医療・看護

2018年7月17日

ひめは今日も旅に出る (8)「やっぱり、愛はブーメランだった」

 退院後、体力の続く限り仕事を続けた。不在中のお詫び行脚と残務整理で手一杯だったが、これをやらなきゃ休職できないと決めたことが1つだけあった。それは医学生担当としてお付きあいしてきた医学生へのご挨拶。1人ひとりに時間をつくってもらい、私の痩せた手を広げて、難病のALSになったことを告げた。
 大学病院と民医連の違い。診断が下らないことの大きな不安。入院生活のエピソード。病人も社会の中で生きている人間、生活を忘れないで。治らない患者の生をささえるケアが必要。学生時代にたくさんの喜怒哀楽を味わい人間力を蓄えて・・・。患者として感じたままに話し、病む人に伴走できる医師になってほしいと伝えた。
 衝撃のあまり言葉少なかった学生もいた。大切なものをたくさんありがとう、ちゃんと話してくれてうれしい、がんばって患者に寄り添える医師になりますと、それぞれに受け止めてくれた。うれしかったと同時に、最後の仕事を終え、ほっとした。
 職場復帰から2カ月ほどたった2017年1月、休職に入った。彼らとはその後もメールで交流を続けた。
 Aさんは、「いただくメールからエネルギーをもらっています。もっとがんばろうという気持ちになります。本当は僕がエネルギーをもらう立場ではいけないのですが。笑」と届く。できないことだらけの私でも、誰かの1歩につながるのかも! と気づかせてくれた。
 Bさんは、「本人と家族で決めた選択がその方にとっての正解だと思う。人工呼吸器をつける選択もつけない選択も、勇気ある素晴らしい選択」と素敵なエールを贈ってくれた。これまで選択を迫られる言葉しか聞いたことがなかった私は、彼のこの言葉に出会え、自由になれた。
 Cさんは、「命はいつか必ず尽きるもの。不可避な悲しみをいかに温かく迎えるか。温かい悲しみとするために自分のできることを追い求めたい」と語った。医師になった彼に会いたい。私がどう生き終えるか、見届けてほしいと願った。
 彼らへの愛は、ブーメランのごとく私に返ってきた。


文●そねともこ。1974年生まれ、岡山県在住。夫・長久啓太、猫2匹と暮らす。2016年、ALS(筋萎縮性側索硬化症)と診断をうける。

(民医連新聞 第1672号 2018年7月16日)

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