いつでも元気

2016年8月31日

まちのチカラ 第11回 滋賀県・多賀町 “お多賀さん”の町を訪ねて

genki299_25_01 “お多賀さん”の名称で親しまれる多賀大社を中心に、琵琶湖東部にひっそりと佇む滋賀県多賀町。周囲を鈴鹿山系の緑に囲まれ、芹川や犬上川の清流が流れる美しい町で、悠久の時を経ても変わらぬ自然美と、人々の営みを訪ねました。

延命長寿の願い込め

 1300年超の歴史を誇る「多賀大社」は室町時代に信仰が広まり、全国から大勢の参拝客が訪れるようになりました。
 ご祭神である伊邪那岐大神と伊邪那美大神は、伊勢神宮に祀られている天照大神の両親にあたります。昔から「お伊勢参らばお多賀へ参れ、お伊勢、お多賀の子でござる」とうたわれ、延命長寿や縁結びの神様として信仰を集めてきました。今では年間160万人が参拝に訪れます。
 神門をくぐって右側には、しゃもじの形をした絵馬がたくさん吊るされています。これは「御多賀杓子」と呼ばれる縁起物。奈良時代の元正天皇に神木でつくった杓子を添えて献上したところ、たちまち病気が治ったという故事に由来しています。この御多賀杓子が「オタマジャクシ」の語源と言われるほど、多賀大社は広く世間に親しまれてきたのです。

絵馬通りで地獄めぐり

神門をくぐると格調高い雰囲気が漂う多賀大社

神門をくぐると格調高い雰囲気が漂う多賀大社

 多賀大社を出たら、参道の「絵馬通り」へ。ここでは、2年前に始まった「地獄めぐり」と題する常設イベントが人気です。なぜ地獄なのでしょうか? 
 多賀大社とゆかりの深い「真如寺」に、江戸時代に描かれたという「地獄絵図」が現存しているからです。初七日から三回忌まで順に描かれた地獄の風景は、大人が見ても迫力満点。地元では「小さい時に連れて来られて、嘘をついたら地獄に落ちると教えられた」という人も多いとか。
 絵馬通りのお店には、さまざまな“地獄商品”が用意されています。たとえば多賀名物の鍋焼きうどんは「猫舌地獄」、溶岩が流れているような多賀ニンジンのソースがけソフトクリームは「愛されるよりアイス地獄」。多賀観光協会が発行する商店街マップ「多賀観光之御札」を購入すると、これらの商品が割引きになる仕組みです。
 イベントを始めた経緯を観光協会の土田雅孝事務局長に伺うと、「車社会になってから人の流れが変わり、商店街を歩く人がずいぶん減りました。行政も住民も試行錯誤しながら地域の活性化にとりくみ始めたところです」。
 昨年から朝市が開かれたり、空き家活用をすすめる会社が立ち上がったりと、さらなる変化の兆しも。数年後には道路整備も完成し、「車より人にやさしい」町並みに変わる予定だそうです。

近江猿楽発祥の地

 由緒ある多賀大社のお膝元には、かつて「みまじ座」という猿楽団がありました。神事で猿楽を舞っただけでなく、多賀大社信仰を全国に広める際に使われた参詣曼荼羅図にも描かれ、広く人びとに影響を与えたといわれています。 
 のちに能と狂言の基礎を築いた大和猿楽の世阿弥も、近江猿楽の影響を受けた一人。今やユネスコの無形文化遺産にも登録されている伝統芸能の源流が、多賀町にはあるのです。
 伝統を今に活かそうと、一般町民でつくる近江猿楽「多賀座」が23年前に結成されました。狂言師の野村万之丞氏に指導を仰ぎ、猿楽の基礎を一から勉強。しかし、次第に人が集まらなくなり、数年で休座状態に。「伝統を守りながら、新しい創造をめざすのは本当に大変です」と話すのは、二代目座長に就任した前述の土田さん。
 「人を集めるにはどうしたらよいかを考え、龍や獅子の造形物づくりから再出発しました。見て楽しい、やって楽しい活動じゃないと続かないからです」。
 今では小学生から定年退職者まで50人以上が多賀座に登録し、多賀大社の万灯祭(8月)をはじめ町内外のイベントでも活躍するまでに成長しました。多賀座オリジナルの狂言「豊年予祝」も人気の演目。「将来は専用の稽古場を持てるようになれば」と夢も広がっています。

河内の風穴で冒険気分

 多賀大社から車で約15分、細い山道の途中に「河内の風穴」という鍾乳洞があります。全長10キロメートル以上で近畿地方随一、全国でも3番目に長いとか。見学できるのは洞口から約200メートルだけですが、狭い入り口から第1層のメーン空間を抜け、第2層に至るまでのはしご登りはスリル満点。
 私が撮影に行った時は観光客がほとんどいなかったため、そのダイナミックな地下の世界に足がすくみました。洞内は年間を通して11度ほどに保たれているそうですが、冬に行ってもやはり背筋は寒くなるのだろうと想像できます。
 鍾乳洞の近くには、芹川に注ぐ清流が流れています。川底が石灰岩のため水面は美しいエメラルドグリーン。滝の近くは霧がかっていて、幻想的な雰囲気です。
 浅瀬に足をつけてみると、気温は30度以上あるのに10秒も我慢できないほどの冷たさでした。駐車場の管理をしていた男性は、「昔は上から飛び込めるくらい水量があったのに、今は土砂で川底が上がってしまった」と少し寂しそう。それでも毎年夏休みになると、車が停められないほど観光客でにぎわうそうです。

古代ゾウの化石に学ぶ

 さらにワイルドな歴史ロマンを感じたい人は「あけぼのパーク多賀」へ。約20年前に発見されたアケボノゾウの化石が展示されています。
 アケボノゾウは100~250万年前に生息していた古代ゾウで、日本の固有種だといわれています。現存するアジアゾウやアフリカゾウより小さく、背中が平らなのが特徴。三重県や埼玉県でも発見されていますが、多賀町では地元の小学校や高校の先生を中心に何度も調査がおこなわれ、ついにほぼ完全な全身骨格の化石が発掘されました。
 一般に陸上動物の化石が残るためには、そこで死んだ動物の数が多いことと、急速に土砂に埋まることが必要だといわれています。実は多賀町は180万年前に琵琶湖の一部だったと考えられており、湿地を求めて多くの動物が集まる地域だったのです。

平和を喜ぶ糸切餅

 最後は絵馬通りに戻り、多賀土産で最も有名な「糸切餅」を味わいました。こしあんを包んで長く伸ばした餅の表面に、赤青3本線の模様を入れて糸で切り分けたのが多賀の糸切餅です。
 鎌倉時代に二度にわたって蒙古軍が日本を攻めました。いずれも台風によって戦わずして撃退できたことを人びとは大いに喜び、糸切餅をつくって多賀大社に奉納したのが始まりだと伝えられています。
 赤青の3本線は、蒙古軍の旗印。糸で切るのは、刃を用いず悪霊を断ち切るという意。当時は全国各地の寺社で、信仰による国土守護がうたわれたともいわれています。
 歴史も自然も文化も味わい深い多賀町は、電車ならJR彦根駅から近江鉄道に乗り換えて多賀大社前駅下車。車なら彦根ICから約10分の距離にあります。時代とともに大きく変化してきたダイナミズムに思いを馳せつつ、ゆったりした町の雰囲気に身を委ねるのも粋かもしれません。皆さんもぜひ、足をお運びください。

文・写真 牧野佳奈子(フォトライター)
★次回は北海道東川町です。

いつでも元気 2016.9 No.299

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