いつでも元気

2003年11月1日

元気スペシャル 第7回共同組織活動交流集会・医療・福祉のまちづくり、国づくりへ 300万人の仲間で新しい時代をひらこう

全日本民医連創立五〇周年のことし、首都東京ではじめて開かれた第七回共同組織活動交流集会。すべての県から、実数で集会史上最大の二七〇〇人が参加し、安心して住み続けられるまちづくり、国づくりめざす結集の場となりました。

学生気分で楽しく交流

 一日目はお茶の水の明治大学で一四の分科会。学生に戻った気分で議論し、夜は新橋・ヤクルトホールで「文 化の夕べ」が。まずは芝病院名誉院長の稲垣元博師匠のドクター落語「オッパイは成功のもと」に大笑い。第二部・佐藤真子コンサートでは、厭戦気分をあおる として日独で弾圧された「夜のプラットホーム」「リリーマルレーン」はじめ一五曲が、平和への思いを込めて歌われました。バックの生演奏もすばらしく、深 い余韻が…。
 広い東京を大集団が迷わず移動するために、黄色いTシャツの要員が大奮闘。東京民医連の職員を中心に三百人が、朝早くから要所に立ち案内しました。

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大学の教室で久しぶりの学生気分。活発な討議が行なわれ
ました

「金がすべて」の潮流に対抗

 二日目は昭和女子大学人見記念講堂で全体会。共同組織活動交流全国連絡会の高橋孝治会長が基調報告しました。
 「第一回集会から一二年。画期となったのは蕫安心して住み続けられるまちづくり﨟の方針です。九八年に提起されて以来、共同組織のなかに共感をもって受 け止められ、医療福祉の住民運動として大きく成長してきました。
 『いつでも元気』は五万部達成、共同組織の構成員もいよいよ目標の三百万が目前です。金がすべての世の中にしようとする潮流に対し、われわれの運動が対 抗する力を広げています。これをつぶそうと、民医連に激しい攻撃がかけられたのがこの二年間の特徴です。蕫健康づくりと助け合い﨟をあいことばに攻撃をは ね返し、新しい時代をひらきましょう」
 次回開催地は岡山です。

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あいさつする肥田泰全日本民医連会長 共同組織活動交流全国
連絡会会長
高橋孝治さん
東京民医連共同組織連絡
会会長
野崎衷さん

記念講演
「これからの患者、これからの医療者」
評論家 柳田邦男さん
 患者が医療の中心になる時代、「患者が病気について正しく理解するにはどんな手段があるか(看護師向けのハンドブックはわかりやすい、患者会は一番頼り になり情報も集めているなど)」「診療の受け方(フルネームで自己紹介し、医師の氏名、専門をきくなど)」…具体的な話がいっぱいでした。  新年号で掲載


感動と笑顔いっぱい

全体会 リレートーク

 メイン企画の一つ「リレートーク」。3人のかたが、健康づくり、助け合い、病院再生のとりくみについて報告しました。

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ウンコが待ってる

大腸がん健診
2年連続で1万人

 六年前から「組合員さんのなかから手遅れの大腸がんを出さない。開腹しないですむところで見つけよう」を合い言葉に大腸がん健診にとりくんできました。
 一万人受診の目標を、〇一年、〇二年と二年続けて達成し、地域における保健予防活動の大きな確信になりました。
 〇二年度は一万二九七人が受診、一三人のがんが見つかりました。何回すすめてもイヤやといっていた人が、学習会に無理矢理連れてこられて医師の話に感銘 し受診。がんが発見されました。あと一年遅れていたら命取りになっていたとのこと。ほんとうに感謝されました。
 集めるのがウンコですから、寒冷期の一一月から翌年三月に集中してとりくみます。班会や、地域住民まで対象にした健康教室で学習会を開き、受診するとい うかたに検査容器の入った「大腸がん普及袋」を渡していきます。そして回収にまわるのですが、ドアのノブにそっとつるされたポリ袋、植木鉢のかげ、郵便受 けの中…、ほんまに「ウンコが待ってる、笑顔がこぼれる」という実感です。
 ことしは「一万人ではあかんな」と話しています。組合員は七万人ですから。
 二〇〇〇年からは前立腺がんの組合員健診にもとりくみ、法人全体で五千人の受診運動をすすめています。
 この健診が医療生協の経営も大きく支えています。大阪のど根性で、健診を広げ、不健康都市の汚名を返上したい。

