MIN-IRENトピックス

2017年11月30日

特集「社会保障改革のゆくえ」

宮武真希(編集部)

「地域共生社会」とは

 安倍政権がすすめてきた社会保障改革。
 医療制度や介護保険制度も、膨大な改革が打ち出され、大きな問題を抱えています。この改革の特徴や、厚労省が打ち出した「我が事・丸ごと」地域共生社会について、岡﨑祐司さん(佛教大学教授)に聞きました。

医療・介護を成長戦略にとり込み
“官製”の地域づくりを推進

改革の特徴と安倍政権のねらい

 安倍政権のもとで新自由主義的な社会保障改革は今まで以上にバージョンアップされています。財務省と経産省が大きな役割を果たし、内閣府も加わり、「医療と介護を本格的なビジネスにして、成長戦略に取り込む」ことが主題になっています。厚労省は、抵抗する部分もあるが、改革の調整・スピードダウンを図り、政権の方針で改革を進めている。そう私は見ています。
 また、骨太方針を議論する経済財政諮問会議は、一貫して「医療費の抑制・削減をどう図るか」ということに焦点をあてています。都道府県ごとの医療費の差を問題にして、この差を半減させる方法を絶えず議論しているのです。
 医療・介護・福祉というのは、必要とする人がいるから給付やサービスが発生します。つまり、医療費や介護保険の費用が膨らむということは、必要としている人が増えているということです。本来なら「国民は必要な医療を受けることができているか」「健康が守られているか」「介護サービスによって高齢者や障害を持つ方の生活の質が維持されているか」という議論が必要なのに、そういう視点は度外視されて「いかに財政支出を抑えるか」ということが主眼になっています。

住民動員型の改革手法

 「住民を改革に動員していく」という手法が、現在の社会保障改革のもう一つの特徴です。新自由主義的な改革を実行すると、地域では様々な問題や矛盾が発生します。地場産業の衰退、雇用不安と低賃金拡大、貧困や生活困窮者の増加、障害を持つ方や介護が必要な方の不安が増える、孤立する人も増えるでしょう。
 そのような地域が抱えるさまざまな困難を、もっぱら地域の住民に対応させようというのが、介護保険制度の共生型サービスの背景にある「我が事・丸ごと地域共生社会」という構想です。「住民同士が支えあう」ことが強調されていますが、肝心の公的責任・行政責任、専門職の増員・配置の方針は出てこないのです。

地域共生社会とは?

 この構想は、厚労省が2016年に打ち出したものです。「地域住民や地域の多様な主体が『我が事』として参画して、人と人、人と資源が世代を超えて『丸ごと』つながることで、住民一人ひとりの暮らしと生き甲斐、地域を共に作っていく社会」とされています。

専門性を否定し「助け合い」強調

 厚労省として、財政抑制や給付切り下げの改悪が進んでいく中で、「地域で困っている人がいる。その人たちに対応する地域の仕組みを作っておかなければ大変なことになる」という問題意識があるのかもしれません。
 今年2月に出された当面の改革工程(「地域共生社会」の実現にむけて)=次ページ資料=を読むと、「かつてわが国では(「かつて」がいつのことを指しているのかは明確ではありません)地域や家族などのつながりのなかでさまざまな問題に対応してきた」とありますが、本当にそんな時代があったのか。今よりつながりのある時代はあったでしょうが、貧困や生活問題に対応できていたわけではありません。
 また、社会福祉や社会保障は家族に代わる「公的な支援」としていますが、介護や福祉サービスは家族の代替サービスではありません。子どもの発達への理解、生活上の困難をとらえて障害をもつ人・病気のある人のニーズを明確にするには、専門性が必要です。この文書には、社会福祉や、社会保障の権利性・専門性の言及はほとんどない。結局、古いタイプと同様の「助け合い」をもう一度再生したいのか、と思える内容です。「共生」をキーワードにしながら、障害者総合支援法を介護保険制度に吸収する、という目論みもあります。
 介護や障害、保育など各分野の専門性をあいまいにする内容も含まれていて、さまざまな問題をはらんでいます。特定の時期の政権と省庁が、地域は「こういう方向に向かっていくべきだ」と誘導し、官製の地域づくりを進めようとする方針には、疑問に感じています。

