医療・看護

2018年1月2日

民医連奨学生に 聞く! 不安定な働き方きっかけ 「怒り」原動力に 滋賀民医連 森 優也 さん(1年生)

 なぜ民医連の奨学生になったのか―。各地の医学部奨学生に聞くシリーズ6回目は、滋賀民医連の奨学生、森優也さん。不当な目に遭い困っている人をどうするか? 民間企業で働いた経験から自分なりの答えを見つけ医師をめざす、今年31歳の1年生です。(丸山いぶき記者)

 二〇一七年六月に滋賀民医連の奨学生になった森優也さんは、この半年で広島、水俣、福島を訪れ、また自身の原点だという「貧困」についても学んできました。県連自慢の奨学生の一人です。
 「不十分な社会保障、不安定な労働者など、今の状況があるのは政治の責任。困っている人を助けるには政治を変えるしかない」と、これまで遠かった政治に対しても、何ができるかと模索中です。

■糖尿で足切断した仕事仲間

 森さんは東京の大学を卒業後、アニメーション製作会社で働きました。アニメーターなどへの発注や製作進行の管理が業務でしたが、勤務時間は「仕事が終わるまで」、休日もほとんどなし。書類上は業務委託契約で「会社に雇用されていない人」でした。医療保険は国保、年金は国民年金に入り、保険料も自分で納めていました。
 「何かおかしい」と思いながら、周りにも同様に不安定な働き方が広がっていました。そんな中、衝撃の出来事が。以前取り引きしていたアニメーターが糖尿病を悪化させ、足を切断したのです。
 実はその人からは、治療したくて生活保護の相談に行ったが、窓口で「足を切ってから来て」と言われたと聞いていました。五〇〇〇円の報酬の支払いが遅れてもひどく怒られました。「今思えば、出来高払いで働かなければ生きて行けず、治療もできずに困っていたんだと思います」と森さん。何もできなかったことを悔やんでいます。

■医療への疑問深まって

 その後、医療データを分析する厚労省の委託会社に転職しました。前職で社会保障に疑問を感じたためですが、医療政策を知るにつれ、疑問はさらに深まりました。
 病床を削減し患者を在宅へ追いやる一方、受け皿がないと嘆く声も聞きました。森さんは「国がやろうとしていることは市場まかせで責任逃れ。そんな片棒を担いでいていいのか」と考え始めました。
 そんな折、参加したセミナーで医師が一人地域に行くだけで状況を大きく変えられる「僻(へき)地医療」を知りました。社会保障や医療政策に疑問を抱きながら、困っている人を助けたくても結局は政策次第で思い通りにならない現状。森さんは、「いっそ、自分の手で変えられる医師をめざそう」と決めました。

■民医連を選んだのは

 民医連との出会いは、二〇一七年の入試宣伝です。テストに自信が持てず「今年はダメかも」と落ち込む森さんを門前で励ます医師がいました。今村浩県連会長です。握手をした手の温かさを覚えています。
 滋賀には県の奨学金制度もあります。民医連より格段に支給額が良かったにもかかわらず、森さんは滋賀民医連の奨学生になることにしました。一番の理由は民医連の理念です。“無差別・平等の医療”は、森さんが経験して考えてきたことに沿っていました。
 同行した今村医師の往診でも、重篤な患者さんが在宅でがんばる姿を見て、「高齢化する地域医療の現場で今村先生のような医師の存在は意義深い。自分もそんな医師に」と思えました。理念が他の職員に浸透しているか不安でしたが、身近な職員を見て「この人たちと働くなら」と決めました。
 もうひとつ、経済面も理由です。前の大学に通っていた時の奨学金も返済中の苦学生。県外出身の森さんは、将来滋賀に残れるか先の見通しが立っていませんが、県の奨学金は条件が厳しいのです。「民医連は全国にある。その時は相談して」という言葉が背中を押しました。「学びたい時に学費の心配なく学べる社会、若者が将来に希望を持てる社会を」と望みます。

* * *

 熊本で水俣病の原告から、「たたかう原動力は不当な扱いへの理不尽さ・怒り」であると学び、強く共感を覚えたという森さん。かつては働き方に「理不尽さ」を感じていた一人です。
 「何でもできるとは思いませんが、医師としてできることは増えるはず。理不尽さを抱える人に共感し寄り添うことは、今後、医師として働く原動力にもなります」。

(民医連新聞 第1659号 2018年1月1日)

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