医療・看護

2019年4月2日

相談室日誌 連載461 ますます不寛容になる社会 「わがまま」認める寛容さを(山口)

 当院内科に糖尿病の治療で通院している40代の独居の男性。糖尿病性網膜症が進行し、視力が低下しています。中学を卒業後、働いてきましたが、15年ほど前、転落による脳挫傷後遺症のため仕事ができなくなり、次第に酒量も増加しました。当院精神科でアルコール依存症、自閉症スペクトラム障害と診断されています。こだわりが強く、時に被害的な妄想を生じ、スタッフや近隣住民とトラブルになります。断酒はせず金銭管理もできません。夜間に病院や訪問看護ステーションに電話をして不眠を訴え、「インシュリンを打ったら死ねるかねえ」などと話し、スタッフを困惑させます。ケース会議でスタッフ同士のささえ合いを強化しながら、かかわっています。
 60代で独居の男性。40代でアルコール依存症と診断され、専門病院への入院歴があります。当院内科で心不全などの治療をしています。元気になって退院しても、すぐに再飲酒して通院が中断します。自宅に安否確認にうかがうと衰弱して動けなくなっていて再入院…をくり返していました。自宅はゴミを乗り越えないと本人の居室にたどり着けない、いわゆるゴミ屋敷。古い家屋で床も抜けており、住める状態ではありません。退院時に施設に入居したこともありますが、タバコが自由に吸えないことに我慢ができず、無断退去したことが複数回ありました。同じことのくり返しが続き、かかわるスタッフも徒労感を持っていました。しかし、11回目の退院時、自ら施設入居を希望しました。
 どちらのケースも、私たちは「わがまま」な要求に振り回され疲弊し、“自己責任”ですませたくなってしまいます。しかし「わがまま」につきあう実践とは、その背景を理解する努力だと思います。不寛容な社会になってきているからこそ、「わがまま」も認める寛容なかかわりが、より重要になっています。そのことが誰もが生きやすい社会につながると思います。そういう実践ができるのが、民医連の事業所ではないでしょうか。

(民医連新聞 第1689号 2019年4月1日)

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