民医連新聞

2003年5月5日

「時代」をつなぎ未来へ 青年が探訪する民医連の歴史

 一九七三年から一九八二年まで、七〇歳以上の医療費の窓口負担は全国で無料でした。東京での運動が全国に拡がり、実現したものですが、さら にその発信源は、東京・文京区の診療所群。内田徹夫先生に東京健生病院の事務・大金貴正さんと、ナースの渡辺智佳子さんがききました。

(木下直子記者)

大金 いま高齢者の負担金は一割か、収入の多い人で二割、窓口で請求するのが申しわけない気持ちになります。「高齢者はみんな無料」って、どうしてそんなすごいことができたのですか?
渡辺 それも、文京から発信した運動だったというのはホントですか?
内田 今の高齢者に強いられている負担の重さから考えると、二人が驚くのも仕方がないかもしれないですね。
 はじまりは一九六三年にできた「老人福祉法」という法律です。その中に「国は老人の健康について、診査をしなければならない」という項目があることがわ かりました。高齢者は無料で健康診断ができるんです。一九六五年、初めて老人健診を行いました。このときは、来診した高齢者に行うだけの日常診療の範囲で したが、二年目の一九六六年は文京民医連(当時はこう呼んでいました!)の九院所で、実施方法などを統一してとりくみました。一二〇〇人が受診。
 その翌年はさらにひろがって、東京民医連全体で統一診断基準をつくり、老人健診を行うことになりました。全都で八万人が健診、うち民医連で八三二〇人が受けました。

 文京では対象者一万四〇〇〇人のうち三割にあたる四二〇〇人を民医連がみました。民主団体や労働組合などと「老人健診推進協議会」をつくり、健診前にビ ラを配り、宣伝カーを走らせ知らせる、という大々的な準備がされました。最初は、診察と血液検査だけだった健診項目も「これでは十分健康診査ができない」 と運動し、「ワンタッチ」でのレントゲンや心電図、眼底カメラなどの項目を認めさせていきました。

老人健診でわかってきたこと
内田 東京民医連で健診を受けた人のうち「肺結核の要治療者」が一〇%、「心臓血管疾患」は七〇%以上 という驚くべき結果がでました。当時は高齢者の健康がどうなっているのか、医学的にも究明されていなくて、この老人健診のとりくみで、高齢者がどんなにひ どい健康状態で放置されているかがわかってきました。「日常診療の場でも高齢者を注意深くみるようになった」という報告をした人もいます。この結果は同じ 年の老年医学会の総会でも報告し、注目されました。
渡辺 それで高齢者医療費が無料化になったのですか?
内田 健診して「治療が必要です」と通知しても、来診する人が少ない。「治療しない理由は何だ?」とい う話になって、医療費負担の問題が大きく浮かんできたんです。当時の高齢者の窓口負担は、国保で五割、健保で三~四割というものでしたから。それで「治療 費も公費で保障を」という運動になったんです。

 このころの民医連新聞にも「死にたがる老人たち」という記事が。ある老人クラブの調査では「早く死にたい」という会員が四〇%にものぼりました。「治療費がもらえない」「子や孫のことを考えて」という理由でした。

内田 「老人になると、命の価値が下がる」なんてことは、許せないと思いませんか?
 ちょうど六七年は都知事選挙で「革新自治体をつくろう」という運動が盛り上がっていて「老人医療費を無料化に」という要望は「東京の空に青空を」という 公害反対と並び、大きな声になりました。すでにこの前年、文京区で私たちは老人クラブなどといっしょに「医療費を無料に」という署名運動や、当時まだ珍し かった敬老のつどいを開き、大反響を起こしていたんですけれど。
大金 東京は革新都政になったんですよね?
内田 ええ。もろもろの要求と幅広い人たちの力でね。その翌年は「東京に学ぼう」と全国で、老人健診を とりくみながら医療費の無料化をめざす運動が、一気にひろがりました。六九年、東京都は全国にさきがけて老人医療費無料化を実現。その後各地で革新自治体 が生まれ、「日本の人口の三分の二が老人医療費無料の自治体に住む」ということになっていきました。
 こうなると政府も無視できない。一九七三年、国として七〇歳以上の老人医療費無料化に踏み切らざるをえなくなりました。都は老人医療費無料化に使った予算を六五~六九歳の医療費にまわし、無料化しました。この年は「福祉元年」と呼ばれています。
 八二年に老人保健法が成立し再び老人に医療費負担が課せられるようになるまで、この無料化の一〇年間には大きな意味がありました。在宅医療やリハビリな どの施策が発展するきっかけになったり、日本が長寿国になったのもこの制度によるところが大きいでしょう。老人の自殺率もこの年から減りました

つかんだ事実から要求を
大金 僕らの時代は、どんどん医療改悪がされて、経営も厳しい中で、希望が持ちにくいです…。
内田 単純に要求するだけでなく、対案も示しながら社会保障を良くしていくことが必要な時代になりまし たね。老人医療費無料化を勝ちとったときの力になったのは、実践の中でつかんだ声と事実を集めて運動したこと。いまも「福祉・医療の仲間たちと、現場の一 つ一つの事実を集め、提案する」ことが大事だなと思います。

*  *

渡辺 長年の患者さんたちの中には、「死ぬときは絶対に健生病院で」と信頼して下さる方がいます。先輩たちがそうして地域に足を運んでやってきたことが今につながってるんですね、また明日からがんばろう、という元気がわいてきました。
大金 そうだね。
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老人医療費無料化にかかわる動き
1963年… 老人福祉法制定(60歳以上の健診を義務化)
1965年… 文京区の民医連が老人健診
1966年… 文京区の民医連が統一して老人健診実施。「60歳以上の治療費無料化」を求め署名運動
1967年… 東京民医連が一斉に老人健診、全都の受診者の1割をみる
1967年… 東京で革新知事が誕生
1968年… 東京の経験が全国に拡大全日本民医連「老人健診と老人医療費無料化をめざす活動者会議」
1969年… 東京都で老人医療費無料化
1973年… 全国で老人医療費無料化

(民医連新聞 第1307号 2003年5月5日)

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