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2017年1月24日

熊本・水俣病 “運動”は動いた分だけすすむ 学び、共有した3日間 第4回全日本民医連青年社保セミナー

 昨年一一月二八~三〇日、熊本・水俣市で全日本民医連青年社保セミナーを開きました。二五県連と全日本民医連事務局から五八人が参加。水俣病の公式確認から六〇年。一貫して水俣病とその患者と向き合い、「すべての被害者の救済」を掲げる熊本民医連のたたかいに触れ、民医連の社会保障(社保)運動の担い手として学んだ三日間でした。

(永田真一、全日本民医連国民運動部)

 全日本民医連青年社保セミナーは、(1)各県連や法人の社保活動を担う青年担当者の養成、(2)経験の浅い担当者のレベルアップ、(3)担当者同士の経験交流と、全国的な担当者のネットワークづくりへの一助、を目的に開催しています。今回で四回目となりました。
 第二回以降、一貫して水俣市で開催。その理由は、水俣病の歴史とたたかいに触れ、水俣病と向き合ってきた熊本民医連のとりくみから社会の見方や捉え方、民医連の社会保障運動が果たす役割を学ぶためです。

■“民医連職員”の使命

 一日目は、水俣協立病院の元総師長、山近峰子さん(ケアセンター協立・介護支援専門員)と、くわみず病院元事務長で、現在は不知火患者会の事務局長を務める元島市朗さんが講演しました。
 山近さんは「民医連に寄り添ってもらった水俣病患者家族の想い」をテーマに、民医連看護師として、自身の病気のこと、重症の水俣病患者だった家族の看病の経験も交えて、病と向き合ってきた人生を語りました。ときおり言葉に詰まりながら「六〇年経っても水俣病は終わっていない。たたかい続けるのは辛いことだが、水俣病を語るのは民医連職員でもある私の使命。社会保障運動は“誰かがやるだろう”ではすすまない。一人でも動けば、その分はすすんでいく。アクションを起こし、医療人としてセミナーの成果を患者さんに還元してほしい」と訴えました。
 「水俣病のとりくみから民医連を考える」のテーマで講演した元島さんは「社会保障運動は絶対的な貧困層や高齢者だけの問題ではなく、国民九九%の問題。病院・診療所に来る人や地域の人だけではなく、九九%の国民を視野に入れたとりくみが必要」と述べ、公害は日本中で起こりうる国民全員の問題だと強調しました。
 最後に、「さまざまな理由で病院・診療所に来られない人たちがおり、地域の実態をつかむことが重要。疾病の治療のみならず、その根源にある『疾病を生み出す社会環境』へのアプローチも医療活動として位置づけよう。地域に出向くことは医療者の原点」と、民医連職員の心構えを伝えました。

■「ミナマタ」を体感

同じ汚染魚を食べていた不知火海沿岸で「救済地域」と「未救済」に分断

同じ汚染魚を食べていた不知火海沿岸で「救済地域」と「未救済」に分断

 二日目は、はじめに海上フィールドワーク。船で水俣市を出発し、対岸の天草上島龍ヶ岳や倉岳へ、御所浦島や獅子島の脇を抜け、約二時間かけて不知火海を巡りました。見渡せばひとつの海を「救済地域」と「未救済地域」に行政は線引きしています。これがいかに不当かを体感しました。
 水俣病資料館も見学。水俣病の歴史を紹介する常設展示と企画展示があり、水俣病の現状や教訓を学ぶことができました。小中学生の見学も多く、水俣病の悲惨さを後生に伝えています。
 チッソが有機水銀を垂れ流した百間廃水口を見学し、水俣協立病院に向かいました。水俣病の原因企業であるチッソは今も同市で事業を継続しています。水俣駅から伸びる道はチッソ水俣工場の正門へ。その真向かいに対峙するように建つのが水俣協立病院です。
 同院の屋上から向かいに広がるチッソ工場を見ました。街の真ん中で今も稼働し続けていることに驚くとともに、公害病をもたらした企業がそのまま存在していることに強烈な違和感を覚えました。

■患者の背景に目を

 最終日にはグループごとに発表。たくさんの気付きや受け止め、決意表明が出されました。
 「福島(の原発事故被害)などの問題も本質的には同じだと気づきました。『一部の人・企業が利益を得るために多くの犠牲者がでている』ことであり、その問題の根底は『国や県の対応のずさんさ』にあると考えています。水俣では、汚染された地域や病気の認定などで不可解な線引きをしていますが、福島でも『放射能の汚染地区』で線引きをしているという点は共通しています。私たちも『ゼロか一〇〇か』ではなく、自分のできる範囲で行動していくことが重要だと改めて感じました」
 「一人一人の生活に目を向けられるのが民医連の活動であると改めて考えました。長期的な目線で社会活動ができ、点の活動を線にできるのが民医連だと気づけた」
 「同じ過ちを繰り返さないためにも学びを深めて、セミナーで生まれた問題意識を自分の中に留めず、周囲に伝え共有していくことが大切だと思います。今回の経験を生かすために、日々の気づきを大切にし、患者さんの背景にも目を向けられるようになりたい。また、各事業所に課題を持ち帰り、共通認識を持てるように職員に働きかけ、業務が忙しいなかでも学べる環境づくりをしたい」

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 この三日間を通して、社会保障活動の大切さ、民医連の医療活動の意義、そして全国の社会保障問題や健康問題と結びつけることができたのではないかと思います。参加者は比較的年齢も近く、終始楽しく学び、全国の民医連の仲間とつながりができた事も大きな収穫の一つです。今回の学びを活かし、全国の仲間とともに社保活動を前進させたいと思います。


参加者の感想 勇気あるたたかいに心揺さぶられ

 〈セミナーに参加して〉
 ネコはヨダレを垂らし狂い死ぬものと思っていた。奇声をあげ、壁に頭をぶつける人、道端の異物を食べる人。子ども心に怖くて、毎日走り抜けて逃げ帰っていた―。
 山近峰子さんが語る当時の水俣の様子は、異常としか言いようがなく、チッソとそれを許した国に対して強い怒りが沸きました。住民の分断、差別・偏見、貧困という現実、胎児性患者さんのエピソードなど、一つ一つの話が印象的で何度も涙があふれました。同時にあちこちから聞こえる鼻をすする音に気づき、同じ気持ちを共有できる同世代の仲間と学び交流できる三日間に希望も感じました。
 二日目は終日フィールドワーク。実際に海上に出て、ひと続きの海に線引きをすることの愚かさを実感。水銀を含むヘドロをシートで覆って埋め立てた美しくも悲しい広大な公園、チッソの企業城下町であることを実感できる水俣協立病院屋上からの眺めなど、生の「水俣」を感じられました。

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 水俣には想像を超える根深い問題があり、今もたたかい続けている患者さん・支援者がいます。国が行うべき経年的健康調査・環境調査を怠り、無理矢理に問題終結が図られるなか、民医連をはじめとする医療集団のたたかいが問題を終わらせなかったことを知りました。
 「何もしなければうやむやにできる」との最悪の教訓を国に与えなかった勇気あるたたかいに、心から感動しました。未曽有の人災が起きた時、「合理的」な賠償範囲に縮減したい国・加害者と被害者、という構図は今の「福島」にも当てはまります。
 水俣の経験を今こそ学び共有しなければ! の決意を新たに、大いに学び楽しんだ三日間でした。

(丸山いぶき、全日本民医連事務局)

(民医連新聞 第1636号 2017年1月23日)

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