民医連新聞

2019年6月4日

結成65年 民医連のDNA 労働者の安全・衛生、いのちを守ることは私たちの医療の原点 徳島健康生協

 6月7日、全日本民医連は結成66周年を迎えます。昨年から「民医連らしさ」に目を向け、各地の民医連の歴史をみてきた、シリーズ「結成65年 民医連のDNA」も最終回。徳島健康生協の振動障害(振動病)に対するとりくみをとりあげます。そこには、働く人びとの医療機関としての民医連の医療活動がありました。

(丸山いぶき記者)

 徳島健生病院は、振動障害の労災認定のための検査ができる全国でも数少ない医療機関。労働組合の建交労と共同購入した希少なFSBP(Finger Systolic Blood Pressure)測定器もあります。
 「振動病のことは入職してはじめて知った」と話すのは、同院の吉尾章智さん(臨床検査技師)。当初は振動障害検査について検査項目が多く煩雑だと感じていました。しかし深刻な障害を抱え、1日半がかりの検査のために遠方からも訪れる患者とかかわり、「日常苦労が多いと思う。患者さんは高齢者ばかり。近くで診てくれる医療機関があればいいのに」と話します。
 振動障害は、振動工具の使用によって、(1)末梢循環障害、(2)末梢神経障害、(3)運動機能障害が出現する職業病。労働能力が著しく低下し、難治性で高齢期のQOLにも影響します。「就業人口の1割、日本も500万人超が日常的に振動工具を使用しているはず。なのに労災認定数は極めて少ない」と話すのは、健生石井クリニックの樋端(といばな)規邦医師。約50年、振動障害患者を診てきました。
 工具が改良され、新規の重症患者は減りましたが、現在も年4~5人の新たな認定診断書を作成しています。「低振動工具も長時間、長期の使用で同様に障害が出るのではないか。しかも高齢期になって次第に耐え難い症状が出てくる。若いうちから健康管理が必要」と強調します。

■検診がすすまない理由

 「これ以上伸びんし、曲がりきらん」。東英雄さん(81)、正明さん(77)兄弟と河内(こうち)茂男さん(74)が、そろって肘の屈曲伸展の障害がある腕を見せてくれました。長年、林業に従事しチェーンソーや草刈り機などを使ってきたことで振動障害を発症。5~6年前から樋端さんのもとに通う3人は、「先生は厳しい」と笑い合います。「けど、振動病のことなら何でも知っとる上等の先生」「職員もみんな親切」と口々に言います。
 冬場、河内さんには指先が白くなるレイノー現象が現れます。月1回、100㎞以上の道のりを車で2時間かけ通院しています。
 東さん兄弟は滋賀の山林で30年以上働き、30代から手のしびれなどの不調を自覚。「タバコやはしがいつの間にか手から落ちる。指先の感覚がないけん」と弟の正明さん。しかし、森林組合の検診で振動障害とは言われませんでした。兄の英雄さんは「ストーブで温めてから検査された」と実情を明かします。「認定患者を出すと雇用主が払う労災保険料が高くなるから。許せないけれど、全国で行われている」と樋端さん。

■患者の要求から診療所が

 手がろうのように白くなる振動障害は、かつて「白ろう病」と呼ばれました。徳島での振動障害のとりくみは、樋端さんが入職した1970年から。高知県境の山村での住民健診での「白指」の林業労働者がきっかけでした。徳島健生病院では看護師やSW、検査技師など多職種約10人で振動病グループをつくり、問診や検査の勉強会を開催。振動障害の労災認定患者数は増え、80年代には数百人になりました。
 84年には、県西部に住む振動障害患者らが「自分たちの診療所を」と願い、健生西部診療所が誕生。そこには「三好土工(みよしどっこ)」と呼ばれ、鉱山やトンネルで削岩機などの大型振動工具を多用した抗夫が多数いました。

医学的根拠にもとづき労働者のために

 1980年代には、各地の民医連ですすめられた振動障害の労災認定診断が、国(旧労働省)から激しく攻撃され、警察の介入で労災指定の取り消し、廃止に追い込まれた例もありました。「善意で労災にとりくんでいても、そうなってしまえば、患者や病院を守れない」と樋端(といばな)規邦医師。徳島では、「患者の立場に立って救済に最大努力する。診断も治療も医学的根拠をもって」を基本に、厳格にとりくみました。これまで認定数は多いのに、不支給決定は一度もないと言います。
 樋端さんは、愛媛や神戸の振動障害裁判で労働者側鑑定医となり、産業衛生学会の「振動障害の診断ガイドライン2013」の作成に参加するなど、幅広く活躍。「日常診療で明らかになった事実は必ず論文に。できれば英文にして発表する」と、海外の研究発表も4回、国内開催の国際会議で座長や特別報告者も務めました。
 原点にあるのは医学生時代に感じた、安全をないがしろに商業化する社会への疑問。「労働者のいのちが社会によって縮められるのが許せない。その安全・衛生、いのちを守ることは、私たちの医療の大前提」と言い切ります。

■働く人びとの医療機関の原点

 徳島は、民医連の原点である戦前の無産者医療運動をけん引した大栗清實医師の故郷です。大栗医師は、治安維持法に反対し暗殺された代議士・山本宣治の葬儀の席で、「労働者・農民のための病院をつくれ!」とアピールを起草。その第1号、大崎無産者診療所(東京)の所長に就きました。日本が戦争に突きすすむ中、治安維持法で不当に検挙、投獄され、出所後、徳島に帰郷。無医村で開業し地域医療に献身する傍ら、戦後、徳島初の民主診療所、内町診療所(57年)や徳島健康生協(61年)づくりでも尽力しました。
 「祖父たちの思いが、受け継がれているのがすごい。私もその一員として、微力ながら尽くしたい」と話すのは孫の大栗あゆみさん。現在、同生協の健生阿南診療所の放射線技師として、高齢化がすすむ地域をささえています。

(民医連新聞 第1693号 2019年6月3日)

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