いつでも元気

2005年3月1日

白血病の母から双子の赤ちゃん

アンマンからのレポート(2) 親切なヨルダン人一家に支えられて

日本国際ボランティアセンター(JVC)
中東担当 佐藤真紀

 今回、私が気になっていたのは、昨年八月に会ったイブラヒムさんのことだ。

 彼はバスラ出身。イエメンで数学の教師をしていたが、〇三年一二月、妊娠二カ月だった妻のミリアムさんが白血病と診断された。昨年二月に帰国し、バスラ のサドル教育病院に入院。しかし成人の白血病は薬も効かないことも多い。さらに妊娠中なので、化学療法をすると副作用が胎児に及ぶ。身動きできない。

500グラムで元気に誕生

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双子ちゃんを預かっているアハマッドさんのお母さん(04年8月撮影)

 イブラヒムさんは、イエメンから帰国の途中ヨルダンに立ち寄り、キングフセインがんセンターで受け入れてほしいと頼み込んだ。しかし枠はがんの子どもたちにしか開かれていない。受付の男性は「彼は毎日そこのベンチに座って泣いていました」と教えてくれた。
 ようやく同センターが無料で受け入れを決定。三月一八日に、バスラから救急車で搬送された。
 ヨルダンでは中絶は許されない。化学療法の開始は、胎児が六カ月程度まで成長するのを待たねば危ない。出産時の出血も母体に大きなダメージを与える。
 昨年四月一日、ミリアムさんの容体が悪化。六カ月に入ったばかりだったが、選択の余地なく帝王切開となった。
 赤ちゃんは双子。なんと、たったの五百グラムで生まれてきたのである。名はムハンマッドくんとハディージャちゃん。七六日間、保育器に入れられ、元気に 育った。ヨルダンの医療水準なら助かるのだ。

モスルから骨髄移植に

 今回会って話を聞くと、ミリアムさんの状態がよくないという。この間までは通院していたのだが、いまは入院して集中治療を受けている。
 双子の赤ちゃんは、親切なヨルダン人のアブ・アハマッド一家が預かってくれている。赤ちゃんもインフルエンザにかかってしまい、抵抗力の弱いミリアムさ んに近づくことはできない。
 双子の上に、娘のファーティマ(3)がいるが、イブラヒムさんも妻につきっきりのため、ファーティマは一人ぼっちになってしまう。その彼女の面倒をよく 見てくれているのが、モスルから来たアハマッドくん(11)一家だ。イブラヒムさんと同じく、がんセンターの正面にあるホテルに泊まっている。治療のため に、約一五家族が滞在中なのだ。
 アハマッドくんは、サラセミアという病気で骨髄移植を受ける予定で、姉のアスリーンさん(15)がドナー(骨髄提供者)になるそうだ。サラセミアは、赤 血球に異常をきたす遺伝性の病気で、定期的な輸血が必要だという。骨髄移植が成功すれば、定期的な輸血は必要なくなる。
 「モスルではサラセミアが増えていて、輸血が必要な子どもがたくさんいる。でも治安が悪くなって病院に行くこともできない」という。
 数カ月前にはアハマッドくんが輸血している最中に、病院の二百メートル先で爆発があり、窓ガラスが割れてしまったそうだ。

お茶目のファーティマ

 ファーティマは最近すっかりお茶目になって、この家族の人気者だ。彼女は「変顔」に こっていて、カメラを向けるととても変な顔をしてくれる。その場でデジタルカメラで確認して、変な顔に写っていればOK。変な顔が撮れるまでしつこく写真 を撮らされる。赤ちゃんの写真を持ってきて「こっちがハディージャ。こっちがムハンマッド」と教えてくれた。
 「じゃあ、これから赤ちゃんに会いに行こうか」ということになった。ファーティマは、アスリーンに巻き毛をドライヤーで伸ばしてもらい、帽子とコートも ちゃんと着せてもらって出発。
 外はずいぶんと冷え込む。
 アブ・アハマッド家では娘たち五人が、赤ちゃんにミルクを上げているところだった。大きくなったなと思うが、ハディージャちゃんのほうがいまひとつ病気がちだそうだ。

イラク国内で治療させたい

 イブラヒムさんは、赤ちゃんのミルク代や薬代の工面が大変だ。親類や知人のカンパなどで何とかつないでいる。
 イラクの子どもたちの命を救うには、国外で治療するのが確実だが、連れ出すことのできる子どもは限られている。国内で、きちんと治療できるようにしなく てはならない。二、三年後にそれを実現することを目標に、キングフセインがんセンターは患者の受け入れと、医療関係者のトレーニングを行なっている。
 私たちの役割は、足りない薬の支援を継続させながら、二月には、血液分離機などの機材も送る手配をしている。皆で協力しあうことが大切だ。
 帰国後、イブラヒムさんに電話する。「ミリアムの容体が悪い。医者は三日くらいしかもたないというんだ」。電話の向こうで響く声を聞くと、病院にいるこ とがわかる。凍てつくような響きだ。何とか助かってほしいと祈っていたが、翌日亡くなってしまった。残念でならない。

いつでも元気 2005.3 No.161

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