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2017年5月2日

特集「私と憲法」 憲法を学ぶ心構え~木村草太教授に聞く

文・新井健治(編集部)/写真・五味明憲

きむら・そうた  2003年、東京大学法学部卒。首都大学東京都市教養学部法学系教授。テレビ朝日「報道ステーション」コメンテーターなどを務める。『憲法という希望』(講談社現代新書)、『テレビが伝えない憲法の話』 (PHP新書)など著書多数

きむら・そうた 
2003年、東京大学法学部卒。首都大学東京都市教養学部法学系教授。テレビ朝日「報道ステーション」コメンテーターなどを務める。『憲法という希望』(講談社現代新書)、『テレビが伝えない憲法の話』 (PHP新書)など著書多数

 全日本民医連は民医連新聞号外「憲法Cafe」などを使い、全国で憲法学習を進めています。憲法を学ぶ心構えについて、テレビや新聞でも活躍する憲法学者の木村草太さん(首都大学東京教授)に聞きました。

 よく「憲法と生活を結び付けて話をしてください」と依頼されますが、この言い方には少し問題があるのではないでしょうか。「自分の生活に関わりのない限り、社会問題には関心を持ちたくない」という態度の表れのように思えます。
 憲法は基本的に困っている人が使うものです。私はたびたび「憲法とは、国家権力の過去の失敗を繰り返さないための法」だと表現します。
 例えば「表現の自由」について、政府はあらゆる表現を万遍なく弾圧するわけではない。社会の多数派にとって、政府があえてつぶそうとする表現に関わらなくても生活できます。「生活と結び付けて憲法を学びたい」と言った瞬間に、自分とは関係がない表現の自由を切り捨てることに加担をしているかもしれません。
 憲法を学ぶとは、一見、自分の生活とは結びついていないかもしれない他の人の生活や考え方に想像力を働かせるということです。
 また、自分とは考え方が合わない人でも、「この人は、なんでこんなことを考えるのだろう」と思いを巡らすことで、自身の幅が広がるかもしれない。私たちの心を豊かにするためにも、憲法を学ぶ意味があるのです。
 憲法上の各種権利は、困った人が声を挙げてできました。権利の中で最も古いのは「信教の自由」です。歴史を紐解けば、宗教的少数者に対する弾圧が非常に強かったことが分かります。ほかにも職業選択の自由や移動の自由など、困った人が声を挙げて今の憲法に書き込まれているわけです。

困っている人を助ける

 民医連は無差別・平等の医療を掲げています。お金がなくて医療を受けられない人の中には、犯罪歴がある人がいるかもしれません。一般的には「犯罪者になぜ、優しくしないといけないのか」と考える人もいるでしょう。
 しかし、犯罪者の人格を否定することは、その人にとっても社会にとっても“危険”であるとの経験を踏まえ、憲法31条から40条にかけて、逮捕や拘禁について適正な手続きを保障しています。
 一方、犯罪の被害者の人権は、憲法25条の生存権などで保護されています。ストーカーやDVなどから、身を守ってもらう権利も生存権です。憲法は加害者、被害者双方の権利を保障しています。
 憲法を学ぶとは、困っている人を助けるということ。自分で自分のために憲法を使うのは、そうとう追い詰められている時です。本当に憲法が身近にある時は、たぶん『いつでも元気』を手にしている余裕はないでしょう。
 同時に憲法を学ぶことで「社会を良くすることに関わっている」との意識を持ってほしい。目の前の困っている人だけでなく、憲法という社会全体の希望と結びついているという感覚も得られるのではないでしょうか。

人間の尊厳とは?

 憲法の3大原理のひとつは「基本的人権の尊重」です。とはいえ、「人間の尊厳」は難しいテーマ。難しい理由は、全ての人間が尊重されるほど魅力的ではないという冷たい事実から出発するしかないからです。
 「人間はみな素晴らしい価値があるから尊重しよう」と、学校で教えられた経験はありませんか? では、価値のない人は尊重しなくても構わないのでしょうか。とても嫌な人に出会ったとします。「この人はどうしても無理」と感じた時が、人間の尊厳を考えるスタート地点。憲法はそれでもなお、個人を尊重する。「なぜか」と考えることが大切なのです。
 昨年7月、障害者19人を殺害した相模原の事件がありました。犯人は「障害者なんていなくなればいい」と犯行の動機を語っています。
 ある人を価値がないからと切り捨てると、歯止めが効かなくなり、全ての人間を切り捨てる理由づけになります。「人間である」、ただそれだけで尊厳を守ることを覚悟すべきです。
 「自分は大丈夫」と思っている人がいるかもしれませんが、人の価値は時の政権次第。今は遺伝子解析が進んでおり、近い将来「この遺伝子は犯罪者になる可能性が高い」との理由で、社会から排除される可能性もある。思わぬ理由で自分や自分の子どもの尊厳が奪われるかもしれません。

憲法を捉え直すチャンス

 国会の3分の2を改憲勢力が占めたことで、「憲法の危機」とよく言われます。しかし、こういう時代だからこそ、憲法を捉え直すチャンスです。ここ数年、憲法を学ぶ集会の数や書籍の出版件数が急激に増え、国民の憲法意識もかなり高くなりました。
 憲法学者にとっても、興味深い時代です。憲法がどのように動くかは“実験”をしてみないと分かりません。実験をするには、憲法に負荷を掛けることが必要です。
 安保法制が話題になった時、私は改めて9条を調べてみました。生前退位の問題が起きたから天皇制の研究もしました。学者が9条や天皇制について、具体的な問題を前に研究できる機会は貴重です。
 政治がうまくいっていれば、憲法を意識することはないでしょう。ここ数年の政治の圧力で憲法に負荷が掛かったからこそ、憲法が機能するかどうかがはっきりしてきたわけです。

権利の主体者に

 憲法の3大原理に「国民主権」がありますが、私たちは主権者の意識をどれだけ持っているでしょうか。「日本人は政治に無関心」とよく言われます。それは「自分が政治を動かせる」という有効性の感覚の欠如からきていると考えます。
 安保法制や原発再稼働、カジノ法など、安倍政権の個々の政策は国民の支持を得られていません。それでも政権の支持率が高いのは、「自分が反対しても意味がない」という気分が影響していると思います。政治に関心を持つには、「安倍政権を倒すには」と大上段に構えるのではなく、政治を動かせる有効性の感覚を人々が取り戻すことが必要です。
 有効性の感覚を取り戻すには、国政より小さい単位の自治を見直すことから始めるべきです。市町村や都道府県など地方自治体の決定に関わることもその一つ。憲法を学べば、地方自治の仕組みも分かります。
 地方自治体にとどまらず、マンション管理組合や町内会、職場の労働組合も決定機関であり、実は政治の場なのです。皆さんは自治の現場での決定に関わることをあきらめないでほしい。自分の組合の役員を動かせない人が、国会議員を動かせるわけがありません。自治の実感を通して、一人ひとりが権利の主体者であることをつかんでほしいと思います。

いつでも元気 2017.5 No.307

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