いつでも元気

2005年11月1日

シリーズ被爆60年 「遠距離」「入市」の被爆者 がん発症率は一般の2倍こえる

熊本 画期的な被爆者健康調査をした市民たち

「違うというなら国は自分で調べてみよ」

「被爆者が真に伝えたいものがここにある」

 熊本の被爆者健康調査が話題を呼んでいます。遠距離の被爆者でがん発症率は一般の2倍以上――原爆被害を「小さく」見せてきた国に大きな衝撃を与える調査をした人びとを訪ねました。

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原爆症認定集団訴訟の法廷に入る原告と支援者たち
8月26日、熊本地裁

 「夫は食道ガンが転移して抗ガン剤で体はぼろぼろです。言葉も出ないので、私が代わりに(証言に)きました」。証言席で原告の奥さんがいいました。
 次の証人は、曇りガラスの衝立の陰で、尋問にこたえます。入退廷するときは、出口のドアまで衝立が立てられました。
 ――熊本地方裁判所で開かれた、原爆症認定集団訴訟の法廷です。被爆者本人への尋問で、重病に苦しむ夫にかわり、勇気をふるって証言に立つ妻。被爆者へ の偏見や差別がいまもあるため、名前も顔も公表できない原告――それは、被爆者の裁判がいかにきびしいものかを、まざまざと物語る光景でした。
 いま全国12の地方裁判所でおこなわれている原爆症認定集団訴訟は「いのちがけ」の裁判です。03年4月の提訴から2年半。166人になった原告の多く は年老いて重い病気をかかえた被爆者であり、すでに18人が亡くなっています。

国データは「被爆者同士」を比較

 集団訴訟で19人の原告がたたかっている熊本県。その熊本でことし8月、注目すべき調査がまとまりました。「2004年くまもと被爆者健康調査 プロジェクト04」といい、被爆者と非被爆者の健康状態を比較し、がんなどの発症率が両者でどう違うかを調べたものです。
 弁護団、被爆者、医師団としてとりくみ、調査の中心は熊本市くわみず病院附属平和クリニックの牟田喜雄医師ら。04年6月から05年3月まで、県内在住 で58歳以上の被爆者278人と非被爆者530人に聞きとり調査をしました。
 調査の核心は、原爆投下から2週間以内に爆心地に入った人(入市被爆者)と、2礰以遠で被爆した人(遠距離被爆者)で、278人のうち220人。国から 「原爆放射能の影響はない」とされ、原爆症認定を申請しても却下されている人たちです。このなかで下痢・脱毛など放射能障害の急性症状を発症した人は 143人(65%)。悪性腫瘍(がん)にかかった人は43人で、21人だった非被爆者の2倍以上に達しました。がんだけではありません。変形性脊椎症4・ 82倍、白内障2・5倍、肝臓機能障害2倍など、8つの疾病でいずれも発症率が一般を大きく上回ります。
 調査の結果は、衝撃的です。これまでも「遠距離・入市被爆者」にがんなどの病気が多いことはよく知られ、被爆者は「自分の病気は原爆のせいです」と訴え てきました。しかし、一般との違いが数字で示されたのはこれが初めてです。
 じつは、国が元にしているデータで、爆心地近くで被爆した人と比較されているのは、一般の「非被爆者」ではなく、遠距離で被爆した人なのです。
 被爆者を被爆者と比較するのは、肺がん患者へのたばこの影響について「1日20本吸う人」と「10本吸う人」を比べるようなものです。被爆の影響を小さ く見せ、「遠距離被爆者は被爆者にあらず」といわんばかりに切り捨てたデータには、かねてから強い批判がありました。

残留放射能の影響がはっきり

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 寺内大介弁護士はいいます。「国のデータでは、被爆の実相をとらえることができません。実際に健康状態を比較することで、ほんとうの被害に接近できるのではないかと考えたのです」
 国はその「欠陥データ」をもとに「原因確率表」という表をつくっています。病気の種類ごとに、被爆距離や性別、被爆時年齢などの違いによって原爆の影響 を%で示したもので、これが10%以下なら却下です。しかし国は残留放射能の影響を無視しているため、遠距離被爆者の確率は限りなくゼロに近くなっていま す。
 たとえば胃がんは男性で1・5礰以内・被爆時2歳以下、女性で2・2礰以内・被爆時4歳以下でなければ、10%に届きません(長崎被爆の場合)。ところ が今回の調査では、胃がんの場合、「遠距離・入市被爆者」と一般の発症数は男性で11人対3人、女性で2人対1人、男女計13対4で3・25倍(!)と、 有意差がくっきり出ました。残留放射能の影響を考えざるをえません。
 この結果は、集団訴訟に大きな影響を与えるもの。すでに全国の法廷に証拠として提出され、熊本では来年2月、牟田医師らが証言することになっています。
 寺内弁護士はいいます。「この裁判では個別被爆者の救済だけでなく、認定行政のあり方そのものにくさびを入れることが大きな目的です。こういう結果が事 実として出たのですから、国はまじめに受け止めてほしいですね。もし違うというなら国が自分で調べてみよといいたい」
 そう。本来なら、こういう調査は国がとうの昔にしていなければならなかったのです。とくに、がんなど晩発性障害の多くがこの10年で大量に発症している ことも今回の調査でわかりましたが、国はこの時期の調査をいっさいしていません。プロジェクト04が投げかける衝撃は広く、深いものです。

