MIN-IRENトピックス

2019年3月5日

診察室から 祖父母がつないだ命守るため

 沖縄で生まれ育った私にとって昨年は命の尊さ、平和を希求する気持ちがさらに強く深まった年でした。沖縄戦体験者の祖父母が93歳の天寿を全うしました。
 生前、祖父母は沖縄戦の暗い過去の多くを語りませんでしたが、唯一話してくれたことがあります。いつもは真っ青な海を、真っ黒な艦隊が埋め尽くしたあの日、避難途中に近くを通る米兵に見つからないよう畑の側溝で息を殺し、身を潜めたこと、祖父は被弾し弾が体に残ったこと、戦火を免れた祖父母宅に多数の住民や軍人が身を寄せたこと、残念ながら親族の1人が戦禍に倒れたこと…。
 昨年の慰霊の日は、親族の名前が刻まれる摩文仁(まぶに)の「平和の礎」に手を合わせ、4人に1人が命を落とした沖縄戦の中、必死で生き延びつないでくれた祖父母の命があったから私がいて、平和な日々の中で娘たちにも恵まれ、幸せに暮らせている今に感謝しました。
 8月8日、会議を終え帰宅途中の車内ラジオで、翁長雄志前県知事の訃報を聞きました。ぶれない言動で県民の先頭に立ち、沖縄を基地のない平和な島にしようとがんばる姿を見られなくなった寂しさと、政府に対する悔しさが入り混じり、身内を亡くしたような喪失感で涙があふれました。その涙を乾かしてくれた9月30日の玉城デニー新知事誕生の瞬間は、翁長さんの遺志が引き継がれた喜びでうれし涙を流しました。
 政府は、沖縄に寄り添うという表向きの言葉とは真逆に、貴重な自然の宝庫の辺野古の海に土砂を投入し、何がなんでも新基地をつくる強硬姿勢を今も続けています。民主主義を否定する行為で、到底許されません。憲法を改悪しアメリカといっしょに戦争できる国へも、変えようとしています。
 幼い頃に平和行進や集会で辺野古に連れて行った娘は問います。「どうしてあの海を埋め立てるの…。戦争が起こるのは嫌だよ」。
 子どもたちの未来が、亡き祖父母が経験したあの悲惨な戦争につながらないように、私は民意を示し行動していきます。(大城工、沖縄・中部協同病院・歯科医師)

(民医連新聞 第1687号 2019年3月4日)

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