いつでも元気

2017年11月30日

まちのチカラ・富山県立山町 
神々しき立山 息づく伝統文化

文・写真 牧野佳奈子(フォトライター)

立山連峰と立山ロープウェイ
(立山黒部貫光株式会社提供)

 立山黒部アルペンルートの最高峰・立山は、平安時代から「神の住む山」「仏の山」などとして人々の信仰を集めた日本三大霊山の1つ。
 江戸時代には、ひと夏に最高約6000人が登拝したという記録もあります。
 その麓に佇み、今も数々の伝統文化が息づいている立山町を訪ねました。

地獄絵にみる立山信仰

 標高3000m級の峰々が連なる「立山黒部アルペンルート」は、富山県立山町と長野県大町市を結ぶ37・2㎞。昨今の外国人観光客の増加もあり、ますます注目されている世界有数の山岳観光ルートです。
 トロリーバスやロープウェイなどを乗り継ぎながら満喫できるため、登山が苦手な人にも優しいのが特徴です。車窓から眺める雄大な自然美だけでなく、各停留所から少し歩けば、「みくりが池」や「弥陀ヶ原」など、目を見張るほど美しい景勝地を散策することもできます。
 しかし、立山に誰でも気軽に足を踏み入れることができるようになったのは、つい150年ほど前のこと。それ以前は修験者の男性のみが入山を許される聖地でした。
 特に平安時代中期から江戸時代にかけては「地獄のある山」として全国に名を馳せ、立山を舞台とした地獄図や曼荼羅などが数多く描かれています。そこにはおどろおどろしい光景だけでなく、阿弥陀や菩薩に象徴される極楽浄土の描写も。立山に登拝することはあの世に行くことと同じとされ、無事下山することによって汚れを落とし、生まれ変わると信じられていたのです。
 立山に登る際は、町内にある富山県[立山博物館]で事前に地獄絵を見ていくことをお勧めします。岩肌が一際険しい剣岳や、今もモクモクと火山ガスを噴き上げている地獄谷、女性は必ず堕ちるとされた血の池地獄など、昔の人の想像をかき立てた各地の風景が、より迫力を増して目に映ることでしょう。

女性のための布橋灌頂会

 立山博物館から徒歩5分の「うば堂川」には、長さ45mの赤い「布橋」が架かっています。江戸時代に女人往生のための儀式である「布橋灌頂会」が行われた舞台で、あの世とこの世の境とされていました。
 儀式では、白装束姿の女性たちが芦峅寺地区にある閻魔堂で罪を懺悔した後、白い布が敷かれた布橋を渡ってうば堂へ行き、真っ暗な堂内で極楽往生を願って念仏を唱えます。その後、戸が開かれ、目の前の荘厳な立山を拝むのです。当時は女性の立山登拝が禁じられていたため、極楽往生を願う女性信者が全国から集まりました。
 現在は3年に1度の行事として、当時の様子が再現されています。芦峅寺地区で、その運営を担っている佐伯照代さんに話を伺うと、「立山と山岳信仰の歴史は切り離せません。自然だけでなく歴史や文化にも触れて、立山全体を楽しんでほしいですね」とにっこり。
 立山博物館から徒歩10分の「立山・芦峅ふるさと交流館」では、佐伯さんをはじめ地元の女性たちが作る郷土料理を味わうこともできます。特に「つぼ煮」と「やきつけ」はお勧めの逸品。さらに当時の宿坊でも提供されていた朱塗りの御膳を前にすると、修験者気分に浸れること間違いなしです。食事は2日前までに予約が必要です。

現在は3年に1度開催されている布橋灌頂会(立山町提供)

現在は3年に1度開催されている布橋灌頂会(立山町提供)

