いつでも元気

2004年10月1日

原水爆禁止2004年世界大会 地球から核兵器なくす花を咲かそう 被爆60年にむけ国際的な運動を!!

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 広島・長崎に原爆が投下されて五九年。ことしも、暑い日差しの下、五〇回目となる二〇〇四年原水爆禁止世界大会が開催され、広島集会に七八〇〇人、長崎集会に二五〇〇人が集いました。

政府代表とNGOが連携し

 ことしの世界大会には、政府を代表して、エジプトの外務次官、メキシコの軍縮大使、マレーシアの駐オース トリア大使が参加。来年の被爆六〇年に向けて、政府とNGO(非政府組織)が連携し、世界の世論と運動で核兵器廃絶をいかに実現させるか、議論と交流が深 められたことが大きな特徴でした。

 これらの国々は、非同盟諸国会議や核廃絶をめざす七カ国連合(新アジェンダ連合)など国際政治の舞台で、 核兵器廃絶のイニシアチブをとっています。政府代表が非政府組織である原水禁世界大会の運動に共鳴し、大会に参加して議論するなかで、核保有国に対し、被 爆六〇年に必ず「核廃絶の約束」を守らせようと確認しあう。これは、私たちの、長年の地道な運動の大きな成果です。

国連を署名で埋めつくす

 四年前、核不拡散条約(NPT)再検討会議が開かれ、米国を含むすべての核保有国が「核兵器の完全な廃絶 を達成」する「明確な約束」をしました。歴史的な合意の成立でした。しかしその後、ブッシュ米大統領はこの合意を完全に無視。国際世論に抗して無法なイラ ク戦争を起こし、さらには新たな核使用を推進する道を突きすすんでいます。

 このような状況のなかで、来年五月にNPT再検討会議が国連で開かれます。ことしの世界大会は、まさにこの会議をめざして、国連を署名で埋めつくすことなど、国際的な運動が意思統一された大会となりました。

 あわせて国際会議宣言では、「日本が平和憲法と非核三原則をまもり、被爆国として核兵器廃絶に積極的な役割を果たすことは、アジアと世界の平和のためにも重要な課題」であると強調され、日本の平和憲法をまもることが世界的な課題であることも共通の認識となりました。

「記憶と行動の1年に」と

 四日の世界大会・広島の開会総会で、広島の秋葉忠利市長が特別発言。市長は、被爆七五周年の二〇二〇年までに「この地球上からすべての核兵器をなくすという花を咲かせる」ことが目標だと語り、「来年を意義ある被爆六〇周年とするために力を振り絞りたい」と訴えました。

 さらに六日の平和宣言では、来年の八月九日までを「核兵器のない世界を創るための記憶と行動の一年」にしようと提起。日本政府に対して「世界に誇るべき平和憲法を擁護し、国内外で顕著になりつつある戦争並びに核兵器容認の風潮をただすべきです」と迫りました。

 これに対して小泉首相は、これまでの三回と同様の挨拶に終始。被爆者の声を聞きませんでした。

民医連交流会に370人

 世界大会には例年、一五〇〇人近い民医連の職員や共同組織のみなさんが参加しています。四日の夜は三七〇人が参加して恒例の「民医連参加者交流会」が広島市内で開かれました。

 交流会は、肥田会長、青木克明広島県連副会長の挨拶のあと、長瀬文雄事務局長が「平和うちわ」を手に「平 和クイズ」を出題し乾杯。広島の青年職員たちの歌声「ノーモア・ウォー/戦争はごめんだ」が会場にひびきました。列島リレー・ピースアピールでは、自転車 平和リレーの北海道、辺野古の座り込みを報告した沖縄など、七県が発言しました。

 昨年に続き出演したロックグループ「ゴッドブレス」は「サダコ」を熱唱。ボーカルの佐々木祐慈さんは、被爆少女・禎子さんの甥で、全国の学校をまわり平和を訴えています。最後は沖縄の青年がカチャーシーを踊り盛り上がりました。

写真と記事 廣田憲威(全日本民医連理事)

いつでも元気 2004.10 No.156

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