いつでも元気

2003年11月1日

みんいれん半世紀(11) 訪問看護 町じゅうが病室。泊まりこみ看護も 千葉 2万人を訪問調査し「寝たきり老人発見運動」に 東京

一九七〇年代は、日本人の平均寿命が大幅にのび高齢化社会を迎えた一方で、在宅で介護の必要な、寝たきり老人といわれる高齢者が急速に増えはじめた時期 でした。民医連の病院や診療所では、まだ制度がなく無報酬であったころから、訪問看護活動のとりくみを始め、高まる在宅医療への要求に応えてきました。

寝たきりの人を誰がみるのか

 千葉県市川市・市川市民診療所所長の河野泉医師(63歳)が、初めて同診療所に着任したのは一九六八年。「それ以前から診療所では、往診とともに看護師だけの訪問もやっていました」と河野医師。
 「当時この地域は、経済的な理由やベッド不足のため、入院の必要があっても受け入れてくれるところがなく、脳卒中や心筋梗塞で倒れた患者には酸素ボン ベ、心電計、点滴を持って往診しました。町じゅうが病室という状態でした」。外来のあい間に、日に三回も往診にいくことも。
 「深刻だったのは寝たきりになった人を誰がみるのかという問題です。障害者の家族がねたきり患者さんをみなければいけない家庭もあり、看護師が定期的に 出向いて世話をした。ときには急変して『泊まりこみ看護』が必要なこともありました」。一診療所としての努力はぎりぎりまで続けられていました。

1時間600円の助成が

 「あのころはまだ訪問看護という制度もなかったし、もちろん無報酬の活動でした。痛みを訴える患者さんを 前に、私たちだってつらいのにどうしたらいいのとずいぶん悩みました」と、市川市民診療所の看護師だった荒木千恵子さん(53歳・現在福島県原町市市議会 議員)はいいます。「いまのままでは、患者家族も私たちも共倒れになってしまう。寝たきり患者さんが在宅でもきちんと療養できるように、訪問看護制度の確 立を市に要求しました」
 当時、婦長だった鈴木きのさんの提唱で、訪問看護の記録をノートにつけ、訪問看護に助成をつけさせる運動が一九七一年からはじまりました。市川市民診療 所は、そのころ結成された患者家族の「嫁さんの会」や、地元の生活と健康を守る会といっしょになって市との交渉を重ね、七五年には市の幹部に寝たきり患者 宅を訪問させ、実態をみせました。
 河野医師は「七六年、市川市独自の訪問看護への助成が決まりました。一時間六百円でした」とふり返ります。対市交渉は毎年続けられ、生活保護世帯への泊 まりこみ看護への助成は七一年に始まり、紙オムツの支給は七八年に実現しました。「この原動力は、私たちや住民のせっぱ詰まった要求の強さだったと思いま す」と語る河野医師。

制度確立めざし全国で運動に

 訪問看護に自治体が助成したのは、全国では七一年一二月の東京・東村山市の白十字病院への委託が初めてでした。
 民医連では、市川市での助成が決まったのと同じ七六年、「訪問看護制度の確立をめざす民医連の方針」を発表しました。「方針」は、「訪問看護を診療報酬 制度の中に設定し、点数化せよ」などの要求を掲げ、全国で運動が始まりました。

「地域看護課」の発足

 東京の健和会・柳原病院で「一九七七年、外来からまったく切り離して、地域看護課ができました」と話すのは、現在、健和会訪問看護ステーション統括所長の宮崎和加子さん(47歳)。
 宮崎さんは「それまで自覚的な看護師の訪問看護はありましたが、それは外来の延長でした。地域看護課は、外来看護の延長線上ではない訪問看護が発展する 第一歩でした」といいます。宮崎さんは病棟勤務を経て、新しくできた地域看護課に配属されました。柳原の下町に、自転車で回る「訪問看護婦」の姿が目につ くようになりました。
 
訪問看護があれば改善する

 「当時、柳原病院には、寝たきり老人や、これからの高齢化社会にとって訪問看護が必要だということを実証してみようという思いがありました」と宮崎さん。
 柳原病院など東京民医連東部ブロックは、七六年九月から翌年にかけて、「寝たきり老人実態調査」にとりくみました。この調査で寝たきりの人たちの生活が 訪問看護でどのように改善されるかということが明らかになったのです。訪問看護の援助があれば状態が改善される人が三八%もいました。
 この実態調査は、参加者はのべ二千人、住民、学生、地域の医療・福祉従事者の協力でおよそ二万人の家を訪問。まさに「寝たきり老人発見運動」になりまし た。寝たきり老人の数は、役所が把握しているよりも二倍以上いること、しかもほんとうに寝たきりになっている人が役所に登録されていない実態がわかり、マ スコミにも注目されました。
 政府もようやく重い腰を上げ、一九八三年、老人保健法を制定して、患者から一部負担金をとるなど問題がありながらも、訪問看護に対し、退院後の看護指導 料として初めて算定、八八年には、老人以外の訪問看護にも在宅患者訪問看護・指導料が診療報酬で新設されました。

 九一年、老人保健法の改正で、「訪問看護ステーション」が制度化されました。柳原病院では翌年「北千住訪問看護ステーション」を開設、東京都で初めての訪問看護ステーションでした。宮崎さんはその所長となりました。
 現在、民医連の訪問看護ステーションは三九六事業所(二〇〇三年八月)、全国の事業所数の八%を占めます。
文・八重山薫記者
写真・五味明憲

いつでも元気 2003.11 No.145

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