ボランティアガイドはお任せ

 立山の奥まで足を伸ばせば、くろよん建設で知られる「黒部ダム」が。7年間の過酷な建設期間を経て1963年に完成した日本一高い巨大ダムです。底面から最上部まで186mあり、満水時の湖面の標高も日本一高い1448m。放水口に最も近いレインボーテラスからは、毎秒10トン以上の水が吹き出る迫力満点の観光放水を眺めることができます。
 立山から黒部までの区間で活躍しているのは、「立山りんどう会」の人たち。立山町民がボランティアで観光ガイドをしてくれ、行楽シーズンには約20人のガイドが毎週活動するほどの人気ぶりです。会員の野中美子さんに見所を尋ねると、「季節によって山の表情は変わります。花を見たい人には7月がオススメ。11月は称名滝の紅葉がきれいですよ」。
 立山には国の特別天然記念物に指定されている雷鳥も生息しています。「自然の生き物はいつ出会えるかわかりません。また、天候によっては景色が全く見られない場合もあります。そんな時でも立山や黒部の魅力を感じてもらえるように、インターネットには載っていない地元ならではの情報を写真などを使って伝えています」と野中さん。
 活動を始める前は「山は遠くから眺めるものだと思っていた」そうですが、今ではすっかり山に通って魅力を伝えるネイチャーガイド。大自然はその中に身を置いてこそ、自然への感謝と感動が身に染みるのかもしれません。

落差350mと日本一の称名滝(立山黒部貫光株式会社提供)

落差350mと日本一の称名滝(立山黒部貫光株式会社提供)

色とりどりの餅カーテン「立山権現かんもち」

 立山から寒風が吹き下ろし最も寒さが厳しくなる寒の内、風物詩の寒餅作りが始まります。立山町に伝わる自然製法のおかきで、くちなしや赤かぶなどさまざまな食材で着色するのが特徴。「こおりもち」とも呼ばれます。かつてはどの家庭でも冬のおやつとして作っていたそうですが、50年ほど前から民家の軒下で干す姿は見られなくなりました。
 伝統を残そうと最初に商品化に取り組んだのは、「食彩工房たてやま」。町ならではの気候を生かすため、製造過程では一切お湯や暖房を使いません。「もち米は冷たい水に浸すことで米の甘みが引き出されます。立山から寒風が吹く頃に2〜3℃の室内で乾燥させることも大事。ここの寒餅は、立山山麓からの寒風で自然乾燥させることで、自然な甘みが引き出されるのでおいしくなるんですよ」と工房代表の西尾智恵子さん。
 1月の大寒から約15日間、毎日約200升の餅をついて素早く形をつくり、40〜50日間かけてじんわり乾燥させるそう。約28万枚の寒餅が吊るされた光景は、まさに冬限定のカラフルな餅のカーテン。「たかが寒餅、されど寒餅ですよ」と微笑む西尾さんの目に、郷土への思いがにじんでいました。

天然着色のカラフルな寒餅

天然着色のカラフルな寒餅

原料から育てる手作り和紙

 富山県に伝わる「蛭谷和紙」を、原料から作っている人がいると聞き訪ねました。手刷り護符を復元したり、和紙を使った公共建築物の内装も手がけている川原隆邦さん。パリやミラノの国際博覧会にも参加するなど、今注目の若手アーティストです。
 「蛭谷和紙に特別な技法はありません。一から自分で作る昔ながらの和紙づくりを愚直にやっているだけです」と川原さん。民家が14軒しかない過疎集落で、夏は和紙の原料となる楮やハナオクラの栽培に、冬になると紙すき作業に従事しています。「作り方がシンプルだからこそ、新しいアイデアが浮かぶのだと思います」と言う川原さんの作品には、透かしの技術を巧みに使った斬新なものも。
 「昔は全てのものを大事に使っていたはず。和紙を通して、丁寧に暮らす生き方や価値観を提案していきたいです」と、凛とした眼差しで語る姿が印象的でした。

正月には川原さんが復刻した手刷り護符が雄山神社で販売される

正月には川原さんが復刻した手刷り護符が雄山神社で販売される

■次回は山口県周防大島町です。


まちのデータ
人口
26,418人
(2017年10月1日現在)
おすすめの特産品
米(コシヒカリ)、立山もも、寒餅、立山三六そば、ラ・フランスジュースなど
アクセス
JR富山駅から中心部まで車で約30分
問い合わせ先
立山町観光協会 076-462-1001

いつでも元気 2017.12 No.314

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