いつでも元気

2003年10月1日

元気スペシャル 58年目の夏 「核戦争の被害者を見たことがありますか?」 被爆者4人、「ブッシュ新戦略」の米国を行く

広島・長崎に人類初の原子爆弾が投下されて五八年目の夏。七月三一日から約二週間、日本の被爆者がアメリカを訪れ、被爆体験を証言、各地で感動をよびました。参加したのは、三歳のとき被爆した筆者をふくめ、広島で被爆していま東京と岩手で活動している四人です。

 この夏、アメリカでは、「ブッシュ新戦略」(「使える小型核兵器」の開発、その使用をふくむ「先制攻撃戦 略」)に反対する行動が盛り上がりました。最初に訪ねたネブラスカ州東部の都市オマハでは、政府と武器専門家のハイレベル会議が開かれるのに対抗して、三 日間の反核平和行動が組織され、同市にある米戦略司令部(ストラトコム)を市民が「査察」する行動などに私たちも参加しました。

 被爆者が招かれたどのイベントも、例外なく「ニューWMD」(新しい大量破壊兵器。アメリカが開発している新核兵器のこと)がテーマになり、私たちは「核兵器が実際に使われたら何がおこるのかを身をもって体験した唯一の体験者」としての証言を期待されていました。

 一五歳被爆の宮永龍馬さん(岩手)は目撃した「あの日」の凄惨なようすを「全身を焼かれ、男か女かもわか らない人。焼き魚のように頭部だけ残して後は骨になった人。川面を埋め、互いに皮膚が癒着してくっついた死体の群れ…。アメリカ人にも朝鮮人にもイラク人 にも、二度とこんな目にあわせたくない。それをいいたくてアメリカにきました」とリアルに語り、衝撃を与えました。

 世界最大の兵器産業ロッキード・マーティン社(ペンシルベニア州フォージ渓谷)前で八月六日、広島メモリアル行動があり、会社に入れろと求めた市民八人が逮捕される場面もありました。

 「何かいってくれ」といわれて筆者は「友人が逮捕されて涙が出そうだ。中にいる人にいいたい。なぜ入って はいけないのか。入っていけないのなら、出てきませんか。あなたたちは核兵器をつくっているか。その兵器で子どもや女性が焼かれて死ぬのを見たことがある か。なければ私たちと話しませんか。核戦争体験者がいくらでも話してあげます」と即席のスピーチ。仲間を逮捕されて泣いていた女性たちから「よくいってく れた」と握手ぜめにあいました。

 各地でテレビ出演などマスコミ取材も多く、被爆者の涙ながらの証言は大きな反響をよびました。「被爆者は泣いてばかりはいない」と、原爆症認定集団訴訟についてもアピールしました。

 私の証言では「真珠湾のことは深く謝罪したい。しかし核兵器は許せない」と強調しましたが、これもショッ クだったようで、多くの人から「謝罪されておどろいた。原爆のことも許してもらえるだろうか」などといわれました。三歳被爆でほとんど記憶がない私にも、 原爆は人生の重い荷物でした。六一歳で初めての海外旅行は不安でしたが、この反応だけでも「行ってよかった」と思っています。

いつでも元気 2003.10 No.144

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