医療・看護

2018年5月8日

ひめは今日も旅に出る (3)「それはいくらなんでも!×3の告知」

 ALSの疑いありと宣告を受けた2016年10月、人生初の入院生活を過ごした。目まぐるしく変化していく身体と環境に、心折れそうになること数知れず。大学病院での3週間は、これまでの人生をギュギュッと濃縮させた、嵐のような日々だった。
 検査入院当日、緊張しながら病棟を訪ね一番安い多床室へ。私のベッドに見覚えのない主治医の名前が。看護師さんが、知らなかったんですかと言わんばかりに、入院中の主治医は外来で診察した医師とは違うと説明。どきどきしながら午後から問診や血液検査等を終えたが、待てども待てども主治医現れず。初日終了。
 翌朝、看護師さんに主治医にご挨拶したいとお願いし、ようやく慌てた様子で主治医現る。はじめましてのご挨拶のあと、病状説明、入院計画の説明を受けた。
 3日間にわたり、いくつもの痛い検査、呼吸や嚥下機能の検査も受けたのち、夫、私の両親も同席し、検査結果を聞いた。主治医はインフォームドコンセントと書かれた資料を配布し読み始めた。予想通り、ALSだった。
 ビックリしたのはALSだったことではなく、その告知のあり方だった。主治医は、ALSの進行に伴い身体の自由が奪われていくという、病気の説明を淡々と続けた。励ましの言葉もなし。これが告知なの? と思いながらも、私の頭のなかを占拠していたのは、現状維持をしながら退院後の生活をどうするか? だった。
 主治医の話は、この問いに応えるどころか、ほんの少しの希望さえも見つけることができず、次第に苛立ち始めた自分に気づいた。そこで、せめてALS患者に必要なサポート、退院後の生活を考慮し、活用できる制度なども含めて教えてほしいと要望し、一旦終了した。
 退出しようとしたとき、分からないことがまだ分からない私を、さらに逆撫でした看護師さんの「分からないことがあったら何でも聞いてね」。このひと言に、閉まりかけていた心のシャッターが完全に下りてしまった。


文●そねともこ。1974年生まれ、岡山県在住。夫・長久啓太、猫2匹と暮らす。2016年、ALS(筋萎縮性側索硬化症)と診断をうける。

(民医連新聞 第1667号 2018年5月7日)

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