医療・看護

2018年4月17日

ひめは今日も旅に出る (2)「一生分の涙」 

 沖縄での違和感から、2015年の冬、ダイエットと体力づくりを目的に水中ウオーキングを始めた。でも、あれ? がいっぱいだった。立っていられず座って着替え。腕が上がらず肘を立ててドライヤーを使うなど。疲れすぎるにもほどがあるとガッカリし、頓挫。
 さらに。階段で息切れ。歩きにくい。つま先が上がらずつまずく。分厚い会議資料がもてない。ペットボトルがあけられない。中ジョッキをもち上げられない。うまく文字が書けない。鍵を回せない…。日常生活にも支障をきたすようになった。
 2016年6月、元海兵隊員による女性殺害に抗議し追悼する沖縄県民大会に参加した。立ち寄ったパン屋の前でよろけて転び、しばらく立ち上がれず友人を困らせてしまった。バレないようにしていたが、ついに勘づかれ、「原因がわかれば治療法があるはず。まずは受診してみよう」という彼女の言葉に背中を押され、帰ってすぐ神経内科を受診した。
 しかし検査を重ねても異常はみられず、大学病院に紹介となった。9月末、筋電図検査を受けたのち、外来で「恐らく神経の病気、下位運動ニューロンに異常がみられる」と伝えられた。否定されることを願ってある病名を聞いた。「ALSですか?」。
 「その可能性もあるため、検査入院が必要」と告げられた。症状からALSだと勝手に確信し、愛車に乗り込んだ途端、ぽろぽろ涙があふれてきた。もう元の身体には戻れないんだ、壊れてゆく身体とともに過ごしてきた1年あまりの記憶と感情が蘇り、拭っても拭っても涙が流れた。
 その夜、夫に報告すると、「あっそう、わかった。で、入院はいつ?」と拍子抜けするほどあっけなかった。ことの重大さがわかってる? と心配したが、逃れられない現実に正面から向き合う彼の前向きな冷静さが、私を現実に引き戻してくれ、逆に救われた。
 一生分の涙を流し終えたかのように、あとにも先にも、ここまで大泣きしたことはない。10月はじめ、仕事上の引き継ぎを押しつけ、入院。検査の日々が始まった。


文●そねともこ。1974年生まれ、岡山県在住。夫・長久啓太、猫2匹と暮らす。2016年、ALS(筋萎縮性側索硬化症)と診断をうける。

(民医連新聞 第1666号 2018年4月16日)

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