いつでも元気

2005年10月1日

元気スペシャル 活動なかった地域で 支え合いの輪広げようと挑戦 医療生協さいたま東松山支部

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完成した小物入れを手に東松山事業所の前で

 一〇月~一一月は全日本民医連の「共同組織拡大強化月間」。共同組織の仲間を一〇万ふやし(七月現在三〇六万)、『いつでも元気』誌を三〇〇〇部ふやそう(同五万二〇〇〇部)と、全国でとりくみをつよめています。
 医療生協さいたま東松山支部は、民医連の医療機関・施設がない地域に、昨年三月にできたばかりです。仲間をふやし、今では保健大学やくらしの学校(社会 保障学校)、料理教室や運動会、地域のバザーへの出店、ボランティア学校など多彩なとりくみを広げ、介護事業所の開設をめざしています。 (多田重正記者)

笑いが絶えない班会

 訪れたのは東松山事業所。アパートの一室を借りた事務所です。この日は「なでしこ班」の小物入れづくり班会。ほかの班からの参加をふくめ、一〇人が集まりました。
 「うまくいかないんだけど」「お父さん、何してるんですか、違うでしょ」「あれ、私の切った箱はどっかいっちゃった?」
 図面を見ながら牛乳箱を切っていきます。最後に色鮮やかな和紙をはって鶴の形の小物入れが完成するのですが、手順やコツがあり、悪戦苦闘のようすです。 テーブルいっぱいに道具や部品を広げ、みんな図面とにらめっこしています。その傍らで「昨日も事務所に来て小物入れを作り始めた」ちゃっかり者もいまし た。
 おたがいに冗談を言い合いながら、常に笑いが絶えません。「小物入れを夏休みの宿題に」と来た小学生や、組合員に誘われて、この日初めて班会に来たとい う人の姿も。大家族のようなあたたかさがありました。

30年来の組合員がいた

 東松山事業所がある「比企」地域は東松山市を中心とした一市五町三村。埼玉県が設定した九つの二次医療圏 (注)で、唯一医療生協さいたまの医療機関・施設がないのがこの地域でした。比企に医療生協の支部をつくろうと組織担当の職員が常駐して中心となり、保健 大学への参加、『けんこうと平和』(医療生協さいたまの機関紙)の配布者になることなどをお願いしてまわりました。
 事務所開設以来、組織担当として常駐している大川早苗さん(56)は、「最初の三カ月で約一〇〇〇件を訪問しました。当時は職員は二人常駐し、来る日も 来る日も地図とにらめっこして…」と話します。
 対象は、熊谷小児診療所(のちに熊谷小児病院。現・熊谷生協病院)を受診して組合員になった人たちが中心です。比企地区は小児科が不足、なかでも夜間の 救急対応ができる医療機関がほとんどなく、現在も状況は変わっていません。
 熊谷小児診療所は、所長の名前から「小林小児科病院」と呼ばれていました。一九五三年に埼玉民医連が結成された時からの診療所です。多くの人が子どもを 抱えて受診。三〇年来の組合員という人もいました。
 しかし、地域に活動がなく、医療生協もほとんど忘れられていました。それでも、「小林小児科病院をご存じですか」と聞くと、次々に「お世話になった」 「命を助けられた」という反応が。「お金はあとでいいから、といって診てくれた」「夜、子どもが病気になって、どこも診てくれなかったときに小林小児科病 院へ飛び込んだ。開業の前日だったけど、先生が一晩つきっきりで診てくれた」など感動的なエピソードが寄せられたといいます。
 なでしこ班班長の金子立子さん(56)も二七年前、子どもが「未熟児」で熊谷小児病院へ搬送されたことが医療生協との出合いでした。「職員が家に来て保 健大学に誘われたとき、最初は断ったんですけどね」と笑います。三回誘われて、「どういうものかやってみようかな」と保健大学を受講。「おしっこで塩分測 定したり、大腸がんチェックをやったり。血圧も測り方を教えてもらって、楽しかった」。介護や健康について、もっと勉強したい、と元気に話してくれまし た。

組合員さんが来ない日はない

 支部では「何が起きても一人じゃない」ということにこだわってきました。
「体調の悪い人が一人いれば、食事がとれているか声をかける。そんな関係をつくってきた。このことが蕫事務所に組合員さんが来ない日はない﨟という、いま の状態につながっていると思う」と大川さん。
「家族を三人介護して、健康を害していたときに、保健大学を教えてもらった」と話すのは大谷米美さん(57)。知り合いの縁で訪問を受け、医療生協と出合 いました。「まず自分が健康でないと、自分も家族も壊れてしまうことを学びました。いまも介護でたいへんだけど、声をかけてもらって勇気をもらっていま す」とうれしそうに話してくれました。
 浜田五朗さん(73)は、「友だちや地域の情報がほしい」と医療生協に。単身赴任後に退職して東松山市に戻ってきましたが、奥さんが闘病の末に亡くな り、いまは息子さんと二人ぐらしで、日中は一人です。そんなとき地域で太極拳をやっていた組合員の山下博司さん(65)と出会い、山下さんを通じて医療生 協のとりくみに参加するようになりました。

どんなことでも相談しあって

 支部の運営でも「一人ではない」工夫をしてきました。昨年度までは保健大学などほとんどの行事を大川さん が準備してきましたが、今年度はどんな役割でも責任者と相談者を組合員の中で決め、相談しあって運営できるようにしてきたといいます。そして相談者を決め た分、班ごとに計画を決め、決めた計画を必ず実行することに力を入れてきました。
 支部のとりくみは、八月だけでも、この日以外に埼玉県平和資料館の見学、ブドウ狩りなど盛りだくさん。九月には市内のグループホームにデイケアで来てい る知的障害者が、ハンバーグづくりを計画しています。障害者自身で、医療生協の班をつくっています。
 今年度は初めて「くらしの学校」(社会保障学校)も開催。各班によびかけ、六回の講義のうち「一回でもいいから参加を」と呼びかけ、二三人が参加しました。

組合員が20万人をこえた!

 医療生協さいたまは〇四年度、一万三〇〇〇人の仲間をむかえ、組合員は二〇万人をこえました。昨年は全支部で増資・仲間ふやしの目標を達成。今年度は組合員の三割に増資してもらうこと、「保健教室」か「くらしの学校」のいずれかを必ず開くことなどを提起しています。
 東松山支部は〇四年度、出資金の目標が三〇万円のところ、六八万円集めました。今年度は一〇〇万円の目標で、すでに一一八万円。仲間ふやしは昨年度一〇 人の目標で三七人で、今年度は四〇人の目標で現在一八人です。一〇月には組合員が地域にでかけて加入を訴えます。
 東松山支部は現在、介護事業所の建設をめざしています。「やらされるんじゃなくて、自分たちがやりたいことをやっていってほしい」と大川さん。
 あたたかさと笑顔の輪がさらに広がりそうで、楽しみです。 写真・五味明憲

(注)外来だけでなく入院までを含め、必要な医療が提供できることをめざした区域。

いつでも元気 2005.10 No.168

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