「水俣のようにやろう」と

 こうした調査がほかでもない、熊本でおこなわれたことには、理由があります。水俣病裁判での経験です。水 俣地域と関係のない地域との住民の健康調査をし、「水俣病とは何か」が明らかになった。弁護団長の板井優弁護士や水俣病医師団の藤野糺医師が「それと同じ ようなことをやってはどうか」と提起。「やろうじゃないか」と、被団協・弁護団が腹をきめたのが一昨年秋のことでした。
 それからがたいへんでした。
 最初の難関は対象者選び。「かんたんに集まるよ、といわれましたが、市の被爆者の会は600人、ほぼ全員に声をかけて半分以上断られた」と熊本県原爆被 害者団体協議会事務局次長の深堀弘泰さん。病院で聞き取りをしますが、被爆者には自力でこれない病人もいる。そうした人たちを車で送迎もしました。「壮大 な計画でしたが、想像以上にむずかしかった。まっとうできたのは、弁護士の先生方の情熱と汗のたまものです」
 非被爆者の対象者を集めるために年金者組合などへ、医師は民医連の医師だけでなく保険医協会にも要請、協会がOKすれば個々の医師の説得へ……弁護士は県下あちこち頭を下げ回りました。
 県下の民医連院所が休診の土日、病院に対象者が集まり、ボランティアが二人一組で聞き取りに約1時間。質問票が埋まると医師がそれをもとに確認します。 ボランティアの調査員となったのは民医連の看護師など職員、労働者や学生など。全体で医師26人、調査員は弁護士8人をふくむ495人、のべ848人が手 弁当で参加した壮大な市民運動でした。
 「国は問題だらけとはいえデータをもっている。それをどこまで超えられるか、私も最初は半信半疑。弁護士の熱に動かされてやる気になりました」と牟田医 師はいいます。「やってみて強く印象を受けたのは、被爆者にとって両親などを失った被爆は重大な体験ですから、ほんとうによく記憶しているんですね。聞き 取りという方法、サンプル数が少ないなど、国はいろいろいうかもしれませんが、なんといっても他にない貴重なデータで、無視はできないと思います」
 熊本大学の疫学の教授から助言・指導を受け、必要なサンプル数を確保。被爆者と非被爆者を年齢・性別ごとにマッチングするなど、調査方法、解析方法に細 心の工夫。世界唯一の核戦争被害者を科学の目でとらえたものとして、国際的にも注目されてよい成果となりました。

若い人たちに大切なものを

 「被爆者がほんとに伝えたかったものがここにあると思います」というのは、プロジェクトの事務局としてがんばった川端眞須代さん(くわみず病院健診部科長)。
「だれにも話せないで胸にしまっておいたものを、初めて、堰を切ったように話された方が何人もいます。『こんなに熱心に聞いてくださるから』というんです よ。若い人たちが聞き手になったのがよかったですね。大きな力になったし、若い人たちに、被爆者から大切なものが託された気がします。土日全部つぶれて大 変でしたが、まとまってとても感慨深いです」
 被爆者が「伝えたかったもの」とは何でしょうか。
 集団訴訟原告の一人、井上保さん(75)も、聞き取りにこたえて「14歳で学徒動員にひっぱられて原爆にあった。足からはウジがわく、薬はない、母は動 けない。戦後は銭湯でも、しまい湯でなければ入れてもらえなかった」という話をしながら、涙がとまりませんでした。
 長崎の海で造船の材料運搬中に被爆、両足を火傷した体で山越えをして熊本へ帰省。戦後60年苦しみ続けた熱傷が、いまも体の右、ひざから下にくっきり残 る井上さん。「いま一番いいたいことといえば、国は戦争の責任をとってくれということです。私がどうしてこういうことになったか、政府は一度でもまじめに 考えたことがあるでしょうか」

文・中西英治/写真・酒井猛

いつでも元気 2005.11 No.169

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