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2019年6月7日

ハタチが見た沖縄

文・新井 暦(編集部)写真・今泉 真也

 共立高等看護学院(山梨県甲府市)の看護学生3人が、同校初の試みとして3月23~26日に沖縄を訪問。
 米軍基地や戦跡を巡るフィールドワークに同行しました。

「不屈」の精神に学ぶ

 フィールドワークに参加したのは、看護学院「学生9条の会」の岩間綾乃さんと樋口悠介さん、学内の平和ゼミで戦跡や自衛隊基地を巡る中で「沖縄の基地問題にも関心を持った」という馬渕圭さんの3人です。全員が20歳の2年生で、地域や学内のカンパ活動などで参加費を工面しました。
 沖縄出身で甲斐市(山梨)市議会議員の谷口和男さんが現地を案内。看護学院教員の塩澤詩穂さんと職員の押領司民さんが同行しました。
 3月24日、最初に訪れたのは那覇市にある「不屈館─瀬長亀次郎と民衆資料」。沖縄で本土復帰のために奮闘した元那覇市長の故瀬長亀次郎さん。復帰後は衆議院議員になり、生涯をかけて米国や日本政府と対峙しました。館内には彼のゆかりの品々や、米国統治下(1945~72年)の沖縄の実態を物語る資料や写真が並びます。
 看護学生たちは、亀次郎さんの次女で不屈館館長の内村千尋さんの話を聞きました。国民皆保険もない時代、「医者にかかるのは死亡診断書を書いてもらうときだけ」とまで言われた沖縄。県民の立場で復帰運動に取り組んだ亀次郎さんは不当逮捕され、獄中で2年間過ごしました。
 「父は胃潰瘍を悪化させ、獄中で手術したこともあります」と話す内村さん。執刀医師らは電気の供給を止められたときのために、予備のバッテリーを持ちこんで手術に臨みました。案の定、手術中に停電。「無事手術を済ませた医師が、『(県民のために尽力する)亀次郎さんを死なせる訳にはいかない』と言ってくれたのを覚えています」と内村さん。
 映画「米軍が最も恐れた男~その名は、カメジロー」(佐古忠彦監督)を観たという樋口さん。「戦前戦後の沖縄の歴史を学ぶことで、今、沖縄で起こっている問題がはっきりと見えてきます。山梨も米軍が駐留した歴史があるので、人ごととは思えません」と話します。

戦没者の無念に

 続いて一行は糸満市の「ひめゆりの塔」に献花して手を合わせ、「平和祈念公園」を見学しました。公園内の「平和の礎」には沖縄の戦争犠牲者24万1525人が刻銘されています。
 広大な敷地の遙か先まで並び建つ礎を見据える3人。「本来なら平穏な日常を送れたはずなのに、これほど多くの人たちが犠牲になってしまったことが残念でなりません」と岩間さん。礎を前に学生たちは、刻まれたひとりひとりの無念に思いを馳せます。
 沖縄戦は1945年4月に始まり、当時の県民の4人に1人が犠牲となりました。本土決戦までの時間稼ぎをするための“捨て石”で、集団自決を強いられた住民もおり、想像を絶する恐怖の中で絶命していきました。
 礎の一つをじっと見つめていた馬渕さん。「朝鮮の人たちの名前もあります。遠く故郷から離れた場所で、どんな思いで亡くなっていったのか。きっと帰りたかっただろうに…」。

公園内、平和祈念堂に安置されている「沖縄平和祈念像」

公園内、平和祈念堂に安置されている「沖縄平和祈念像」

辺野古土砂投入に抗議

 翌25日、3人は新基地建設が強行されている辺野古へ向かいました。ちょうどこの日は、政府が新たな区画への土砂投入を開始した日で、これに抗議する「3・25県民大行動」に参加しました。
 県民は「本土の学生さん? こんなに若い人たちが来てくれて心強いね~」と温かく声をかけてくれます。「全国や世界の人たちも注目している。沖縄だけの問題ではないと奮闘する姿に、勇気をもらいました」と樋口さん。度重なる政府の横暴、フェイクニュースやヘイトスピーチに傷つきながらも、辺野古には住民をはじめ県内外から多くの人がかけつけ、粘り強い抗議運動を展開しています。
 名護市民の浦島悦子さん(70歳)は「9月の知事選、2月の県民投票と、私たちは何度となく新基地建設反対を表明し続けてきました。(土砂投入が強行されてしまい)次世代に申し訳ない気持ちです。基地移転で生じる限定的な経済効果よりも、美しい辺野古の海を後世に残す方がはるかに大事です」と話します。
 集会で県民の思いにふれた学生たち。「さまざまな逆境の中でも抗議を続ける姿をみて、胸が熱くなりました。今度は私たちが同世代にこの辺野古の現状を伝えていきたい」と岩間さん。  

“いのち”と人権に向き合って

 フィールドワークを終えた3人に感想を聞きました。
 「今も昔も政府は県民の思いにこたえようとしません。一人ひとりの思いに寄り添わない姿勢が一番の問題だと思います」と語る樋口さん。「人の役に立つ仕事がしたい」と漠然と考えていた高校生のときに参加した病院見学で、患者を一番近くで支える姿を目にして看護師を志しました。
 高校2年生の時に交通事故で入院した岩間さん。親身になって患者に寄り添う看護師に憧れるようになりました。「沖縄戦の歴史を知り、“いのち”が軽く扱われていると感じました。私たちが目指す看護師という仕事の対極にあるものだと思います」と言います。
 「病気だけでなく、患者さんの気持ちにもしっかり向き合える看護師になりたい」という馬渕さん。看護師を志す中で「人権」について考える機会が多くなりました。「国民として、当たり前にあるはずの『安心して生きる権利』。戦前戦後、そして今なお沖縄では人権が軽視されていると感じました」と率直に語ります。
 参加した3人は今後、学内でフィールドワークの報告会などを通じて、同世代へ向けて発信していきます。

いつでも元気 2019.6 No.332

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