いつでも元気

2005年11月1日

Peace & Rock 三重 平和だから音楽やれる! 多くの若者に被爆者の話きかせたい

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エンディングは大勢の出演者がステージに上がり「Love&Peace 」を大演奏

  「みんな、のってるかい!」。快晴の空の下、エレキギターが耳を揺さぶり、ドラムが身体に響きわたる…。
 平和を考えながら音楽を楽しもう―核兵器廃絶をめざしてバンドライブと被爆体験を聞く「ピース&ロックジャム」が八月二八日、三重県津市の津市観音公園 で開かれました。演奏は県下の九つのアマチュアバンド。ロック、フォーク、アフリカ民族音楽と多彩です。

 イベントを企画したのは伊藤健太さん(26)、津生協病院の介護福祉士です。
 伊藤さんはつい最近まで、平和なんて口にするのはかっこ悪いし、恥ずかしいし、面倒くさい、と思っていました。病院に勤めた翌年の〇三年、全日本民医連 青年ジャンボリーで沖縄へ。戦跡や米軍基地などを見、話し合うなかで「同世代の人たちが、こんなにいろいろ真剣に考えてるなんて」とショックを受けまし た。
 そしてことし五月の「核不拡散条約(NPT)再検討会議」に向けた行動で、三重の民医連代表としてニューヨークへ。世界の人々とふれあうなかで、日本の 憲法九条が海外で注目されていることを知ってびっくり。広島・長崎での被爆体験も、ニューヨークで初めて聞きました。
 「たくさんの人に被爆者の話を聞いてほしい」「思っているだけでは始まらない、動かんといかん」と考えていたときに「ピースアクション」の話が。被爆六 〇年のことし、青年が平和の行動を起こそうという全日本民医連の提起でした。
 「バンド仲間に被爆者の話を聞かせたい。バンドの仲間も追っかけの子も、きっと聞いたことないと思う」。こうしてピース&ロック企画が生まれたのです。

 桑名、松阪、津など県下のバンドに声をかけると「ぜひやろうという返事ばかり」。でも、それからが大変で した。会場、機材、協賛金の依頼、宣伝…。「頼りになったのはバンド仲間や友だち、病院の仲間たち。妻の支えにも感謝です」。妻の歩美さんは県立病院の看 護師で、伊藤さんがパーカッションを担当するバンド「天」のボーカルでもあります。
 この日、被爆体験を語ってくれたのは三重県原爆被災者の会の石田耕司さん。「満一歳の日に被爆。母親と多くの友人を白血病で失った。核兵器廃絶は被爆者 の悲願」と訴えました。被爆の実相を伝える写真パネルを、一枚一枚、丁寧に見つめる若者の姿もありました。
 「石田さんの話をみんなが真剣に聞いてくれたのが、いちばんうれしい。平和だから音楽がやれる。医療も福祉も平和だからこそ。そんな思いが少しは伝わったかな、いや今からかな…」
 進行や運営をめぐって「けんたさーん!」と声がかかり続けた一日。日焼けした顔で「来年もぜひ続けたい」とにっこりしました。
写真と文 若橋一三

いつでも元気 2005.11 No.169

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