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2016年4月5日

患者の声に耳傾けて水俣を診察続ける 《42回定期総会の記念講演から》 熊本・くすのきクリニック 板井八重子 所長

 三月一〇日、全日本民医連第42回定期総会では、熊本・くすのきクリニックの板井八重子所長が「『水俣』を語る 私と民医連」と題し記念講演しました。医師になって間もない一九七五年から熊本県水俣市の民医連診療所に赴任して以来、水俣病患者に寄り添い、救済を求めてたたかい続けています。講演の要旨です。

(田口大喜記者)

 水俣に行ったのは、医師として働き初めてから三年目のことでした。東京民医連で研修中の身であり、また当時の水俣の公害運動の激しいイメージに悩みましたが、「求められる場所に行くのは、いいことでは?」と夫に背中を押されて決めました。そして、水俣診療所に勤務し、巻き込まれるように水俣病との関わりが始まりました。

寄り添うことの大切さ

 三年目の医師でしたから、私ができたのは患者の訴えをただただ傾聴することでした。「どんな症状か?」「どんな生活をしているか?」を聞き、カルテに記録する―その繰り返しです。しかし、その傾聴こそ大事だったと後で気付きました。水俣病の症状を親身になって診察する医療機関は限られ、ほとんどがその症状を「年のせい」だと片付けられていたと思われます。だから症状は良くならなくても、患者さんたちは私たちの診療所に足を運んでくれたのだと思います。
 大半の患者が医師に遠慮し、言いたいことを直球で言う人はほとんどいませんでした。「本当は何を訴えたいのか?」「どんな時に本意を語るのか?」。手探りの診療を通して多くのことを教わりました。

調査で患者救済策ひろげ―

 では、私がこれまで関わった、県民会議医師団や民医連のとりくみで明らかになった水俣病の真実をお話しします。
 まず、一九七七年当時の国の水俣病患者救済認定基準は「ハンター・ラッセル症候群(感覚障害・視野狭窄・運動失調・構音障害・聴力低下)のうちの二つの症状の組み合わせ」しかありませんでした。しかし、水俣診療所初代所長の藤野糺医師がチッソの工場が排出した水銀に汚染された不知火海にある、桂島(鹿児島)住民を対象に行った調査で、チッソによる汚染が始まってから、桂島に居た期間に関わらず、感覚障害が共通して確認されました。このことから、患者を支援する県民会議医師団として水俣病の認定基準を「疫学条件と四肢末梢性感覚障害」と提唱、主張しました。
 その結果、国の認定基準はいまだに変わっていませんが、医療手帳や特措法などの救済策が、六万五〇〇〇人に適用されました。
 二〇〇九年と一二年に全国の支援を受けて水俣病大検診を行い、救済対象地域も対象外地域も、症状が一致していると分かりました。検診で掘り起こされた人が、特措法などで救済を受け、救済対象地域は一九七三年の「公健法」指定地域と比べ、拡大しました。
 それでも、一万人もの人が、国の指定した救済対象地域に「非該当」だという理由で線引きされ、症状があるのに救済対象から外されました。

胎児との約束

 汚染された不知火海沿岸地域には有名なリハビリ病院がありましたが、患者は医療に期待しなくなっていました。なぜならば、重症な患者ほど辛い検査を受け、大変な思いをするのが常だったからです。看護師は「私たちから患者のところに行かなければ」と、当時は診療報酬にはなかった訪問看護を始めていました。
 私たちが長らく往診をしていた胎児性水俣病の患者さんがいましたが、二九歳で亡くなりました。遺族にお願いして解剖したところ、全身に著しい水銀の沈着が見られました。
 「このような胎児性患者の背景には、流産や死産が多くあるのではないか?」と、疑問を持った私たちはさらに調査しました。患者会の協力ももらい、職員と母親たちのもとを訪問すると、「子どもはたくさん産んでいるが、死産、流産も多くあった」と一人一人を思い起こしながら語るのです。『有機水銀濃厚汚染地域における異常妊娠率の推移についての研究』の論文にまとめました。胎児も水銀にばく露し、死亡することが初めてヒトで証明されたのです。
 この「胎児からのメッセージ」は、いろんな人の協力と努力のたまものです。「過去に生まれえなかったいのちがあった」と、多くの人に届けることが私と胎児との約束だと思っています。

* *

 かつて水俣診療所に来る患者さんは、診療所のひとつ前のバス停で降りて人目がないか周りを確認してから診療所に入る、という状況でした。加害企業であるチッソの企業城下町で、公害問題にとりくむ医療機関に、敷地を貸した地主まで批判を受けるほどでした。水俣を、患者さんが安心して暮らせる地域にすることは医者としての願いです。同時に、息子たちが水俣に生まれ育ったことを誇りに思える故郷にすることが母親としての願いです。
 水俣病は、過去の特別な地域での話ではなく、みなさんのこれから生きる地域、時代の問題として議論し広めてほしいと思います。

(民医連新聞 第1617号 2016年4月4日)

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