いつでも元気

2018年2月28日

医療と介護の倫理 
「倫理と政治、戦争、社会」

堀口信(全日本民医連 医療介護倫理委員会 委員長)

 これまで17回にわたり、医療・介護と倫理についてお話ししてきました。最終回は倫理について、もう少し広い視野からお話しさせていただきます。
 「倫理」とは、人としてなすべきことを意味します。国際的な定義にユネスコの「生命倫理と人権に関する世界宣言」があります。宣言は「人間の尊厳、人権及び基本的自由は十分に尊重される」と明記しています。
 宣言のように「倫理=人としてなすべきこと」の根底には、基本的人権の尊重があります。日本国憲法第97条は「基本的人権は…侵すことのできない永久の権利として信託されたものである」とし、ユネスコ宣言と同じ立場に立っています。

改憲は基本的人権の否定

 今、安倍政権は2020年に向けた改憲論議を加速させています。自民党憲法改正草案は現行憲法の97条を削除し、人類の英知が築いた基本的人権を否定しようとしています。
 「人殺し」を国益のために合法化する戦争は、そもそも人権や倫理の対極に位置しています。戦争のさなかで、人は倫理的理性を奪われてしまいます。アウシュビッツ強制収容所の経験者が書いた『夜と霧』(V・E・フランクル著)には、死と飢えへの恐怖、暴力による人間性のはく奪が生々しく描かれています。本の中から紹介します。
 「被収容者は点呼整列させられ、ほかのグループの懲罰訓練を見せられると、はじめのうちは目を逸らした。サディスティックに痛めつけられる人間が、こん棒で殴られながら決められた歩調を強いられて何時間も糞尿の中を行ったり来たりする仲間が、まだ見るに耐えないのだ」。
 「数日あるいは数週間もたつと、被収容者はもう変わっていた…目を逸らしたりしない。無関心に、なにも感じずにながめていられる。心にさざ波ひとつたてずに」。
 戦争と暴力は、人を思いやる心を奪います。戦争する国づくりをすすめる安倍政権の改憲は、最も倫理に反した行為です。

自己責任と医療・介護者

 マスコミがこぞって後押しする社会的風潮に「自己責任」があります。マスコミや政治家が使う自己責任とは、「オレには責任がない」と上に立つものが責任を弱者に押しつける意味で使われます。強者の保身と欺瞞の言葉です。
 「それは自己責任だから」と言った途端、「相手も頑張っているのではないか」「病気や倒産など、本人の努力ではどうしようもない事情があったのではないか」という想像や思いやりが働かなくなります。
 政治家の言動がマスコミで報じられると、その社会的影響は計り知れません。原発事故で福島県外に自主避難している人たちを「自己責任」と言い放った大臣がいました。
 新聞報道によれば、同時期に県内外へ避難した児童へのいじめが199件発生。横浜へ避難した生徒は、同級生に“ばい菌”呼ばわりされ金銭を要求されました。自己責任を口実に政府と電力会社の責任を逃れようとする政治家の言動は、教育の荒廃、いじめの助長につながります。
 そういった風潮をばらまく政治、マスコミを正し、人を思いやることを通じて、自己責任の害悪を乗り越えることは、現場で倫理を学ぶ医療・介護者の役割でもあります。
 基本的人権を中核にすえた倫理の広がりを図にしてみました。とことん人を思いやる、人権を尊重することが倫理の出発点になることを改めて強調し、本シリーズを終わります。長い間お読みいただき、ありがとうございました。(終わり)

いつでも元気 2018.3 No.317

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