MIN-IRENトピックス

2017年1月5日

北海道×新潟×沖縄 注目の3地域の職員が語る 「どうせ変わらない」はもう古い! 私たちが選ぶ“あきらめない生き方”

 年金カット法に象徴される国民生活の破壊、カジノ法の強行…。安倍政権の“暴走”は年末まで続きました。ですが、2016年は全国各地で「史上初」の動きが起こりました。参院選で市民と野党が共同し、地方政治でも野党候補が勝利。「解散・総選挙」も意識する2017年の幕開けに、注目の3地域の仲間が新しいうねりの実感を語り合いました。北海道の伊藤賢太さん、新潟の宮野大さん、沖縄の瀬長和男さんです。(丸山聡子記者)

〈宮野〉 新潟は7月の参院選で野党統一候補の森ゆうこさんが当選し、10月の県知事選挙では共産、社民、生活が推した米山隆一さんが、圧倒的に優勢とみられていた原発推進の与党候補を破って当選しました。弁護士で医師の米山さんが「福島原発事故の原因究明がない限り、再稼働なし」と明確に打ち出し、新潟民医連も支持。短期のたたかいでしたが、当院でも昼休みのスタンディングや、学習会を開くといつもの2倍の300人の職員が参加するなど、みな注目したと思います。
 「どうせ変わらない」という言葉を以前はよく聞きましたけど、実はこの半年ぐらい聞いてないんですよ。「もしかしたら変わるんじゃないか」に変化してきている。参院選、県知事選と、自分たちが応援する野党統一候補が実際に勝つ! という体験をしたことが大きかったと思います。
〈伊藤〉 「変わらない」が「変わるんじゃないか」になるって、すごいですね~!
 僕は昨年、「ユニキタ」(UNIT&FIGHT Hokkaido)を結成して活動中です。脱原発やTPP反対を訴えるフライデーアクションに集まる20代から30代前半が中心メンバーです。昨年4月に衆院補欠選挙があり、戦争法強行採決後の初の国政選挙として注目され、野党統一候補の池田まきさんが自民党候補に僅差まで迫りました。SEALDsメンバーとも交流しながら、学者の会やママの会と一緒にたたかいました。
〈瀬長〉 沖縄は、辺野古にも高江にも新しい米軍基地は造らせない、と全国の力も借りてがんばっています。2014年、「これ以上の基地負担を止める」と一致し、オール沖縄の翁(お)長(なが)雄(たけ)志(し)県知事が誕生しました。昨年の参院選では現職の沖縄担当大臣にオール沖縄候補が勝ち、「新基地NO」の民意を示しました。しかし、安倍政権は選挙後、民意を踏みにじって東村高江のやんばるの森にオスプレイパッド建設を強行しています。

政治の暴走が私たちの声を大きくする

〈瀬長〉 政府のやり方が強引になればなるほど、私たちの声も強く大きくなり、運動に参加する人が増えていることを実感します。沖縄のたたかいは、ここ数年のことじゃないんですよ。沖縄民医連は本土復帰2年前の1970年の結成時から、「米軍基地はいらない」と言い続けてきましたが、県内では長らく、「米軍基地があるのは当たり前」でした。
 ところが95年に米兵による少女暴行事件が起き、怒りが広がりました。一方で、80年代に米軍から返還された土地が商業施設などで発展し、「沖縄経済は米軍基地に依存している」から、「基地がない方が経済も発展する」という実感に変わりました。ですから、2012年にオスプレイ配備が強行された時、当時の仲井眞知事以外の沖縄の全首長が賛同し、オスプレイ配備撤回、基地の県内移設反対を求める「建白書」が誕生したのです。12月13日、オスプレイが名護市の海岸に墜落し、県民の危惧が現実のものとなりました。
 いま政府は、人口150人の高江に500人以上の機動隊を投入し、暴力的に基地建設をすすめ、辺野古の基地も工事を再開しようとしています。
〈宮野〉 新潟も原発事故を目の当たりにして変わりました。「原発があるのは当たり前と思ってきた。でも、原発がある限り命は守れない。原発反対の候補に投票する」と言う職員もいました。

身近な仲間をどう変えるか―

〈伊藤〉 デモには、若い自衛隊関係者が参加することもあります。北海道は就職難で自衛官になる若者も多い。彼らなりに国の役に立ちたいと思いつつ戦争法には大きな不安を抱えています。
 勤医協全体のリハ職員は約170人。若い集団なので、技術と同時に社会のことも学ぶようにしています。主任会議では持ち回りでチューターを務めて学習会をしています。それを各部に持ち帰っていますが、どこまで伝わっているかなぁ。労組でも若手を対象に学習会をしています。手ぶらで参加できるようにして、2~3年かけて100人ぐらい集まるようになりました。
 職員の6割が奨学金を返済しながら働いています。僕らの世代が安定した職に就くためには資格を取るしかないし、資格を取るには奨学金という名の借金を背負わざるを得ない現実があります。
 ここで聞いてみたかったんですけど、活動に結びつけるためにどんな工夫をしていますか?

