いつでも元気

2003年10月1日

元気スペシャル 58年目の夏 被爆者の思いひきついで少年少女のつどい 長崎 戦争や原爆のこわさを語りつぎたい

日本国内では、八月に長崎で原水爆禁止世界大会が開かれ、核廃絶へ具体的な一歩をふみだす決意がひろがりました。その分科会の一つとして開かれたのが、 小・中学生を対象とした「少年・少女平和のつどい」。今回で一三回目。「片足鳥居」そばの山王神社に集合予定でしたが、台風で急きょ室内での開催となりま した。悪天候にもかかわらず、参加者は百人をこえました。

どうして国民を大事にしないの?

 会場の一角には戦時中のレコードや、被爆遺品、証言集などを集めた「平和のためのミニ戦争展」が。展示し たのは南嘉昭さん(75歳)。被爆者で、長崎健康友の会会員です。「戦争や原爆のこわさを伝えたい。子どもたちの心に何か少しでも残ればと、毎回こうして 展示してます」と。

 子どもたちは、見学する予定だった被爆遺跡を映像で見たあと、戦争体験者から戦時中のくらしや食べ物の話 を聞きました。「食べ物は警察に没収された」と聞いて和歌山から参加した南咲良さん(小4)は「日本は戦争に勝とうとしていたのに、どうして自分の国の国 民を苦しめたの?」と質問。「当時は兵隊や役人を大事にしていて、それ以外の人は本当は苦しくても?苦しい?といえなかった」という話に「ひどい!」と声 があがります。

戦争は悲惨、平和が大事

 四つのグループに分かれて被爆体験者の話を聞きました。九歳で被爆し、弟の手をひき、死体のなかを歩き回ったという松下禮子さんの話に涙ぐむ子も…。

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 数切れのイモやひとにぎりの米など、当時配給された食べものが回覧されました。それをみて、「たったあれ だけ? かわいそう」と長野から参加した中沢千夏さん(小6)。長野中央病院の看護師をしているお母さんの澄子さんは「イラク戦争のテレビ報道をみて、な んで戦争なんてするんだろう、被爆地長崎で戦争の悲惨さをみてきたい、と参加しました」と被爆者の話に聞き入っていました。

 昼食は戦争中の食べ物を食べてみようと、おもゆやかぼちゃのスープ。東京から参加した田中健太さん(仮名)(小4)は「まずい! あんなの食べてたなんて…」。

 「本当はおもゆはもっとお米が少なくて、味もうすかったそうです」と話してくれたのは食事作りに参加した前川蛍さん(小6)。昨年からスタッフとして参加しています。「戦争は悲惨。平和が大事だよね、っていつも家族で話しています」と。

子どもとともに平和をつくる

 このつどいのスタッフ約三〇人のなかには、前川さんのような小中学生はじめ青年がたくさん働いています。スタッフのひとり、森弥咲さん(中3)は「小さいときから両親にくっついてきてました」。

 「ここのスタッフは一三年のつながりの中で集まってくれた人たちです。大学の教員や自治体労働者、新日本 婦人の会の人、そして子どものころこの集会に参加した人たち…」と集会責任者の国貞亮一さん。香焼健康友の会会員で、第一回から集会に関わってきました。 「平和の運動って、おとなだけじゃなくて青年や子どもたちと?ともに平和を創る?ことが大事だと思うのです」といいます。

 「知らなかったことがたくさんあった」「平和ってもろいね。みんなで守らなくちゃ」「核兵器こわいので、学校でみんなにいっぱい話したい」と、子どもたちは元気に会場をあとにしました。

文・斉藤千穂記者
写真・飯山翔

いつでも元気 2003.10 No.144

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