医療・看護

2018年5月22日

ひめは今日も旅に出る (4)「自分を取り戻すための試行錯誤」

 ALSはまだ治療法がない。診断翌日から引き続き入院し、進行を緩やかにする効果が期待される唯一の薬(2015年保険適用)を14日間点滴投与することになった。
 医学生担当という仕事柄、主治医へのお節介心がわき、難病患者に必要なサポートを考えてもらう機会になればと思い立った。介護保険を申請できるだろうか、特定疾患医療受給者証の申請をしたい、落ち込んでいる両親へのフォローを一緒に考えてほしい、と何かと主治医にもちかけた。
 主治医はソーシャルワーカーに丸投げして済ませるのではなく、真摯に対応できる真面目な医師だった。誠実に応えようとする主治医の姿勢に、ほんのすこしだけ救われた思いがした。
 入院生活は予想以上に過酷で、“いつでも元気”とはいかなかった。大学病院では、どこからきて何をしていたのか、そんなことはおかまいなしの、顔のない患者として扱われているような感覚が拭えなかった。民医連育ちの私からすると、医療観、患者観が違えば、アプローチもゴールも違うのだと、身をもって実感した。そもそも医療とは、看護とは何だろう? と考えこんだ。
 入院2日目に転倒したことで、移動は車椅子、しかも病棟内のみに限られ、突然移動の自由が奪われた。朝7時から始まる点滴、昼間のリハビリ、その合間に入浴や着替えの介助を母や妹に手伝ってもらう。急に誰かのお世話になる生活が始まった。
 身体と環境の変化が一気に進むなか、何とか平穏な自分を取り戻そうと、これまでのお気に入りの生活を貫き、居心地の良さを追求することに専念した。私のリクエストに応え、あれこれ抱えて病室通いをがんばった夫。週末ごとの院内カフェ。外食イタリアンに連れ出してくれた友人たちとのお喋り。ごくごく普通の日常が急にご褒美に思えた。
 とりわけ、早朝の病室から時々見える美しい朝焼けは、私への何よりの贈りものだった。よし! 心は元気、まだ大丈夫と、朝が楽しみになった。


文●そねともこ。1974年生まれ、岡山県在住。夫・長久啓太、猫2匹と暮らす。2016年、ALS(筋萎縮性側索硬化症)と診断をうける。

(民医連新聞 第1668号 2018年5月21日)

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