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2018年8月21日

今年10月から 生活保護基準 さらに 引き下げ 日本の医療の根本覆す大問題 尾藤廣喜弁護士に聞く

貧困と健康は密接な関係
なぜ生活保護の人だけが、いのちを我慢しなければいけないのでしょうか

 今年一〇月から、再び生活保護基準が引き下げられます。六月に成立した生活保護「改正」法では、生活保護利用者だけに後発(ジェネリック)医薬品の使用を原則化。厚労省は、生活保護利用者は薬局を一カ所に限定する薬局一元化も決めています。相次ぐ改悪の背景には、生活保護利用者は「劣等処遇でいい」という思想があります。数々の生活保護裁判にかかわっている尾藤廣喜弁護士に聞きました。(丸山いぶき記者)

 二一世紀に入り生活保護基準は引き下げ続きです。二〇〇四年から老齢加算、〇五年から母子加算を削減・廃止。母子加算は民主党政権下の〇九年に復活しましたが、再び廃止の標的とされようとしています。一三年八月から三年間かけて、生活扶助基準は平均六・五%、最大一〇%、六七〇億円も削減されました。一五年からは住宅扶助と冬期加算も引き下げ。五年ごとの生活扶助基準見直しの年に当たる今年一〇月から、三年間でさらに平均一・八%、最大五%、年額一六〇億円もの引き下げを決めています(図1)。
 それでは、なぜ生活保護はねらわれるのでしょうか? それは、制度に対する偏見があり攻撃しやすく、権利として請求できると胸を張れないこの国の利用者心理につけこめるからです。また、生活保護制度は多くの制度に連動しているため、これを引き下げることは自動的に各種制度の引き下げにつながり、財政の圧縮に効果的だからです。
 生活保護基準の引き下げは、生活保護を利用しない人にも影響します(図2)。近年、基準引き下げや働ける年齢層への締め付けのため利用者数が減少する中、高齢者と障害者の利用は増えています(図3)。年金を引き下げ生活保護に追いやりながら、執拗なバッシングで肩身の狭い思いをさせ、制度の利用を控えさせる。このような政治家こそ倫理観が欠如しています。

医療に差別をもちこむ

 安倍政権は生活保護法そのものも改悪しました。六月一日に成立した生活保護「改正」法では、医療扶助で後発(ジェネリック)医薬品の使用を「原則とする」としました。「劣等処遇」を正当化する、差別医療へ向けた一歩であり、日本の医療の根本を覆すものです。お金のあるなしで受けられる医療が変わる、医療の哲学が変わる深刻な問題と捉えるべきです。
 また厚労省は三月、生活保護利用者だけに薬局一元化を推進することを決めました。複数の病気を抱え最も選択の幅を用意すべき生活保護利用者だけ、自己決定権を否定し、薬局を制限するのです。
 福岡の民医連の病院には、お薬手帳を持参しない生活保護利用者を福祉事務所に通告するよう協力依頼が来たと聞きました(下別項参照)。法的根拠はあるのか、協力は任意か強制か、このような通告の効果の査定方法に合理性はあるのか、ぜひ問い質し、撤回を求めるべきだと思います。見せしめのように生活保護利用者をねらい撃ちにすることは明らかな差別医療です。貧困と不健康には密接な関係があり、最も必要な人に給付しない医療では意味がありません。


医療扶助の削減に向けた深刻な人権侵害に注意

 日本政府が行う生活保護制度の改悪は、国連の人権専門家からも「国際人権法に違反する不当な差別」などと指摘されるほど、重大な人権侵害です。

福岡や千葉では

 今年二月、福岡医療団から全日本民医連に衝撃の情報提供がありました。「生活保護利用者がお薬手帳を持参しない場合、医療機関と調剤薬局は福祉事務所に報告するよう」福岡市保護課から医師会を通じ、同市にある千鳥橋病院に協力を求める通知が届いたのです。「お薬手帳の活用推進と医療扶助費の適正化が目的」と説明しています。
 千葉県船橋市では七月、福祉事務所から、「医療扶助でC型肝炎新薬の処方せんが持ち込まれた場合は、担当ケースワーカーに連絡するよう」協力依頼がきました。理由は一昨年六月、神奈川県相模原市で生活保護利用者が高額なC型肝炎新薬をだまし取ったとして逮捕された事件があったからとしています。
 千葉民医連は常任理事会で議論し、福祉事務所に対し依頼撤回を求める要請行動を決めました。県に対し、撤回の指導や他自治体の動向把握などを求める行動も他団体と調整中です。今後も福岡や千葉のような事例が予想され、注意が必要です。

引き下げ中止求める自治体も

 一方、長野県では六月、飯綱町と信濃町議会が、生活保護基準の引き下げ中止を求める国あての意見書を採択しました。意見書では、「住民全般の生活水準の引き下げにもつながる」「現行でも、生活保護受給者の生活は決して楽ではない」としています。長野地区社保協の請願に応えたものです。


「劣等処遇」でいいわけない

 国際人権規約の社会権規約一二条は、いわゆる〝健康権〟を保障し、世界医師会が一九八一年に採択した「患者の権利に関するリスボン宣言」でも、差別なく医療を受ける権利や、患者の自己決定権を保障しています。
 一方、日本の医療は戦後、「いのちと健康は平等」をめざし国民皆保険制度を築いてきました。根本には「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」を国の責任で保障する憲法二五条があります。これに基づき生活保護制度は、無差別平等(二条)、最低生活保障(三条)の原理を定めています。
 こうした規定を見れば、「生活保護は劣等処遇でいい」などという考えは出てくるはずがない。憲法の理念や、医療の根本を理解していない考えです。なぜ生活保護の利用者だけが、いのちを我慢しなければならないのでしょうか。

日本の社会保障の行方

 生活保護が必要な人のうち、実際に利用している人の割合を示す捕捉率はわずか二割ほど。八割の人は生活保護以下の生活をしているにもかかわらず、利用できずに放置されているのです。〝自助〟〝共助〟を押しつけ、弱い者同士を互いに対立させ、国は責任を放棄しています。
 社会保険料の負担率は年収二〇〇万円以下が最も高いとのデータもあります。少なくとも所得税並みの累進で低所得者の負担率を下げ、高所得者が相応に負担すれば、保険の財政問題も解決できます。

* * *

 厳しい財政の中、医療費は無料であるイタリアのある行政官の言葉です。「応益負担で痛い目を見るのは貧困層。彼らを医療から遠ざければ、国民全体の健康を損なう。そんな政策は政治家として最も愚策だ。医療財政が厳しいなら、医療とはどうあるべきかを国民に正面から問うべきだ」。
 日本は、こんな社会保障でいいのでしょうか―。

(民医連新聞 第1674号 2018年8月20日)

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