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2018年12月4日

結成65年 民医連のDNA 人権が守られる地域社会を問い続けて 創立からの源流に誇りと確信を培う 青森・津軽保健生協/健生病院

 「二〇一七年度経済的事由による手遅れ死亡事例」は全国で六三事例が確認され、青森民医連は東京民医連に次ぐ二番目の六事例。そのうち五事例が健生病院からの報告でした。今年創立六六年を迎えた津軽保健生協・健生病院を取材しました。
 (長野典右記者)

 ■日本海から太平洋まで

 津軽保健生協・健生病院の前身は、一九四七年に開設された津川医院でした。後に衆議院議員になった津川武一医師を中心に農地解放運動などともつながりながら、民主運動の中心になりました。
 津川医院のころに看護助手として入職した白戸法子さんは、「午前中仕事をして、駆け足で医師会看護学院に通う毎日」「入院患者は自宅から布団や枕、寝間着を持ち込む時代。それさえもできない患者が地域には多くいました」と当時を振り返ります。
 津川医師は「病院の診療圏は日本海から太平洋まで」と、冬は山道を馬ソリで走り、移動診療を行っていました。当時の青森は無医村が多く、「医療を民衆の手に」と願う津川医師らに地域医療を守る移動診療は不可欠でした。

 ■移動診療で人形劇

 移動診療は、一日の診療が終わってから六~七人で携帯レントゲンも持ち、まず看護師と事務らが先行しました。「ちょうど晩酌が終わった時間に農家の居間二部屋を借りて準備。医師の到着を待ちました」と看護助手で入職した三上智子さんは語ります。医師の到着が遅くなると話だけでは退屈になり、前座として一計を講じ、職員による劇団「ごんべえ座」が新聞紙で形をつくり、それに服を着せて人形劇を演じました。
 班会には、娯楽の少ない農村で早くから人びとが集まるようになり、評判を聞きつけた学校や老人クラブ、労働組合からも声がかかりました。ついにはNHKのローカル放送「津軽の昔っこ」という脚本で、一〇回の連続放送に出演したこともありました。

 ■いのちとくらし守る視点

 移動診療は診療のみならず、生活保護や結核予防法にもとづく申請、社会保障制度の普及・活用も重視しました。そして、戦後の混乱期に「お金の心配をせず安心してかかれる自分たちの病院がほしい」「医療に恵まれない働く人々のいのちとくらしを守りたい」と、一九五二年に津軽保健生活協同組合が誕生しました。地域住民に寄り添う津川医師らの献身的な姿に、健生医院本郷診療所では村の住民の八割が医療生協組合員になりました。労働組合や農民運動の組織から困窮者の相談が寄せられ、診察では、常に働く者のいのちとくらしを守る視点を貫いていました。
 二〇一七年には二八二床の健生病院が移転新築し、六万五〇〇〇人を超える医療生協組合員組織に発展しました。

 ■地域に鋭敏なアンテナ

 「津軽地域は農業で生計をたて、年収二〇〇万円以下で暮らす人が多くとても貧困な地域。そして高齢化や孤立がすすんでいます」「手遅れ死亡事例の五例もその中で発見されました」と語るのは健生サポートセンターの副センター長の堀川恵さん。同センターは二人のSWを含め二〇人が勤務しています。入退院支援や外来支援も行いながら、毎朝の救急外来の申し送りにSWは参加しています。午後にはカルテチェックを行い、気になる患者へ積極的に介入しています。
 キーパーソンの不在、生活状況の不明、セルフネグレクトが疑われる事例、経済的不安を訴えている事例などに対応し、医師をはじめ多職種で情報交換、事例検討をしています。「特に『一〇代の自殺企図』『多問題高齢者』『救急外来の頻回受診』事例などを注視しています」と話す同センターの主任SWの工藤聡子さんは、患者の自宅訪問もしています。これらの体制が、困難事例をキャッチするアンテナが鋭敏になることにつながっています。

 ■地域の3分の1救急搬入

 現在、健生病院の救急車搬入件数は年間約二〇〇〇件、弘前地域の約三分の一を受け入れ、年間九〇件の困難事例を把握しています。また小児科とも連携し、小児虐待対策チームとも情報交換を行っています。
 同センター長は安田肇理事長、副センター長には竹内一仁副院長も加わり、情報の共有化を行っています。「一つひとつの困難事例からの学びを積み重ねていくことが大切です」と堀川さんは強調します。

地域住民を守る砦

■おこまりごと相談室

 現在、弘前市の事業を利用し「おこまりごと相談室」を、月一回土曜日の午後に実施。医師、薬剤師、看護師、社会福祉士などスタッフ約一〇人が地域に出かけています。平均して八件ほどの相談があり、認知症高齢者の対応や、職場の人間関係の悩み、隣人とのトラブルなどさまざま。「『おこまりごと相談室』をきっかけに、適切な支援につなげ、手遅れ死亡事例のような人を一人でも減らしたい」ととりくんでいます。
 弘前市は、資格証明書を県内の市町村で最多の年間約五〇〇件も発行。当生協は七年前から年二回対市交渉を行い、以前よりは発行数も減少し、電話連絡だけで短期保険証をスムーズに発行してもらえるようになりました。
 「事例を通して地域の課題を見過ごさず住民に対応することは私たちの責任」「創設者の津川先生の遺志を次の世代に伝えることも私たちの役割」と堀川さんは話します。

 ■SDHの視点で

 竹内さんは「SDHの視点で、生活と労働を背景に社会的困難を診るためには多職種との連携が重要」と語ります。大髙由美医師は「脱水症状で七八歳の男性患者が救急搬入され、自宅を見に行くと飼育されていた猫の無残な姿。生活がとても困難だったことがよくわかります」と自宅訪問の大切さを語ります。
 田代実副院長は「生活に困難を抱える患者の健康障害の実態をもっと地域に発信し、『人権が守られる地域社会を』の問いかけが重要」と言います。「地域住民の“人権”を守る砦であることが、健生病院の源流、存在意義であり、職員一人ひとりの確信と誇りを培って、これからも民医連の医療と運動を継承させていきたい」と語りました。

(民医連新聞 第1681号 2018年12月3日)

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