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2019年6月18日

フォーカス 私たちの実践 独居高齢者の在宅看取り 福井・光陽訪問看護ステーション 社会的に孤立したがん終末期をささえて

 その人らしい最期をささえたいと、福井・光陽訪問看護ステーションは、他事業所や多職種、行政との連携で、地域の中での在宅看取りを支援しています。第14回看護介護活動研究交流集会での看護師・南部清美さんの報告です。

 住み慣れた自宅で、信頼できる人に看取られ人生の最期を迎えたいと願う人は多い一方、さまざまな理由で社会的に孤立し、独居状態で終末期を迎える人も増えています。当ステーションも、独居や老々世帯の高齢者が多い地域にあり困難事例も少なくありません。
 今回、独居のがん患者の看取りの症例で、「その人らしい最期」の支援のあり方に、多くの示唆や学びを得たので報告します。

【事例】Aさん 80代女性
 病名は子宮がん末期・未治療、既往症は高血圧。浴室のない古い市営住宅の2階、4畳半と3畳2間に独居。生活保護を利用。Aさんだけが信仰する神をまつり、伺いを立て生活。たずねてくれる友人も、自治会や隣人とのつきあいも全くないが、出身地の東北に住むめいとは、電話のやりとりがあり、数年に1度会うほか、リンゴや野菜を送ってもらっている。

■傾聴、承認し看護を展開

 Aさんは、5年以上前から不正出血があり、受診しても「高齢だから。問題ない」とされ、信仰でしか不安をぬぐえずにいました。たびたび自宅で倒れるなど虚弱でしたが、受けていた支援は掃除と買い物の訪問介護のみ。大量の不正出血による貧血と腹痛で動けなくなり、地域包括支援センター(以下、包括)のケアマネジャーに付き添われ緊急受診した時には、すでに子宮がん末期の状態でした。
 「神様が守ってくれる」と受診や治療をかたくなに拒否し、「神様のいる自宅」での最期を希望。包括から相談され、当ステーションで訪問看護を開始しました。介入時はるい痩(そう)があり、排便通過障害の不安から多量の下剤を使用していました。排便困難時の多量不正出血、意識消失をくり返し、両下肢浮腫の進行と右下腿から浸出液がありました。外出が困難で、1年以上入浴していませんでした。
 信仰心から生活の場や物の配置へのこだわりが強く、ベッドの上にコタツを常設していましたが、本人の思いを傾聴し、生活スタイルや信仰に関する内容を承認し支援すると約束。下肢の浮腫ケアから始め、無理に介入せず、療養環境も本人が困った時に整えました。人へのこだわりも強く担当は2人から始め、信仰心や価値観もうなずきながら傾聴。否定しないことで信頼関係を築きました。
 往診は普段から連携する近くの開業医に頼み、信仰の承認も含め綿密に相談した上、訪問看護師も同行しました。包括や生活保護担当行政、東北のめいとも連絡をとり情報共有に努めました。
 がん性疼痛の増強への対応、嘔吐などの症状コントロールや点滴を施行。毎日複数回の訪問看護・介護、週1回の往診などの連携によって支援を継続し、1年ぶりの全身清拭、訪問入浴も開始。2カ月後には、夜間2回の訪問介護と連携し24時間をささえました。
 亡くなる2週間前には「生きた証をめいに」の思いに応え、まつっていた宝飾品や写真、衣服など十数箱を送りました。要望に確実に応えるために生活保護課にも相談し実現。Aさんから「いい人生だった」との言葉も聞けました。
 94日目、Aさんは自宅で静かに亡くなりました(経過は図)。

■その人らしい最期を地域で

 「あなたを信用してよいか神様に聞いてみます」から始まったAさんへの訪問看護でしたが、ありのままを受け止める方針を徹底。満足した言葉の数々から、Aさんは、人生の最期に新たな人間関係、社会を構築し、終末期の苦痛の多い中でも、生き生きとAさんらしく生き抜けたと思います。
 人として尊重し、ありのままを受け止めることは簡単ではありません。本人の意思にかかわらず独居の終末期患者は病院へ、という現実もあります。しかし当ステーションは、その人らしく自宅で最期を迎える選択を、地域の中でささえたい。今後も、そうした理念を地域に発信しながら、包括や多職種と連携し、地域の中での在宅看取りを支援したいと考えます。

(民医連新聞 第1694号 2019年6月17日)

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