医療・看護

2018年4月17日

結成65年 民医連のDNA 困難な人に寄り添う姿勢は変わらない

 二〇一八年は全日本民医連が結成して六五年。そこで今年度は、「民医連らしさ」に目を向けるシリーズ、「結成六五年 民医連のDNA」を連載します。今回は、戦後中国の人民解放軍(八路軍)に参加した後、結成直後の民医連で看護婦(当時の呼称)として患者さんに寄り添ってきた竹村益美さんにインタビュー。竹村さんが長年勤務した東京・健生会がとりくむ「立川なんでも相談村」の夜回りにも同行しました。(丸山いぶき記者)

結成した直後から貧しい人の拠りどころだった

竹村益美さん

 竹村益美さんは、今年九〇歳になる民医連の元看護婦です。一九二八年五月、高知生まれ。三一年には満州事変が起こり、物心つく前から戦争の時代でした。一五歳の時、貧しい村の満蒙(まんもう)開拓団として家族でロシアに近い北満へ。しかし、村から満州に渡った五六四人のうち、三六一人が終戦後の避難生活で死亡。竹村さんも母と妹、弟を亡くしました。
 四五年、ハルビンの保健婦養成学校で学んでいた竹村さんは、翌年から七年間、看護婦として中国共産党の八路軍に加わりました。「実は、くじ引きに当たった友人の代わり」と竹村さん。幼い弟がいる友人に同情し加わった他国の革命運動でした。「でも、楽しい思い出ばかり。革命軍とはいえ、規律で紳士的な振る舞いが徹底。戦中、当然のように中国人を差別していた私たち日本人さえ平等で、外国で苦労しているからとむしろ優遇。その経験があったから民医連でもがんばれました」。

■八路軍から民医連へ

 民医連との出会いは、一九五三年七月。引き揚げ船が入港した京都府舞鶴で民医連の医療活動への参加を呼びかけられました。
 全日本民医連は同年六月七日に結成したばかり。深刻な医師、看護婦不足を補い強化するため、中国から帰国した医療従事者の受け入れ活動にとりくんでいました。五七年までに三〇〇人超が全国の民主診療所に参加し、患者への徹底した献身の気風と新しい医療技術の導入など、民医連の発展に大きな役割を果たしました。
 竹村さんも大阪民医連の呼びかけに応じ、同年八月から大阪・吹田民主診療所で看護婦として働き始めました。一〇年間、大阪で民医連の医療活動に尽力し、六四年一月からは、夫の転勤にともない東京・立川第一相互病院で働きました。

■民医連運動にエール

 戦争体験を振り返り、「出征、空襲、地上戦、原爆、戦後の低栄養…みんな悲しい戦争の犠牲者。いい戦争なんてない。戦争したい安倍首相を支持する国民が多いのが悔しい」と竹村さん。
 「患者さんの目線」を心がけ、帰国後は民医連ひと筋だった竹村さんからは、印象深い患者エピソードが次々出ます。「民医連は、大阪でも東京でも貧しい患者さんの拠り所。貧しくても、困った患者としてよそを追い出された人でも、受け入れていたから」。
 最後に「でも今は、患者目線の医療活動はどこの医療機関もやっているから」と、地域に出る民医連の運動にエールをくれました。


アウトリーチを重視した活動

地域に出て貧困を探しだす

東京健生会

 三月九日午後九時、JR立川駅北口前の郵便ポストを目印に、「立川なんでも相談村」のメンバーが集まりました。二カ月ぶりの夜回りに、健生会の職員や友の会員、立川市議会議員など六人が参加。小雨がパラつくなか約一時間、路上生活をする人を探し駅前のデッキや駐輪場、高架下、公園などを見て回りました。気温は九度と、夜はまだまだ冷えます。
 「こんばんは。寝てるとこごめんね」。友の会の大神田伊曽美さんが、五年以上見守りを続ける六〇代後半の男性(Aさん)に声をかけました。歩道橋の下に段ボールで壁をつくり休んでいたAさんは「丈夫だからかぜひかないよ」と応じました。

 夜回りには血圧計を持参します。「病院関係者とわかるとぐっと距離が縮まる。医療ってスゴイ」と話すのは社会福祉法人三多摩福祉会の三井亨さん。「立川なんでも相談村」の事務局長です。パンを差し入れ、友の会が行う無料の大腸がん検診をすすめ、三井さんは最後に、Aさんに声をかけました。「具合が悪くなったらいつでも立川相互病院に駆け込んで。アパート探しの相談にも乗るからね」。

■路上生活、減ったけれど…

 二〇一〇年一一月一六日、健生会が呼びかけ「立川なんでも相談村」は誕生しました。「日頃の活動で手の届かない人々の貧困や困難に心を寄せよう」と、弁護士や議員、労働組合、教員など市内一三団体と共に結成。街頭相談会や河川敷の見回りなど幅広く活動しています。現在までにのべ四四件の生活保護申請を支援。うち三三人が路上生活を脱しました。
 「Bさんは元気に働いてる」「スーパーでCさんに会った」と、かつての路上生活者のうれしい近況を報告し合う大神田さんや職員。百貨店の地下へ続く階段など人目につかない場所も、くまなく見て回ります。「最近は、路上生活者が減ったけど、ネットカフェやファストフード店などの見えないところにいる人も多い」と三井さん。駅前から追い出され、河川敷に辿りついた人もいました。
 社会とのつながりが希薄になり、病気や障害など問題を複合的に抱え孤立する人が多く、社会的困難は見えにくくなっています。三井さんたちは、そうした人を探し当て援助する「アウトリーチ」を重視して活動しています。

(民医連新聞 第1666号 2018年4月16日)

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