3人と一部屋から

はじめられます
助け合いのまちづくり

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にぎにぎ玄米体操。「ミニデイきずな」の一こま

 介護保険導入に危機感を抱き、対応できる支援組織をつくるため定年前に退職。ヘルパー資格をとり、九八年四月に、発起人三人で在宅介護支援組織の結成準備に入りました。
 あちこち見学して構想をまとめ、ヘルパー養成学校の同期生や友の会世話人など一四人で、四年前に在宅介護支援グループ「絆 21」を設立しました。家事援助や身体介助のほか、漬物作り、庭の草取り、入浴介助など支援活動は多種多様です。利用料は一時間六六〇円です。
「楽しい食事をしたい」という要望で三年前に月二回のミニ・デイホーム「絆の家」が、一部屋で始まりました。
 長男を亡くした八二歳の女性が二男といっしょに「絆の家」にきて、「ここが母さんの心のより所なの。だから一人でも大丈夫なの」と話していました。
「絆の家」を基盤に月一回の「銭湯の会」「うたう会きずな」「コーヒーで結い」が生まれ、ことし八月には移送ボランティア「かけはしの会」を立ち上げまし た。
 九部で開設した『いつでも元気』取扱所は三〇部に。掲載された各地の活動は参考になり、これはと思ったらすぐ連絡をとり仲間の存在を実感しています。
 まちづくり運動は三人と一部屋あれば始められます。お金は後からついてきます。これからも一人ひとりの要求を大切に、一歩一歩すすみたいと思います。

地元商店街でも

攻撃から病院を
守りぬいて

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商店街の一角で健康チェック

 川崎協同病院では、「気管チューブ抜去、薬剤投与死亡事件」を昨年四月に

発表して以来、批判を率直に受け止め、真相究明・再発防止に全力をあげることを、手紙や説明会、組合員訪問行動などで全組合員、患者さんにお伝えしてきました。
 地元商店街には臨時役員会を開いていただき、川崎医療生協としてお詫びをし、再生の決意をお伝えしました。マスコミが商店街に取材に入りましたが、「ど こにいっても悪口は出ず、評判がよかった」ともらしていました。一〇月には「川崎医療生協とともに市民の医療を守るつどい」が開催され、励まされました。
 一方、川崎市議会では「人殺し病院」「隠ぺい」などとののしりながら、臨床研修指定病院取りけし要求が執拗に行なわれ、「病院つぶし」の署名が集められ るなどの攻撃がくり返されました。
 こうした事態を変えるために、ことし二月、「再生のみちしるべ」のチラシを、市内全域にのべ一五一七人で三一万枚近く配布。この行動には神奈川民医連は じめ、関東甲信越の県連のみなさん、労働組合や民主団体のみなさんが駆けつけてくれました。この間には、全国から医師や看護師の派遣、支援をいただきまし た。
 なおきびしい状況にはありますが、役職員一丸となって、原点に立ち返って川崎医療生協を再構築したいと決意しています。ご支援に心からお礼申し上げま す。

はじめての

「動く分科会」

「戦争と平和を考える」
がキーワードに

 一日目の分科会では、はじめての「動く分科会」がありました。靖国神社・遊就館(戦争博物館)コース、横田基地コースの二つ。「戦争と平和を考える」が今回のキーワードの一つとなりました。
 第13分科会「平和を守る活動」では、各地の平和活動を活発に交流。神奈川・川崎医療生協の岡部徳蔵さんが「旧日本軍の毒ガスを知っていますか。私は体 験者」と体験を語り、注目されました。
 岡部さんは志願で兵隊になり、横須賀の「化兵中隊」に配属。すぐ毒ガス兵器・びらん性ガスの実験台にされました。「ハシの先に一滴つけて右手と左手にぬ る。右はさらし粉でぬぐうが、そのままにした左手は見る見るペットボトルのキャップくらいの火ぶくれになる。治るまで一年かかった。このときは若い兵四〇 人くらいが実験台になった」といいます。

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アジア諸国民の気持ちを無視して小泉首相が参拝を強行する「靖国神社」で(写真=青森・木村充さん) 昭島・立川など5市1町にまたがる横田基地。東京ドームの約157倍の広さ(写真=兵庫・井上超さん)

いつでも元気 2003.11 No.145

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