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2019年1月8日

なんでおそらから おちてくるの? ~保育園・米軍ヘリ落下物事故を受けて~ チーム緑ヶ丘1207 from沖縄県宜野湾市 空から降るのは雨だけに 米軍部品落下事故の保育園から 沖縄・チーム緑ヶ丘1207

 「どうして空から部品が落ちてくるの」。そんな言葉を子どもたちには言わせたくないと、沖縄のお母さんが声をあげています。2017年12月、緑ヶ丘保育園(沖縄・宜野湾市)の屋根に米軍機の部品が落ちてきました。厚いトタン屋根が大きくへこむほどの衝撃。子どもたちが遊ぶ園庭まで、わずか50センチ。大惨事寸前でした。
 (代田夏未、丸山聡子記者)

 1964年創立の緑ヶ丘保育園は、「世界一危険」と言われる普天間基地から北に約300メートルの場所にあります。園児たちの頭上を米軍機が飛ぶことは日常茶飯事。「いつ事故が起きてもおかしくない」。懸念は現実となりました。
 2017年12月7日の午前10時過ぎ。緑に囲まれた園庭で2、3歳児が遊び、1歳児が園庭に出ようとした時でした。ドーンという音と衝撃、振り向いた保育士は、園舎の屋根で何かが跳ね上がるのを見ました。
 落ちてきたのは米軍ヘリの部品。保育園の近くに設置された県のカメラには、同時刻に米軍ヘリが飛行する様子と、衝撃音が記録されていました。米軍は、落下した部品が米軍のものであると認めました。
 しかし米軍は、「飛行中の米軍機からの落下物ではない」と否定。そのため、園と父母が求めた「原因究明までの飛行禁止」はかなわず、6日後、普天間第二小学校に約8キログラムの米軍機の窓枠が落ちました。同校にきょうだいが通っている園児もいます。

■子どもを守らない日本政府

 緑ヶ丘保育園の上空は日米両政府が合意した飛行ルートではありません。父母会を中心にOBや職員とともに「チーム緑ヶ丘1207」を作り、園と連携して「事故の真相究明」と「保育園の上空の飛行禁止」を求めてきました。事故の4日後から署名も開始。「空から降るのは雨だけに」と、仕事と子育ての合間を縫って署名を集め、市や県、外務省、防衛省などの政府への要請や講演活動などに懸命にとりくんできました。署名は13万筆を超えました。
 昨年2月には、上京して政府に署名を提出。「調査中」との回答にとどまりました。そして事故から1年後の昨年12月7日、神谷武宏園長と「チーム緑ヶ丘1207」のメンバー4人は再び政府に要請しました。願いは当たり前のこと。「米軍機は、飛行ルートではない保育園の上空を飛ばないで」です。
 しかし、政府の回答は誠意のないものでした。「飛行ルートを外れたとしても、ただちにルール違反とは言えない」(外務省)、「米軍が否定しているから米軍関連案件ではなく、米軍基地への立ち入り調査は考えていない」(警察庁)、「安全確保を申し入れている。(事故当時、飛行する米軍ヘリの映像などは)米軍には伝えていない」(防衛省)。さらに、「保育園上空の飛行禁止を米軍に要求してほしい」という要望さえ、首を縦には振りませんでした。

■空はつながっている

 現在も、オスプレイや戦闘機、軍用ヘリなどが1日に何度も保育園上空を飛び交います。神谷園長はその様子を映像で流し、「事態はむしろ悪化している」と訴えました。「アメリカの保育園や学校の上空を軍用機は飛ばない。なぜ沖縄は飛ぶのか。アメリカと沖縄の子どもの命の重さは違うのか」。
 お母さんたちも、目を赤くしながら言葉を重ねました。「子どもを守りたい一心で活動を続けてきた。自分の子どもの上に軍用機の部品が落ちてきたらどうですか。そういう危機感を持ってとりくんでほしい」(与那城千恵美さん)、「園長の説明を居眠りしながら聞いている職員もいた。命の話をしている。真剣に聞いてとりくんでほしい」(佐藤みゆきさん)。
 交渉後の報告のつどいで、「チーム緑ヶ丘1207」会長の宮城智子さんは、「日本中の空はつながっている。事故はどこでも起きる。全国の人たちに知ってほしい」と語りました。
 自身も宜野湾育ちの知念涼子さんは、今も事故から数日後のことが忘れられません。当時2歳だった子どもを寝かしつけていると米軍機の音が聞こえてきました。すると子どもが「ドーン! がきたよ」と言ったのです。「子どもは“飛行機”という言葉を知っていたのに。そんな傷を子どもの心に植え付けてしまった。守れなくてごめんね。大人の責任として、2度と同じようなことがないように、私たちはあきらめません」。

(民医連新聞 第1683号 2019年1月7日)

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