いつでも元気

2005年3月1日

郡山総一郎の緊急レポート 楽園襲った大津波

次々と運び込まれる遺体を前に…

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津波の翌日(タイ・プーケット 12月27日)

 昨年一二月二六日に発生したスマトラ沖地震と大津波。死者は二三万人をこえました(〇五年一月二五日現在)。今なお、その消息が確認されていない人も多く、身元が確認されていない遺体もかなりあると伝えられます。日数が経つにつれ、身元の確認は困難を極めています。
 当日、タイに滞在していて、翌日プーケットに取材に入った、カメラマンの郡山総一郎さんのレポートです。

 突然襲いかかった自然。自然は、生きるために必要な欠かすことのできない物を与えてくれ、育んできた。しかし自然は時に恐ろしく強大な力で牙をむく。
 インドネシア・スマトラ島沖で地震が起き、その地震は「津波」という怪物を生んだ。その「怪物」に人々はなす術もなく飲み込まれ命を失い、今なおその犠 牲者は増え続けている。人々は住み慣れた家を失い、愛する者を失った。
 遺体の一時保管場所となっている病院。そこには次々と遺体が運び込まれていた。その遺体の多くは、家族でさえ確認できないほど変わり果てた姿で、腐敗し た臭いを放ち、無言のままコンクリートの上に横たわっていた。
 肌の色は変色し、どこの国の人なのかさえわからない。目は飛び出し、腐り始めた内臓によってガスが体内に溜まり、体はパンパンに膨らんでいた。かろうじ て性別がわかるくらいである。もし日本人の遺体が横たわっていたとしても、私は確認できないだろうと思った。
 行方不明になっている家族を捜しにきている人は、運び込まれる遺体を注意深く見ていた。その手には家族の写真が握られていた。

次々と棺が組み立てられた

 医師たちは顔写真を撮影し、指紋を取る。遺体の腐敗がひどいためDNA鑑定用に遺体にメスを入れ、筋肉組 織を摘出する。衣類のポケットから、財布やパスポートなどを捜し身元を確認する。そして慎重に、遺体が身に着けている貴金属、アクセサリーを外していた。  その作業が終わると兵士たちによってビニールに包まれ棺に入れられる。その横では、次々と棺が組み立てられていた。
 一連の作業を見ていると、まるで工場の流れ作業のようだった。しかし医師たちも兵士も疲れきった顔だった。たぶん津波の発生直後から休んでいないのであろう。

悲しみや怒り やり場どこに

 並べられた棺には顔写真と番号が貼られていた。自分の母親を遺体の中から見つけ、その場で泣き崩れる人。遺体を見つめたままじっと悲しみに耐える人。彼らはこの悲しみを、怒りを、いったい誰に何に対して訴えればいいのであろうか。
 相手は「自然」なのだ。
 そう感じた私自身も、カメラを持っているが、何を撮り、また誰に何を伝えればいいのかわからなくなってしまった。 戦争は人の手によって行なわれる「人 災」である。人災であれば遺族も報道する私も訴えるべき相手がいる。しかし今回は「天災」、自然が相手なのだ。いろんな思いが頭の中を駆け巡った。現場を 離れることができなかった。
 この場にいる者として写真家として撮影しなければ、この地球上で起こっている事を記録し伝えなければ、と自分にいい聞かせながら撮影を続けた。

大変な中でも人を気遣い…

 私が病院にいたのはたった二時間であったが、その間に約五〇体の遺体が搬送されてきた。いったいどれだけの人が犠牲になったのか、見当もつかない。遺体を目の前にして考え込んでしまった。
 津波に飲み込まれて亡くなった人たちは津波さえ起きなければこの先の人生もあったであろうし、そのすべての人には家族がいた。残された人たちはなんの前 触れもなく突然、愛する人を失ってしまった。そしてその悲しく信じがたい現実を受け止め、乗り越え背負って生きていかなければならない。
 もし、自分の家族が津波の犠牲者になっていたら…だとしたら私は悲しみをどう受け取り、自分の中でどう処理すればよいのか。
 答えは出ぬまま現場を後にした。家が流されたことを「小さい家だったから流されてしまったよ」と笑いながら話してくれ、その上「ご飯は食べたか? 一緒 に食べないか?」と自分たちが大変な時にあっても私のことを気遣ってくれた人。瓦礫の山と化した自分の店をぼう然と見つめていた人。そして大切なかけがえ のない人を失い、悲しんでいた人。

一刻も早い復興を願って

 現在各国から支援や義援金が集まっているようだし、今後も支援は増えていくと思う。しかし親を失った子ど もたちが人身売買に利用されていることや被災者の元に届かない義援金、支援物資が盗まれているなど、さまざまな話を耳にする。今後は感染症や住居のことな ど、問題は山積みである。
 被災者が通常の生活に戻ることができるのはいつになるのであろうか。
 地震や津波は災害でも復興は人の力である。被害を受けたすべての人々の生活が一刻も早く元に戻るよう願ってやまない。 (写真家)

いつでも元気 2005.3 No.161

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