」そして「地域に入り、人に寄り添う感性」「地域と現場に学び、発信する社会性」「刻々と変わるニーズに応える柔軟性」、これら、日常的に大切にしている視点がそのまま特徴となっていたといえます。

いつでも元気 2003.2 No.136

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