〈瀬長〉 就職率が全国最下位の沖縄は所得も低く、子育て世代など自分たちの暮らしを守るのに精一杯。これは政治を変えることでしか解決しませんが、どうつなげていくかは、課題ですね。運動の現場に職員を参加させるため、沖縄民医連では全日本民医連と協力して「2016沖縄の平和を守るたたかい」にとりくみ、毎週金曜は車を出して高江に職員を派遣し、忙しい中、師長会議や主任会議を辺野古や高江でやって現場を見てもらいました。高江には、国の横暴や米軍の被害にさらされている住民がいる、辺野古には海を守るおじい、おばあがいる。県外から駆け付けた人もいる。沖縄の人間がそれを見ることで学びがある。現場で見たり感じることで、人に話せるようになります。「知る」「見る」「学ぶ」ことを、民医連全体で保障していきたいですね。また、民医連職員がなぜ平和や社会保障、政治の問題にとりくむのか、という議論もていねいにやらなければいけないと思います。
〈宮野〉 心がけているのは「1人の100歩より100人の1歩」「一緒に悩んで一緒に学んで」ということですね。新潟では、ピーチャリを毎年やっていて、参加するのはだいたい30~40人。「見た目」も大事ですね。「プラカードはどうしても持てない」という人もいる。集会でもピーチャリでも「それ以外の楽しみ」を意識しています。
〈瀬長〉 全員が意見を出し合うことも大事ですね。
〈伊藤〉 そうですよ! 昨年の参院選前に民医連新聞が職員アンケートをしたでしょう? 僕の部署では32人中8人が「投票に行かない」って答えたんです。それまで「選挙に行こう」と呼びかけてきた僕としてはショックで。それでアンケート結果をもとに話し合うことにしたら、「戦争法は必要だ」と口火を切った職員がいて…。そしたら全員が発言して、「平和の問題は今後も考えていこう」という結論になりました。

経験、つながりを力にもっと前にすすもう

〈伊藤〉 投票日は友人たちとテレビの開票速報を見ることにしているんですが、昨年の参院選では地元だけでなく各地の野党統一候補の結果が気になって、勝つと盛り上がるという、新鮮な体験をしました。
 選挙後、国会議員要請に参加して、4月の補選の相手候補も訪ねたら、「看護師増員を」「介護職の待遇改善を」という要請に賛同してくれたんです。
 選挙は「自分たちの思いを伝える代表を選ぶ」ことですよね。選挙の後も、国会にいる自分たちの代表に有権者の思いを伝えないといけないですね。
 僕は、今まで自分を守ってくれた戦争放棄をうたった憲法9条を3歳の娘にも手渡したい。一部の人だけが儲かり、普通の人の暮らしの底がどんどん抜けていくような政治を変えたいと思ってます。
〈宮野〉 「社会を良くしたい」と地道に運動してきた友人が県知事選挙では米山さんを応援し、当選後、「やっと勝てた!」と、いい笑顔を見せてくれました。ずっと負け続けだったから。あの笑顔は忘れられないんです。
 これから安倍政権は本気で憲法改正を打ち出してくると思います。でも、戦争法反対の運動の中で、「憲法は権力を縛るものなんだ」という認識も広がってきた。憲法改正の動きは絶対に押し返す。解散・総選挙になったら、今度こそ、「憲法を変えて戦争できる国にしよう」という人たちにとどめを刺す、そんな1年にしたいです。
〈瀬長〉 日本は今でも、憲法の上に日米安保条約が置かれている状態です。沖縄で起きていることは、安倍政権がめざす憲法改正の先取りだと思います。日本国憲法で総理大臣をはじめとする公務員は、主権者である国民に奉仕し、基本的人権を定めた日本国憲法を守る立場です。「自分たちの暮らしを守りたい。住んでいる場の安全を守りたい」という高江の住民の願いは、まさに基本的人権。それを公僕が侵害しているんです。
 たたかいは続きますが、辺野古や高江ではこんな言葉が合言葉です。「勝つまであきらめない」。今年もがんばりましょう。

(民医連新聞 第1635号 2017年1月2日)

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