本来の「共生」とは

 そもそも「共生」とは、「異なる個人が、相互理解のもとで共に生きていく作法を学び、共に生きていく」ということです。例えば、文化の異なる外国人と、お互いの文化を相互に理解しながら新しい作法をつくっていくという、重い概念です。そして、共生によって作り出される社会とは、1人1人が排除されない、平等で自由な社会です。
 さらに「力を持つ人や優位な立場の人が、自分の責任を果たしていく」という、強者の自己改革が求められるのが共生なのです。社会保障の領域とのかかわりで言うと、お金持ちや巨大企業が応分の税負担をして、低所得の人の生活を支える、所得再分配強化の基盤をつくることが求められます。厚労省が言っているのは「共生」ではなく、お互いが助け合う「互助」や「共助」です。本来の「共生」の核心部分や変革の意味を抜き取って「地域共生」などと言われているのです。

生活支援事業を

 いま民医連や共同組織でも、介護保険制度の要支援の方への生活支援事業が拡がっており、「受け皿となる事業を立ち上げることは、このひどい改革を受け入れることになるのではないか」などという声もあると聞いています。しかし、私は積極的に実施していくことが大事だと思います。
 制度改悪の結果であろうとも、そこにニーズを持つ人がいるのであれば、先駆的開拓的に医療福祉を実施してきた運動的事業体は取り組むべきです。ただし、事業を実施しながら制度拡充の必要性と財政抑制・新自由主義的改革の転換を求める運動を、同時に進めなければならない。
 黙って従順に改革に順応するのではなく、声を上げて事業と運動を結び付け、また政策提起を行う。住民の要求は、生活支援サービスだけではなく、本当に安心できる制度づくりにもあります。その両方を追求できるのが民医連です。

改革の流れ変える運動を

 私は「住民の福祉力」を高めることが重要だと考えます。住民の福祉力とは住民が問題点を共有して助け合いを生み出し、差別や分断や排除を克服し、運動的に地域づくりに取り組むことです。同時に地域には行政が役割・責任を果たし住民生活を支える公的責任の体系が必要です。住民の自治を基盤に行政の役割と責任をしっかりつくることが共生社会の条件です。
 ところで、アベ政治はさまざまな言葉を繰り出します。「国難」、「この国を守る」、「総活躍」、「全世代型社会保障」、「我が事・丸ごと地域共生社会」などです。これが曲者なのですが、運動としても「言葉」にこだわらなければならないと思うのです。
 アベ政治の「言葉」を批判的にとらえながら、権利をもつ主体また生活者として、求める社会や政治、政策のあり方を「言葉」にして明確にしていくべきでしょう。またこれまで運動で使いなれた「言葉」が本当に住民の気持ちを捉えることができているのか、再考するべきだと思います。
 私は福祉国家構想研究会の1人として、「新しい福祉国家」の構想や政策を提起していますが、実は介護ではなく「ケア」という言葉にこだわっています。求められているのは「権利としてのケア保障」だと考えています。「ケア」の思想と実践を豊かにすることも運動的課題なのです。


資料「地域共生社会」の実現に向けて(当面の改革工程)より

「つながり」の再構築の必要性

 このような公的支援制度の課題に加えて、人々の暮らしにおいては、「社会的孤立」の問題や、制度が対象としないような身近な生活課題(例:電球の取り換え、ごみ出し、買い物や通院のための移動)への支援の必要性の高まりといった課題が顕在化している。また、軽度の認知症や精神障害が疑われ様々な問題を抱えているが公的支援制度の受給要件を満たさない「制度の狭間」の問題も存在する。
 こうした課題の多くは、かつては、地域や家族などのつながりの中で対応されてきた。

 かつての我が国がそうであったように、人生における様々な困難に直面した場合でも、人と人とのつながりにおいて、お互いが配慮し存在を認め合い、そして時に支え合うことで、孤立せずにその人らしい生活を送ることができる。

2017年2月7日 厚生労働省「我が事・丸ごと」地域共生社会実現本部より抜粋

いつでも元気 2017.12 No.314

リング1この記事を見た人はこんな記事も見ています。


お役立コンテンツ

▲ページTOPへ