その他

2017年4月18日

Borders 時々透明 多民族国家で生まれて (2)汗と言葉

 蒸し暑い夏の日。湿った空気が濃く感じられる。近所のバスケットボールコートに友達と8人で集まる。皆それぞれ違う学校に通っているけれど、同じ学年だから小学校のころからずっと野球、サッカー、バスケットボールを一緒にしてきた。ある時は同じチーム、またある時は敵チーム。この中で一番大きいのがクリスだ。15歳なのにもう190センチで110キロ。後にアメフト選手になった。そして僕の体重は彼の半分にも及ばない。
 チームを決め、片方がTシャツを脱ぎ、ゲームが始まる。いつものように最初から激しくたたかい、すぐ汗だくになる。シュートが外れると怒りの言葉が出たり、ファウルかどうか言い争ったりする。ある時、シュートを外したクリスが、「くそ! あのリングはユダヤ人なんだよ」と叫んだ。
 皆は聞き流したが、僕は腹が立ってクリスに言う。「俺はユダヤ人だよ。またそんなこと言ったら、ただじゃおかない」
 ゲームが中断する。皆の荒い息しか聞こえない。殴り合いになったら、クリスが勝つに決まっている。彼の前に立つ僕は高音でうなる蚊のようなものだ。一発で終わるだろう。僕の口は乾き、心臓が激しく鼓動している。しかし、クリスはがっちりした額に流れる汗を手でぬぐい、苦笑いをする。「ごめん。そんな意味で言ったつもりはないんだ」
 僕はひと息つく。「じゃあ、言うなよ」
 ゲームの後もう1人の友達が近づいてきて、「うちの学校で野球をする時はみんな言うんだよ。エラーしたら『ボールはユダヤ人だ』とか、『グランドはユダヤ人だ』とかね。別に意味はない」と弁解する。僕はどう返事すればいいか分からなかった。本当に「意味」がないんだろうか? 言う人に悪意がないとすれば、僕はどう受け止めればいいんだろう?
 深夜に嵐が来た。竜巻警報のサイレンがなかなか鳴らないから、地下室に避難する必要はない。しかし雷はとどろく。夜中に嵐が来ると僕はすぐ目ざめてしまう。部屋が一瞬紫の光で明るくなり、本棚、本が散らかった机、椅子など全てが見える。次の瞬間真っ暗に戻り、雷が家を揺さぶる。光と音が何度も繰り返される。
 街灯の光に照らされる雨を窓から見ながら、昼間の出来事について考え込む。何と言えばよかったのか。喧嘩しても何にも変わらなかっただろう。悪意がないなら、なぜあんな風に言うのか? 本音は? ひとつだけ分かることは、ユダヤ人じゃない友達は、こんなことを考えなくてもすむんだろう。
 徐々に雷は遠ざかり、風も静まるが、雨はまだ降り続ける。雨音だけになると意識は遠のいて、いつの間にか眠りに落ちる。


文 ヘイムス・アーロン 東京在住のユダヤ系アメリカ人。ワシントン大学院生、専門は人類学。1977年、ネブラスカ州育ち

(民医連新聞 第1642号 2017年4月17日)

リング1この記事を見た人はこんな記事も見ています。


お役立コンテンツ

▲ページTOPへ