いつでも元気

2005年5月1日

スマトラ沖地震 スリランカへ義援金と医療機器を 大津波被害の医療生協病院に届ける

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使えなくなってしまったCT(ゴール)

 スマトラ沖地震津波被害で、日本生活協同組合医療部会は、一月初めに第一次救援隊をスリランカに派遣。第二次支援隊(団長・高橋泰行医療部会運営委員 長)を二月一〇日~一三日に派遣しました。
 スリランカは、APHCO(アジア太平洋地域保健協同組合協議会)の副議長国で、スリランカには一四の医療生協があります。第二次支援隊に全日本民医連 から、原和人副会長と清水洋事務局次長が同行。原副会長の報告です。

「海がくる」人々は走った

 「人々は『Sea is coming』(海がくる)といって走っていた」と語ってくれたのは、世界遺産にもなっている古い町、ゴールにある生協病院の院長です。
 一二月二六日午前九時三〇分、ツナミは突然やってきました。海岸から八百神の市街地まで押し寄せ、三百神ほどのところにあるゴール生協病院も海水につかり、電気も通信手段も破壊されました。
 この日は休日でしたが、職員がすぐ出勤。入院患者を背負って高台にある病院に移送しました。被害を免れた別の病院は、次々搬送されてくる患者、遺体で、大混乱だったということです。
 ゴール生協病院は、翌日から一週間、被災者に無料診療を行ないました。また、市内のホテルが閉鎖され、各国からの支援者の宿泊先がなかったため、空いて いる病院の病室を提供したそうです。近くの国立病院は完全に破壊されました。
 ゴール生協病院玄関ホールの壁、高さ二神ほどのところに残っていた横線は、海水が押し寄せた跡です。私たちの病院と同じように一階が外来で、置いてあっ た単純X線撮影装置、マンモグラフィー、超音波診断装置、CTなどの診断機器がほとんど使えなくなってしまいました。
 CTのそばには修理のための配電基盤や乾燥剤まで置かれていて、なんとか使えないかと必死で修理しているようすが伺えました。診断機器が壊滅状態で、病 院の機能も回復していないため、病院収入はツナミの前の50%という状況です。

帝王切開の真っ最中に

 ゴールから南四〇礰にマータラという町があり、そこにも生協病院があります。病院の裏庭は海辺に接しており、ツナミの被害をまともに受けました。ツナミ がきたとき、院長先生は帝王切開の真っ最中で、何がおこったかわからなかったと話していました。急いで患者を二階に上げ、無事出産。自分たちは木にぶら下 がって命拾いをしたということです。
 マータラ生協病院も、X線の診断機器や手術器具、麻酔器、分娩のための機器がまったく使えなくなりました。
 物質的被害だけでも、ゴールの病院で四一〇〇万ルピー(約四千万円)、マータラの病院で五八〇万ルピー(約六百万円)とのこと。幸い、職員の死亡はな かったものの、家を失った組合員や職員が大勢いるということでした。
 私たちは両病院に、血圧計二台と血液中の酸素濃度を調べる機器一〇台(スタープロダクト社提供)をお渡しし、さらに全国から集まった三百万円の義援金と医療機器をお送りすると伝えました。

スリランカの医療生協

 スリランカは、国営の医療機関では医療費は無料です。しかしGDPの一・六%しかない国民医療費ですから、十分な医療ではありません。自費でもよい医療 を受けたいという人びとも多く、かなりの数の民間病院があります。
 スリランカの医療生協は民間の医療機関ですし、公的保険制度がないために、もちろん自費となります。組合員が医療生協の病院を受診した場合、各種の割引制度があるということです。
 同じ医療生協の病院といっても、日本の医療生協とはいろいろなところで違いがあり、組合員が自分たちの病院として、経営や医療活動に主体的に参加すると いうことはないようでした。しかし、日本の医療生協や私たちとの交流を通じて、また、民医連が災害で鍛えられたように、ツナミ被害を経験して、地域住民に 支えられた医療機関として発展していく可能性を十分秘めていると感じました。日生協医療部会と協力して、引き続き可能な支援を行なっていきたいと思いま す。
 全国からの義援金は一千万円をこしました。スリランカのほかタイにも、現地で活動している日本ボランティアセンターを通じて二百万円を届けました。


福岡でも震度6

大地震の確率は千年に一回未満のはずだった

 三月二〇日午前一〇時五三分、「福岡西方沖地震」が発生。福岡市の千鳥橋病院(三三六床)も震度6弱に襲われ、建物などに大きな被害が出ました。幸い病 院内での負傷はありませんでしたが、道路には亀裂が走り、液状化現象で砂が噴き出したところもあります。
 休日と昼食準備前だったことが、震度のわりには被害を小さいものにしたようです。
 救急外来に骨折一〇人を含む五〇人が受診しましたが、外科医が駆けつけたこと、電子カルテが停止しなかったことで診療は円滑に行なわれました。千鳥橋病 院や千代診療所の柱や壁、天井には無数の亀裂が走り、水道管がいたるところで破損。病院屋上の貯水タンクが倒れるなど、被害は大きなものでした。
 問題は、地震保険に加入していなかったため、修繕は全額持ち出しとなることです。九州北部は安定した地域とされ、昨年三月、政府の地震調査委員会が発表 した『地震危険度マップ』でも「震度6弱の大地震が起きる確率は千年に一回未満」とされています。したがってこの地域の地震保険加入率は低かったのです。
 地震発生後、患者を守るため多くの職員が自主的に駆けつけたことは、私たちの大きな確信となりました。(福岡医療団専務理事・杉谷雅博)

いつでも元気 2005.5 No.163

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