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2019年3月19日

結成65年 民医連のDNA 踏み出すことで役割みつけ アスベスト被害対策でも 兵庫・尼崎医療生協

 兵庫・尼崎医療生協では、問題に直面したとき、まず一歩を踏み出し、現場で動きながら自分たちの役割を見つけ、継続的なとりくみにつなげること、意味ある目標を立て、それを必ずやり遂げることが組織文化になっています。そんな尼崎医療生協のDNAを、いわゆる「クボタショック」以降のアスベスト被害対策を中心に探りました。

(丸山いぶき記者)

 戦時中、空襲で大きな被害を受けた兵庫県尼崎市には、戦後、栄養失調や結核がまん延しました。一方、九州や沖縄、中国、四国地方から大量の労働者が流入し、人口は飽和状態でした。住民や労働者の「いのちを守ろう」と、民主団体が中心となり1949年10月にナニワ病院を開設。その後、同様に地域にできた6つの診療所、3法人が合併し74年4月、尼崎医療生協が誕生しました。

■クボタショック

 2005年6月29日、新聞各紙が、JR尼崎駅東に位置するクボタ旧神崎工場の労働者や周辺住民に、中皮腫などアスベスト(石綿)による健康被害が多発していることを報じました。社会問題になった「クボタショック」です。
 アスベストは極めて細い繊維状の鉱物です。熱や摩擦などに強く、軽く丈夫で変化しにくい特性から、74年をピークに年間約30万トンが輸入され、さまざまな工業製品に使用されました。旧神崎工場では54年から95年までの42年間で23万トンを使用し、石綿セメント管や建材を製造していました。
 クボタショック後、尼崎医療生協は、船越正信理事長を先頭に対策委員会を立ち上げ、直ちに周辺住民への聞き取り調査を開始。住民からは、「廊下はいくら掃除しても真っ白」「洗濯物はチクチクした」と、操業当時の様子が語られました。職員など67人が参加し148軒を調査。深刻な相談も12件寄せられました。
 8月からはアスベスト検診を開始し、市に要請し、中皮腫検診もスタートさせました。住民や労働者、被害者の家族、弁護士らとともに「アスベスト被害からいのちと健康を守る尼崎の会(以下、尼崎の会)」を立ち上げました。

■加害責任を認めよ!

 「報道を見て、これで父は亡くなったんや! と確信した」と話すのは、後に国とクボタを相手に遺族として裁判をたたかった山内康民さん。父・孝次郎さんは、96年1月、中皮腫で亡くなりました。中皮腫は胸膜や腹膜にできる悪性腫瘍のことで、アスベストが原因で発症することがほとんどです。しかし、父の勤務先はアスベストを使用しておらず、労災は考えられません。父の職場はクボタ旧神崎工場から300メートルの位置にありました。
 クボタの労働者も多くが犠牲になりました。クボタ労使間では90年から極秘裏に、従業員のアスベスト関連死への労災上乗せ支給を実施。「その時危険性を公表していたら、ここまで被害は拡大しなかった」と山内さん。工場内のアスベスト粉じん濃度を下げるため、「窓や扉を開け、天井の大型換気扇で粉じんを排出していた」との証言もあります。尼崎市の中皮腫による死亡リスクは全国比の10倍。しかし、深刻な健康被害を出しながら、クボタも対策を怠った国も加害責任を認めません。

■厳しい救済のハードル

 尼崎生協病院のSW・田野あゆみさんは「信じられない、なんで!? 対策を取らなかった国に憤りを感じる」と言います。入職5年、尼崎の会に入り1年余り、現在、病棟からのアスベスト関連疾患疑いの入院患者情報を受け、会につなぐ橋渡しをしています。
 06年、国は石綿健康被害救済制度をつくり、クボタも独自の「救済金」制度をつくりました。しかし、いずれの制度も被害救済には不十分です。アスベスト関連疾患死に対し、国の制度で支給する額は、最大でも299万9000円。しかも診断書があっても7割しか被害認定されません。クボタは、国の制度で認定された患者ですら支払いを拒否します。
 申請で過去の石綿暴露を証明するのは難しく「申請自体ハードルが高い」と田野さんも実感しています。船越さんは、病理組織診断による裏付けを取るため、遺族に「つらいとは思うが、これでどうか無念をはらして」と病理解剖をすすめています。

 「制度の不備の背景には、いのちより経済優先の国の政策がある」と船越正信理事長。石綿の危険性は60年代には指摘され、80年代から多くの国が禁止に動き出しました。しかし、日本が原則使用禁止としたのは04年です。
 山内康民さんの裁判でクボタは「50年前の責任を問うのは経済活動の自由の侵害」と主張。元職員で尼崎の会事務局長の粕川實則さんは「利潤追求のために倫理観を失っている」と批判します。クボタは鉄道輸送の利を得るために人口密集地のJR尼崎駅東に工場を建て、中皮腫発症リスクが白石綿の500倍の安価な青石綿8・8万トンも使用したのです。加害責任を認めないクボタは、敗訴後も山内さんに謝罪していません。「加害企業が“救済”とは何だ!」と山内さん。
 日本でアスベストの輸入量が減少したのは90年代後半。季節労働で尼崎に来ていた人は全国に帰郷しており、尼崎由来のアスベスト被害の実態は計り知れません。

■体験を通し感性磨く

 国民皆保険制度につながる日雇労働者健康保険のルーツは、尼崎の「月10円掛け保険」。医療生協で無料低額診療事業を開始したのも尼崎医療生協が最初でした。
 東日本大震災では、翌日には先遣隊を出し、近畿地協に呼びかけ300人で支援に。安倍9条改憲NO! 3000万人署名では、戦争法の際の運動をもとに目標を立てやり遂げました。80年と比べ組合員は5・6倍、出資金残高は16倍。地域からの信頼を反映しています。組合監事の浅井みよ子さんは「医療も福祉も充実していて紹介しやすい」と話します。
 課題の後継者育成について、福島哲専務は「災害支援や裁判傍聴などの体験を通し民医連の職員としての感性を磨くことを大事にしている」と話します。専門外ながら大気汚染やアスベスト対策に尽力してきた船越さんも、「まず一歩踏みだし、患者の立場に立つことでやるべきことをみつけてほしい」とエールを送ります。
 SWの田野あゆみさんは、尼崎の会への参加当初、会議で飛び交う言葉の理解に苦労しました。しかし今は「制度を知っていても、その背景や経過、問題点を知らずにいては本当の支援はできない」「地域の人は、いつかは自分も…という不安を抱え本当につらいと思う。相談先として情報発信の役割を担いたい」と話します。
 先輩たちの思いは確かにつながっています。


活用しよう! アスベスト診断サイト

 アクセス方法は、全日本民医連HPのトップページ右上「職員専用ページ」↓「アスベスト関連疾患診断支援サイト」へ(ユーザー名:min-iren、パスワード:asbest)

(民医連新聞 第1688号 2019年3月18日)

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