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2017年5月23日

Borders 時々透明 多民族国家で生まれて (4)仲間?

 音楽室は暗い。音を吸収する黒い壁に囲まれ、金管楽器が光る。毎日ここで小さな音楽の授業があり、僕も含め6人の高校1年生が集まる。その中にロビンという金髪の巻き毛の女の子が居た。ベラベラ喋る内容はいつも同じ。「勉強で忙しくてしょうがない」。僕と友達は不思議に思っていた。宿題はほとんどないのに、なぜそれほど勉強しなきゃいけないのか?
 冬休み前にロビンは珍しく違う話をした。ハヌカ(ユダヤ教の祭り)でシナゴーグに行くらしい。普段なら何の話題であれロビンに巻き込まれたくない僕が、このときはひとこと言ってみた。「俺の家族は家で祝うだけだよ」。
 ロビンは目を細めて僕をじっと見ていた。黒い壁の前に座るロビンの髪は、金管楽器のように光っていた。長い沈黙のあと「あなたはユダヤ人じゃない。もしユダヤ人なら、私には分かる」と断言した。
 「へ? 俺はユダヤ人だよ」
 「違う。あなたはユダヤ人じゃない」と彼女は繰り返した。
 小石を投げるようにハヌカのヘブライ語の祈りをロビンにかけた。シナゴーグに行かない僕は、他にヘブライ語を知らない。彼女は態度を変えず「そんなの言ったところで、あなたはユダヤ人じゃないよ」。
 地元のリンカーン市ではユダヤ人の人口は1%に及ばない。高校でも全学生1500人中ユダヤ人は10人ほどだった。それだけ小さなユダヤ人社会だから、ユダヤ人家庭はだいたい知り合いなのだ。しかし、どうやら僕の家族のことはロビンの耳に入っていなかったようだ。
 翌日、音楽室でロビンにまた会った。「夕べ母と話したら、あなたのお母さんを知っているって。あなたはユダヤ人ね」と彼女はきっぱり言って、トランペットを出した。驚いた僕は何も言えず、自分のトロンボーンを組み立てた。
 その日まで僕は、自分がユダヤ人だと宣言するか、しないかという選択肢に悩むことはあったが、宣言しても相手が信じないとは想像したことがなかった。しかしこの出来事で、カテゴリーの不安定さを学んだ。自分がいくらある人種、民族、宗教などに「属している」と主張しても認められず、違うグループに属していると決め付けられるかもしれない。その背景にあるのは共通の民族、人種、宗教などのカテゴリーは存在しないという事実だ。仲間だと思っている人にも厳しく区別されることもある。


文 ヘイムス・アーロン 東京在住のユダヤ系アメリカ人。ワシントン大学院生、専門は人類学。1977年生まれ、ネブラスカ州育ち

(民医連新聞 第1644号 2017年5月22日)

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