いつでも元気

2003年3月1日

みんいれん半世紀(3) 被爆者医療 放射能被害者すべてを結ぶものに 健診から訴訟へ被爆者とともに歩みつづけて

 民医連は、被爆者と手をたずさえて被爆者医療にとりくみながら、核兵器廃絶を訴えてきました。被爆者医療の足跡を、被爆地広島からたどります。

 広島市福島地区は、爆心地から一・八?メートルの地域にあり、原爆投下によって、六千人の住民のうち、六 百人が即死、四五〇〇人が負傷しました。この地に最初の民診、福島診療所(のちに福島病院、現在の福島生協病院)ができたのは一九五五年。開業当時から、 中本康雄医師や田阪正利医師らによって被爆者への治療が行なわれていました。
 その前年には、アメリカの水爆実験で第五福竜丸が被災。できたばかりの民医連は、すぐに被災漁民の健康調査にも出向いています。
 一九六五年には中本医師(当時、福島病院院長)が創刊二号目の『民医連医療』誌上で、「一見健康そうに見えても、被爆者の体内には、その受けた放射線量 に比例して、多くの弱点をもっている」と指摘し、被爆者の「現症」を、正しくとらえなければならないと強調しています。
 一九六七年、広島で、民医連の第一回被爆者医療研究集会が開かれ、広島をはじめ各地の経験が集約されて、ここから本格的に全国の民医連が被爆者医療にとりくむことになります。

被爆者を探さないけんかった
 福島病院は六九年に被爆診療科を開き、県内外に出張健診に出向きました。中本医師のあと院長となった田阪正利医師(75歳)は、こう語ります。
 「健診をしようと思うたら、まず被爆者を探さないけんかったのです。民医連の健診がほかの病院と違うのは、声をかけ合って自分たちで被爆者の集団をつく るところからはじめたことです。被爆者の会ができ、会と力をあわせて集団的にとりくみ、くらしの問題、こころの問題までかかわった。そこで出た問題を行政 にはたらきかけ、広島では見舞金など法外援助をかちとりました」

被爆者の苦悩を共有して
 ソーシャルワーカーとして一九六七年入職した山田寿美子さん(59歳、同院在宅介護支援センター所長)は自身も被爆者。「福祉事務所とはよくけんかしました」と笑います。
 「被爆者は低所得者が多い。病弱で、就労の機会もない、貧しいから医者にもかかれないという実態でした。いままでつきあってきた患者さんそれぞれに苦悩 がありました。病弱で二度離婚して、晩年は入退院をくり返し『被爆は自分の責任ではないのになぜ疎まれなければならないのか』と嘆きながら亡くなっていっ た患者さんや、就労差別を受け、自暴自棄になってアルコール中毒になった男性とか。一人ひとりの悩みを共有して、自立を支えるためにがんばってきました が、悔やまれることも多いです。亡くなった被爆者の思いを伝えていきたいと思います」

国の不当性問う原爆訴訟

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被爆者への聞きとり調査

 国は、ようやく一九五七年の原爆医療法で健康診断と医療費給付を、六八年の原爆特別措置法で健康管理手当、医療特別手当などの被爆者対策を制度化。いま は「被爆者に対する援護に関する法律」にひきつがれています。健康管理手当は被爆者が国の決めた一一の疾病にかかった場合支給されるもので、医療特別手当 は、病気が、放射線起因と認定された場合に支給されるものです。
 福島生協病院の齋藤紀院長(55歳)は、学生のころ夏休みに滞在した広島で、三〇年たってもなお続く原爆の被害を知り、「被爆者医療をやりたい」と、七 五年入職しました。それから二八年。この間も、被爆者自身による原爆訴訟がたたかわれ、民医連は当初から深くかかわってきました。齋藤院長はこういいま す。
 「六八年に原爆特別措置法ができて、医療特別手当申請のために医師が診断書を書く、しかし、そのほとんどを国は却下した。被爆者の病気が『原爆に起因する』と認めないのです。原爆訴訟はその不当性を裁判で争うというたたかいです」
 放射線起因が認定されている被爆者は、二九万人のうちのわずか〇・七パーセントしかいません。
 「田阪先生の時代からこれまでに、六九年の桑原訴訟、七三年の石田訴訟、八七年の京都訴訟、八八年の松谷訴訟にとりくんできています。最初の桑原忠男さ んの裁判は負けました。CTもMRIもない時代で、病気の実態を証明できなかったということがあります」
 「松谷英子さんの裁判は、最初の桑原訴訟からの教訓を受けついで、病気の実態と経緯を十分に証明し、原爆放射線の影響を否定できないことをはっきり認め させました。そして、五〇万、百万の署名運動がそれを支えて、最高裁で勝利が確定したんです」

原爆投下の責任を問う

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1969年日本原水協から贈られた検診車
(広島中央保健生協三十年史より)

 昨年から、日本原水爆被害者団体協議会は、認定の集団申請・集団提訴のとりくみをはじめました。 
 「認定申請訴訟は、被爆者救済とともにもう一つ大きな意義がある」と齋藤院長は強調します。「それは、原爆の投下責任そのものを問うということです。最 大の大量破壊兵器である核を緊急に廃絶することにつながり、いま、ますますその意義は大きくなっています。このような課題にとりくめるのは民医連だからで はないでしょうか」
 今日、被爆者医療は、セミパラチンスクやロンゲラップ島の核実験場周辺の住民被害、東海村の放射能もれ事故など放射能による被害者すべてを結ぶものに発展してきています。

文・八重山薫記者/写真・吉田一法

いつでも元気 2003.3 No.137

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